月別アーカイブ / 2017年12月

昨日は友達と忘年会でございました。

ここ最近、ずっともやもやしていたことがあるのですが、
その原因を彼女と探ることができて、
これでようやく来年に向けて、
気持ちを新たに進んで行けそうです

まずは、自分自身が満足いくように行動すること。

それしかないなと思っています。
他の人からどう見られているかに振り回されず、
自分でちゃんと道を切り開くこと
あ、まじめなこと、書いちゃった

今日は、雑誌掲載のお知らせです

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せ、攻めてる
すげー
なにこの表紙


送られてきたとき、ビックリですよ

元旦から発売の雑誌、ビッグイシューです。
駅前や街角に、おっちゃんたちが雑誌の表紙を見せながら、
立っているのを見たことはありませんか?

その雑誌が、「THE BIG ISSUE』です。

この雑誌は350円なのですが、
そのうち、180円が、
おっちゃんたちの収益になります。
こうして雑誌を販売して利益を得て、
路上の生活からステップアップしていくおっちゃんもいるようです。


そんなカッケー雑誌に取材していただきました。

それも、私の前に掲載されているのは、
国立科学博物館の篠田謙一先生の『日本人の起源』 が載っています。
これ、めっちゃ面白いので、ぜひともお読み頂ければと。
あ、その次が私ですw

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ひー、このやりすぎた感じ
髪の毛してから撮影したら良かった涙

こんなにでっかく写真載るとは!
嬉しいやら、恥ずかしいやら

土偶について、縄文人たちについて、
私なりの考えを書いてもらっておりますので、
よろしければ、おっちゃんたちから購入していただき、
ご一読頂ければと思います

今年もあと明日のみになりましたね。
皆さん、どんな一年でしたか

私は、来年、もう一度、足下を見つめ、
地道な活動を繰り広げて行こうと思っています。
新しいこともやりながら、地味なこともやる!
そして、来年の年末、自分自身に
「よくやったね、こんださん」
と言えるぐらい、行動する


体調を崩されている方が多いようです。
皆様お気を付けて、良いお年をお迎え下さいね
一年、ありがとうございました



 

今日の京都は雪が舞っておりました

さ、さぶい

そんな中、一人でてくてくと街歩き。
いやー、楽しかったです 

さてさてー。

今日は嬉しいお知らせです

『土偶のリアル』『土偶界へようこそ』
共に重版決定!


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めっちゃうれしー

これも読者の皆さんのおかげでございます。
本当に、本当にありがとうございます

でね、私、知らなかったのですが、
こんなものがあるのですね。

読書メーター。

https://bookmeter.com/search?keyword=譽田亜紀子

ちらっと見てみると、
読者さんが拙著にコメントを寄せて下さっているではありませんか

知らなかったなー。
もちろん、いろんな意見があるのですが、
読んでみると、

「誉田さん、がんばって」

というようなコメントを書いて下さる方がちらほらと

う、嬉しいよ本当に。

あたい、頑張る

インスタグラムでも
『土偶のリアル』を読んで下さった方が、

「変人の領域」

というタグをつけていて、大爆笑

「変人」はわたしにとっては褒め言葉です!

ってことで、ちょうどお正月休みになりますしね。
ゆっくり縄文時代、そして土偶にどっぷり嵌ってみてはいかがでしょうか?

皆さま、ほんとうにありがとうございました



 

気がつけば12月ももう半ば……まずい……。

①を書いてから、だいぶ時間が経ってしまいました。
「更新されてませんよ」という声をいただきまして
やっとこせ、更新です(すみません)

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今日は具体的なお話を。

お一人ずつ書いていると、めっちゃ長くなるので、
私が気になった点をまとめた形で参ります

『ここまでわかった!縄文人の植物利用』の編者でもある
工藤雄一郎先生が登壇。
お題は
「後期旧石器時代から縄文時代への移行期の再検討」
ざっくり簡単にいうと……

「土器は、森の恵みが得られるようになった際、
 食べられる植物を増やすために、
 煮炊きの道具として出現した、というストーリーがあるけれど、
 実は、日本最古の土器である青森県の大平山元Ⅰ遺跡で見つかった16,500年前って、
 まだ氷期のまっただ中で、
 その時代に植物食料が安定的にあったとは考えにくい。
 ってことはよ、この土器出現のストーリーには、矛盾が生じるんじゃない?
 それに、土器がばんばん作られだしたのって、もっと後の時代で、
 それまでは見つかる土器も少ない。
 それって、もしかしたら、違う目的で土器を利用していたかもしれなくない?」

