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90年代にミスチルが何をしたのかというと、大衆の心境を言語化したんだと僕は考えてる。90年代の日本のポピュラー音楽は、日本人の琴線に触れるメロディメーカーが超ハイレベルに混沌としていたけど、ミスチルが市民権を得たのはその中でも群を抜いて言語化の能力に長けていたからだと思う。

というのも、その頃もしくはそれまでの時代背景として「言葉で語らない」のがカッコいいという価値観が日本の中心的発想だったわけだけど、人類は言語コミュニケーションを発展させてきたぐらい言語に依存しているわけだから、本質的にはフラストレーションを抱えていたんだと思う。そこへきてミスチルが、それまで説明的か物語的かだった音楽シーンの世界観に感情を的確に言語化しちゃったもんだから「そうそうそれそれ!!桜井さんよく言葉にしてくれた!!」って若者が湧いたんだよね。かくいうわたくしも小学低学年生ながらに桜井和寿の言語感覚にボッコンボコンにやられて青春時代を全て捧げたわけです。


まだまだ情報に偏りがあった時代で、且つ隔たりもあって、うまいこと感情を俯瞰し整理するという感覚が若者になかった時代にイケメンが至極のメロディに大衆心境を言語化したわけだからこれって感情を俯瞰し整理する事の提案だったわけで、それが時代を大きく変えちゃった。そこらへんの若者に哲学のきっかけを与えたんだから。一心不乱に針の穴ほどの幅しかない義務教育経由の価値観でガッチガチだった僕ら世代はまるで自由を与えられたかのように自分と向き合うことを許された気がしたもの。そのインパクトが90年代を創り00年代の基礎になったのかなと思う。00年代は技術の年で、音楽シーンはリズムもメロディも洋楽的アプローチが増えていった。よって、歌詞のインパクトは弱まっていった印象。


そこへきて、2010年代には00年代に養った技術と90年代のベースになったてめえの頭で考えるという基礎がかけ合わさって個性を前面に出した「独り言」が小さなコミュニティの共感を経てコア層がそれぞれの教祖の布教者として領域を拡大していったのかなと。針は臨界点を切ると逆に触れたがるのかなと思うのだけど、じゃあ2017年も後半戦を迎えて一体これからシーンはどこへ向かうのかなんて事を考えてみたりしてた。自分ごとなので。


今どんなフラストレーションが世に溜まっているのかというと、あちこちで独り言があってうるさいんだよね。独り言なんだけど、視点を上げて聞いてみると、割とみんな同じ事言ってる。あちこちで同じような事をぶつぶつ呟いてるから価値を感じない。キラリと光る独り言に独自性のあるヤツが極端に少ない。だから2020年代は独り言を押し付けても価値を感じてもらえない。じゃあ何すりゃいいのよ?と。それは「提案」なのかなと。独りでブツブツ、じゃなくてあなたへ向けた新視点のご提案。それは独り言の先にあるものでしょ。ミュージシャンがアーティストとして生きていかなければいけない時代になるのかなと。


アンディウォーホルが大衆性を正当化してステータスの感度を変えてしまったように、音楽を通して新たな世界観や価値観を対ヒトに向けて提案する時代なのかと。自分完結の世界観ではなくて他者へ向ける事を前提とした目が醒めるハッとするような新しい世界やモノの見方・捉え方。そこへ向かうんじゃないかと。


世界各国の通貨は暗号通貨という新提案が市民権をじわりじわりと奪ってきているし、企業と従業員の付き合い方も個人の主張を受け入れざるを得ない新しい価値観へ変化してきているでしょ。今既成観念に対するフラストレーションが国民の中に爆発寸前まで高まってるんだと思う。そこに針が逆に触れる程のイノベーティブな視点や世界観の新提案が重なった瞬間、きっと時代が動く。日本には今それぐらいのことが求められてるんだと思う。それ、僕がやりたい。やる!と意気込んでる。


世界的に見ればアートって超リスペクトされていて、だからアーティストの地位は高くて資本家や資産家が守ってたりする。日本もだいぶ遅れて今アーティストを待ってるんだと思う。僕らミュージシャンってのは、これから肩書きじゃなくて生き方としての「本物のアーティスト」へ衣替えしていかなくちゃいけない時期に差し掛かってるのだと思う。