毎日何かを考えています。

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一つひとつ、丁寧に。
私は信心させて頂くようになって、そうなりました。

けれども、非常事態時、
私の場合ですと下血の時でした。何も考えられなくなった、神様のことも。
でもお取次いただき、ある意味正気になりました。

今度の台風19号で生活が困難になった氏子がおります。

もう、その日暮らし。

問題ごとは山積みで。。

そんな中、以前より、教会の御用を頼んでいて。

ある原稿のまとめです。

この時期に…

辛そうなお届けの中、それでも「御用を最後までさせていただきますので」と言われるので、「もういいよ、辛いでしょ、大変でしょ」と喉元まで出かかったその言葉は、御祈念させていただくうちに、「氏子についていこう」と神様に思わせていただき(勇気をいただき)、飲み込みました。

数日経って、
その原稿もまとまり、
氏子からは、
「台風19号から生活が一変して。宿から食事から毎日の生活のことをずっと考えてて。けれど今回教会の御用を最後までさせてもらえて、この束の間の集中が、とてもありがたかったです」と涙ながらに言われてました。

あぁ、私は相手のことを一生懸命考えていたとはいえ、安易に、「もういいよ」と手を出すということをしなくて良かったなぁと思いました。

『 氏子が悩むべきことを取り上げない 』
そのように教えられています。

何が喜びか分からない。

そうとは言え、
でも、ケースバイケースと思ってました。

それよりも今、もっともっとやる事があるでしょう、と思っちゃってました。

安易に手を出すことは氏子の助かりを阻みます。
今回のそれのように。

日々の生活を考える事が辛くて辛くて、
日常を離れた思考(集中)がこれほどありがたいものだったなんて、想像だにしませんでした。

氏子についていかせていただけたこと、神様に御礼申し上げました。

ここからも、神様に祈らせていただきながら、じっくりと、氏子についていきたく思います。

いかがでしょうか。

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来月10日に、金光教の教祖様に御礼を申し上げるお祭りを仕えさせていただき、また、金光教武蔵小杉教会が宗教法人として認可をいただいてから今年で45年という記念のお祭りも併せて仕えます。そのお祭りで私がお話をさせていただきますが、
『一緒に悩んでくれる有り難さ』
と、ようやっと講題を決めました。いつもギリギリ^ ^;

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金光教には、取次者(とりつぎしゃ)と呼ばれる、神様と人間の間に立つ人がいます。
私のお役もそれです。

で、間に立つぐらいですから、神様からの教えを知らないといけないし、徳がないとやっていけないし…
ずっとそう思っていたことが、
実際に私が一人間として、取次者の取次をいただいた結果感じたものは、これまで考えていたものとは異質のものでした。

それが、
『一緒に悩む』
ということでした。
一緒に考えるも入ってますね。一緒に決めるも。とにかく一緒に!

教えるとか、導くとか、助けるとか、
宗教家なら、取次者なら、必ず持っていないといけない資質と、これまではそう思ってました。
でもそれだけじゃないし、それだけだと続かないと思いました。

もちろんゼロじゃないとは思ってます。
教えも、
導きも、
助かりも、
私も日々、神に心を向けながら、追い求めています。

でも、
それよりも何よりも、
一緒に悩む
ということを氏子に感じてもらわないと(大切なんだと思ってもらわないと)、私は「次に」繋がらない、繋がりづらいと、そう思いました。

考えてもみたら、
教え導くや、助かりなんて、ハードルが高すぎます。
人のことを願うとか、お手引きだって、
「いやいや私には出来ません…」
そんな言葉は何度も何度も聞きました。
こりゃ、伝わらないなぁと思いました。

そうではなくて、
一緒に悩む
です。

これって、
親です。

わが子のことで悩まない親なんていないと思います。
思いますが、悩み続けられる親と、この対応如何によって諦めてしまう悩み続けられない親もいると思うのです。

悩み続けられる親は、
経験者だと思っています。

何の経験か、
それは、私のために一緒に悩んでくれた、その親からの経験です。

だから、全員が全員一緒に悩み続けられるとは思っていませんが、教え導く助けるのハードルとは比べものにならないとは思うのです。

私も取次者ですが、
一緒に悩むんだと聞いた瞬間、
とても心が楽になりました。
光がさしました。
どうしようもない自分に、一体何が出来るんだろうと心の底から思ってましたから。

繰り返しますが、教え導き、助かる取次者になりたいと、これは願いとしては私も持っています。

でも、一緒に悩む、ということがないと、
信心は途切れると、そのことは確信してます。

一緒に悩むこと。
一緒に考えること。

最後に、
親には3種あると教えられていて
①産みの親(肉親)
②授けの親(神様:命を授けたのは神様)
③魂の親(取次者含めて誰かと一緒に悩んであげられる人)
と。

肉親とも上手くいかない、神様も分からない人でも助かります。

それは、魂の親がいるからです。

そして、魂の親には、誰もがなれるし、これは数だと思ってます。1人より2人の方がいいし、2人より3人、と。

誰かのために自分の命を使いたいと願いでられる魂の親になることこそが、人間に対しての唯一無二の神様の願い、ひいては人間からの神様への御礼(ご恩返し)なのではないかと思うわけです。

いかがでしょうか。

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本日からお広前畳化工事を着手しました。

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信者たちからの理解はそこそこに、私の『強い』願いを押し切った形でのことです。

必ずおかげになると思ってます。

神様と共に信心辛抱させて頂きます。


工事の関係で、正規のお結界に座るということが難しく、半畳畳を引いただけの所で座らせてもらってました。

数名の氏子の参拝あり、状況を理解してくれて、『奉』(たてまつる:神様へのお供え)も手渡し、『御神米様』(ごしんまいさま:祈りを込めたお米粒)も手渡しでさせてもらいました。

その中の1人が、この度の台風19号の影響で生活が困難になって、子ども連れでとても疲れてました。

やる事が沢山あることをお届けされ、「少し子どもを見ていてもらうことは可能でしょうか」と進言されたので、いつもならお結界がありますので断りますが、今日は工事の関係で座るという場所もままなりませんでしたので神様にご祈念お断りを申し、氏子の進言に応えて半日ほどその子と遊ばせていただきました。

トランプしたり、縄跳びしたり、一緒に神様のお下がりのお菓子をいただいたり、、

楽しかったです。

親が後ほど参拝され、とても喜んでいました。そして心から御礼を言われたので、
「私も遊ばせてもらいました」
と伝えました。


この教会の長となる際、お結界に座り込むと決め込んだ際、師より、
『遊ばせていただくこと』
とお言葉いただき、その言葉が(そしてお祈り添えも)今こうして元気に御用が出来ている原動力となっています。

遊ばせていただく。

自分の時間をどう使うかを必死に、毎日考えています。

お広前の工事の際に、その子ども連れの、そして、今大変な親子を差し向けてくださったことも、神様のお計らいですし、その神様の想いに私も添えられたような気がして、工事の日は確認作業等で大変疲れますが、今日はとっても元気な心をいただきました。

ありがたかったです。

明後日に畳屋さんが寸法を測って、お広前一面が畳になります。

願いを立て、5年かかりました。

神様が整えてくださいました。

この生まれ変わる広前で難儀な氏子が1人でもお引き寄せいただかれ、涙を流したり、ジタバタしたり、クタクタに寝転がったりと、難儀が転がり込んでくるような御広前を、そのことを切に願っています。

ここまでのことを、心から、御礼申し上げます。


いかがでしょうか。

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