月別アーカイブ / 2022年06月


ある若い男女の恋愛の始まりから終わりまでを歌った曲。

楽曲中のマンドリンを演奏しているのは田原健一。元々は12弦ギターを入れる予定だったが音色がマンドリンに似ていたため、急遽本物を用意したという。


「ありふれた Love Story ~男女問題はいつも面倒だ~」歌詞

歌:Mr.Children
作詞:桜井和寿
作曲:桜井和寿

変わらぬ愛と信じきっていた二人
移りゆく季節を歩いてきた
若気の到りなんて他人は云う
ありふれた者同志の Love Story

彼は重い鞄を引きずって
街中を駆け回ってるビジネスマン
追われるように 過ぎ去っていく暮らし
夢見たもんと遠く離れていた 苛立っていた 戸惑っていた

映画にある様な出会いなど滅多にはないから
知人の伝手なんか頼っては恋を探してた
彼女は生まれた町から都会へ出たばかり
猜疑心(さいぎしん)と好奇心 両手に抱え
悪戦苦闘くり返してる毎日で…

そして恋は生まれた
運命の糸が操っている様にも思えた
愛は尽きる事ない 想いは揺るがない そう信じてた

やがて二人は暮らし始めた
若さのわりに優雅なマンションで
互いのプライバシーを尊重して
上手くバランス取ってるはずだった
でも人生とはいつも困難で

いつしか二人嫌なムード 啀み合うばかり
冷めてく想いを分かってるくせに
気付かぬ振りでやり過ごしている

大人を気取れど
自我を捨てれない
辻褄合わせるように抱き合って眠る

「愛は消えたりしない 愛に勝るもんはない」
なんて流行歌の戦略か?
そんじゃ何信じりゃいい?
「明日へ向かえ」なんていい気なもんだ
混乱した愛情故に友情に戻れない
男女問題はいつも面倒だ
そして恋は途切れた
一切合切飲み込んで未来へと進め
Go away 進め




タイトルの「ブルー・ジェイ・ウェイ」とは、ロサンゼルス・ダウンタウン北方の山の中腹にある住宅地の地名(北緯34度6分2.0秒 西経118度23分13.0秒)で、ハリスンは1967年8月1日に当時の妻パティ・ボイド、ビートルズのロード・マネージャーであったニール・アスピノールやアレクシス・マーダスと共に休暇でブルー・ジェイ・ウェイに訪れていた。この旅行は、デレク・テイラーに会うことが目的だったが、テイラーは約束の時間になっても現れず、そのテイラーを待っている間に本作の歌詞が書かれた。この時、ブルー・ジェイ・ウェイでは霧が発生しており、冒頭の「There's a fog upon L.A. / And my friends have lost their way(LAには霧が立ちこめ / ぼくの友だちは道に迷ってしまった)」というフレーズは、その時の様子を表しているといえる。

ハリスンは本作について「デレク・テイラーをネタにしたんだ。『遅くなる』と電話してきた彼に『家はブルー・ジェイ・ウェイにある』と伝えたら、『わかった。大丈夫さ。見つけられるよ』と言っていたんだけど…警官に道を尋ねてまわっていたらしいんだ。だから僕はかなり待たされたよ。あの日は長旅の後で疲れ切っていたんだけど、彼が来るまで眠るわけにはいかなかったんだ。霧がひどいせいで到着はどんどん遅れる。でも起きてなきゃいけなかったから、眠気覚ましに『ブルー・ジェイ・ウェイで彼を待っている』という曲を書くことにしたんだ。家の隅っこにあるハモンドオルガンを弾いてるうちに曲ができたよ」と振り返っている。

ハリスンは芸術性を追究すべく、8月7日に「ヒッピーの首都」とされるサンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区を訪れたが、その地が麻薬中毒者や脱落者などの人物によって占められていることを受けて深く失望した。2日後にイギリスに帰国した後、イーシャーにある自宅で「ブルー・ジェイ・ウェイ」に関する作業を行ない、ハリスンはジョン・レノンとヘイト・アシュベリーでの失望を共有した。その後、ビートルズはLSDをはじめとした薬物を非難すると同時にマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの超越瞑想を支持し、8月下旬にウェールズで行なわれたマハリシによるセミナーに参加した。この出来事と紐付けるかたちで、音楽評論家のイアン・マクドナルドは本作と同年5月にレコーディングした「イッツ・オール・トゥ・マッチ」を「ハリスンのアシッドとの決別」と評している。


「BLUE JAY WAY」歌詞

歌:THE BEATLES
作詞:Harrison
作曲:Harrison

There's a fog upon L.A.
And my friends have lost their way
We'll be over soon they said
Now they've lost themselves instead.
Please don't be long please don't you be very long
Please don't be long or I may be asleep
Well it only goes to show
And I told them where to go
Ask a policeman on the street
There's so many there to meet
Please don't be long please don't you be very long
Please don't be long or I may be asleep
Now it's past my bed I know
And I'd really like to go
Soon will be the break of day
Sitting here in Blue Jay Way
Please don't be long please don't you be very long
Please don't be long or I may be asleep.
Please don't be long please don't you be very long
Please don't be long
Please don't be long please don't you be very long
Please don't be long
Please don't be long please don't you be very long
Please don't be long
Don't be long―don't be long―don't be long
Don't be long―don't be long―don't be long


「フール・オン・ザ・ヒル」は、大衆には理解されていないが、実際には賢い孤独な人物を題材とした楽曲。マッカートニーは、1997年に出版された伝記『ポール・マッカートニー: メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』で、タイトルがオランダのデザイナー集団「ザ・フール」と、同名のタロットカードに由来していることを明かしている。また、本作の人物像については、「マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのような人物のことを歌った曲だと思う。彼を中傷する人たちは彼のことを愚か者呼ばわりしていた。なぜなら彼の笑い方に真剣さが感じられなかったからさ」と語っている。

ビートルズのデビュー前より交流のあったアリステア・テイラーは、著書『Yesterday: My Life With the Beatles』で「マッカートニーが愛犬のマーサとプリムローズ・ヒルを散歩しているときに、不思議な男に出会ったことから着想を得た楽曲」と書いている。

マッカートニーは、1967年3月に「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を書いている途中で、ジョン・レノンに本作を演奏して聴かせた。この時点でメロディは完成していたが、歌詞は未完成であった。楽曲に感銘を受けたレノンは、マッカートニーに歌詞をメモに書き残しておくように勧めた。1980年の『プレイボーイ』誌のインタビューで、レノンは本作について「これはポールの曲さ。良い歌詞だ。彼が完璧な曲を作る能力を持っているという証さ」と語っている。

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