あらー、今日はなんだか暑い

皆さんいかがお過ごしですか?
って、あなたが一番、姿が見えないわよ!って感じかと思います

ですが、ちょっと落ち着きましたので、
こちらに再び戻ってこようと思っております

さて、
まー、こんな話がいただけるなんてと驚いたことがありました。

それは、なんと!私に帯を書いて欲しいという依頼が来たのです!
私が書いても、影響力無いよ、と思ったのですが、
版元の編集者さんの思いをお聞きし、
それではと、と書かせていただきました。

それがこちら。

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はじめにお伝えしておくと、
考古学的な見地から縄文時代について論じた本ではありません。
私と同じように、考古学の専門家ではない著者の故水谷さんが、
様々な思索と調査の中から、独自に構築した縄文世界の話です。

神話、民話、伝承、祭祀、図像学などを駆使し、
フィールドワークを重ねたすえに、辿り着いた結論が書かれています。

本業は画家をしていらっしゃったようですが、
縄文土器の欠片に魅せられてその道に入ったとか。

ん?私も土偶に魅せられてこの道に入ったから、
似た者同士なのかもしれません。

肝心の縄文時代に話に至るまで、少し道のりは長いですが、
柔らかい中にも、ご自身の自信に満ちた筆致で書かれる文章は、
読み物として面白いと思います。

また、このタイトル

『神殺し、縄文』

かなりインパクトがあるので、
私、だいぶ抵抗しましたw
しかしながら、岡本太郎も『日本の伝統』の中で

「神を、殺す」

と書いていました。

確かにそうかも。
よくよく考えれば、そういう言い方も出来ます。
縄文人たちは、イノシシやクマ、北海道だとシャチの土製品を作っています。
それらは、生命力の強さや、力の強さなどの象徴として作られ、
その力を自分にも取り込みたいと縄文人たちは考えていたかもしれません。

つまり、一種神格化しているわけです。
しかし、一方で、これらは食料でもあります。
神だと思えるような存在の肉を食べ、自らの命をつないでいく。
神を殺しながら、その神を体内に宿しながら生きて行く。
宿す、というのは、血肉にして栄養とする、という意味。

それを、岡本太郎や水谷さんは、
「神を、殺す」
と表現したのかな、と思った次第。

Amazonで予約も始まっているようです。
ご興味をお持ちになった方は是非。

https://www.amazon.co.jp/神殺し・縄文-人間社文庫-日本の古層-水谷-勇夫/dp/4908627185