ということでした
お題にもあるように「再検討」を促すお話でございます。
土器の利用としては、植物を煮炊きするために土器が作られだしたということよりも、
出現期の土器の利用は、動物から脂や膠を採っていたのではないか、
というもの。
そうだとしたら、面白いなーと思いながら聞きました
あり得なくないよね。これ。

そして、次に、
山田康弘先生のお話。
『つくられた縄文時代ー日本文化の原像を探るー』を、
お読みになった方も多いかも(私は未読

ざっくりお伝えすると(こんだ解釈です、あくまでも)

「縄文時代は平和で、社会階層もなく、農耕もない社会だ、といってきたけれど、
 それって、本当?
 最近見つかっている、
 豆や、栗の長期的視野に立った管理栽培はどうやって解釈する?
 それに、漆製品の技術の高さを考えると、
 もしかしたら、スペシャリストがいたのかもしれない。
 そして、社会階層もあったかもしれない」

というもの。もう少し山田先生が突っ込んでお話をされたのは、
集団闘争がなかったと言い切っていいのか、どうか。というもの
いわゆる大規模な戦闘はなかったとしても、
集落ごとに何らかの小競り合いがあったとしても、おかしくないよね?
だって、私たちと同じ、ホモ・サピエンスなのだから。
もちろん、生きている環境は違うけれど、
もしかしたらまだその痕跡は見つかっていないだけで、
争いはあるのかもしれない。
今のようなえげつない闘争ではないにしてもね。

今まで通りの狩猟採集経済社会で平等社会で争いのない社会だと、

縄文時代を定義していくことに、この枠組みにあてはめて考えることに、
もう、限界が来てんじゃね?
ってことみたい。

そうだよねー。
だって、もう、気が遠くなるような年月をかけて、
野生の豆の粒を大きくて、管理しやすい豆に変えていくんだよ。
これって、何代にも渡って、食料生産を目的に行っている行為だよ。
稲作をすることだけが農耕じゃないもんね。

この解釈をどうするのか。
確かに、米みたいに豆がメジャーフードになった訳じゃないけれど、
(今の段階では言い切れないよね)
彼らの中に、
植物に対して積極的に働きかけていこうとする意志は見られるもの

先日お会いした山梨県北杜市の研究者である佐野さんもおっしゃってました。
後期以降は、社会階層があったと思われる、と。
ただ、その社会階層というのが、弥生や古墳時代の階層と、
一緒ではないと思う、と。

社会の成熟に合わせて自然発生的に作られる、
緩やかな階層なのかもしれないなと、
私は思うのですが、どうでしょうかね。


山田先生のお話は、なかなか刺激的でした。
もうそろそろ、縄文時代の実態を考え直してみようよ、
というメッセージのようにも思えました。

その後、弥生時代について藤尾慎一郎先生が、
「弥生長期編年にもとづく時代と文化」と題してお話をされ、
続いて、古墳時代について松木武彦先生が、
「古墳時代とは何かー『東アジア墳墓文化』の提唱ー」
と題してお話をされました。

先生がた、すみません。割愛させていただきます
どうしても縄文時代に力が入りすぎちゃって、
他の時代が頭に入ってこないんだよね

そして、シンポジウムで藤尾先生がお話されたことが、
私、とても衝撃でございました。

「縄文時代と弥生時代の境目はどこだと研究者は心血注いでいるけれど、
 もうそろそろ止めませんか」

というもの。

ひー。それって、すごい!

藤尾先生がおっしゃりたかったことは、

時代区分がどこなのかも確かに大事だけれど、
もっと人の暮らしに焦点を当てて、その流れの変化を追って、
通史として日本列島に暮らした人々のことを考えてみませんか、
ってことだったんじゃないかな。って私は思うの。

それって、とても自然なことで、
考古学は時代区分をするためのものじゃないよね。
歴史区分を解き明かすことは、物差しでしかなくて、
その先にある、人の暮らしを知るために、日夜研究者の方々は発掘をして、
遺物から生活を解き明かそうとしているんだと思うんだ。

だとしたら、時代区分論争をすることも大事かもしれないけれど、
もっと大事なことを見落としてしまったら、意味がないよね。

とはいえ、各時代の専門家の先生がたの研究を否定しているってことではないから、
そこは間違えて欲しくないですが。

ちょっと長くなってしまったけれど、
歴博の先生がたが言いたかったことは、
既存の枠組みをもう一度考えてみないか?
ってことだったように思います。

2019年には、新しい先史時代の展示がスタートするとのこと。
それを楽しみに待ちたいと思います

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