マッカートニーは、1968年2月4日に他のバンドメンバーと共にインドのリシケーシュを訪れていた時期に「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」を書き、同地で行われた合唱会で演奏した。当時についてマッカートニーは「巡回映画がやってきたから、僕らはみんな瞑想のキャンプから、行列を作ってジャングルの一本道を歩いた。僕のギターで『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』を歌ったんだけど、とても楽しかった」と振り返っている。音楽評論家のイアン・マクドナルドは「マッカートニーのジャマイカのスカの作風にかなり近似した素晴らしい楽曲」と評している。

歌詞は「市場に勤めるデズモンド・ジョーンズが、バンドで歌手をしているモリーと恋をして結婚する物語」を歌ったもので、後に発表された「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」に似た形式で物語を展開させている。マッカートニーは「とても僕らしい曲。デスモンドとモリーという実在しないカップルに関するファンタジーだからね。僕は名前にも力を入れている。デスモンドというのはとてもカリブっぽい名前だ」と語っている。デスモンドは、レゲエのデスモンド・デッカーに由来している。

タイトルおよび歌詞に登場する「Ob-La-Di, Ob-La-Da」というフレーズは、マッカートニーの知人であるナイジェリア人のコンガ奏者、ジミー・スコットがよく口にしていたフレーズを流用したもの。マッカートニーは「ジミーとは、よくロンドンのクラブで顔を合わせていた。会うたびに彼は『Ob-la-di, Ob-la-da, life goes on, bra(オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ、人生続くよ、ブラ)』と口にしていた。後でそのお礼がわりに小切手を送った。曲は全部僕が書いて、いっさい彼の助けは借りてないけど、あれは彼の言い回しだったから」と語っている。なお、スコットは著作権をもとにマッカートニーに金銭を要求したが、マッカートニーはこれを拒否し、後にある事件でスコットが逮捕された際に、マッカートニーが多額の法廷費用を負担するのと引き換えに金銭の要求を取りやめたというエピソードも残っている。