月別アーカイブ / 2016年10月

一気に寒くなりました

既に膝掛けかけて、仕事をしておりますが、
皆さん、体調は崩されておりませんか?

実はこちらの更新が滞っている間に
ちがうところで、連載をスタートしました。
つっても、5回だけですけれどね


シミルボン

 縄文時代の話とか、土偶の話をゆるーく書いていこうと
思っています。
よろしければ、こちらも覗いてみて下さいね

さて、またまたお知らせです。スンマセン

14595832_1179757478766162_3781544846291871973_n

こちらのイベントに参加いたします

14691091_1195626630512580_8452814291820348219_n


これはステージスケジュールですが、
この日は1日、この広場で遊べます 

14656320_1198810270194216_2758919792115805141_n

ちょっと、ちょっとおお、
ここに来たら、いろんな体験が1日でできちゃうじゃん

あ、⑦には私のコーナーもあるーーーーー。
ブースで書籍の販売をします
よかったら話に来て下さい



この配置、にくいのが、私のブースの隣りが

「土偶づくり」ブース。

いやー、にくいねー。配慮がうれしーーーーー

1日、楽しく過ごしたいと思います。

あ、違った

皆さん、秋の観光シーズンになりましたし、
山梨散策しがてら、

10月30日 甲府駅北口

に、御越し下さいねー
 

先日、新しい本の打ち合わせに行ってきました。
私を卑弥呼さまと呼ぶデザイナーさんからの提案は、
ほんとうにキレキレで

想像しただけでニヤけてしまいました。
「こんださん、すごく笑ってますね」
編集Mさんも笑ってました
一緒に取り組む全員が、同じ方向に向かって進んでいく。
当たり前に見えて、それって結構難しかったりします。
そういう熱量を持った本は
きっと読者さんの心に届くはずって思っています

さてさて
実は以前、北海道の講演会におよび頂いた時に拝見していたのですが、
縁あって先日、再び拝見する機会に恵まれた。

それはこちら
IMG_4294

「縄文太鼓」

あ、違う太鼓が見たかったわけでなく

縄文太鼓の演奏者、
茂呂剛伸
さんの演奏を間近で拝見することができました

http://www.goshinmoro.com/index.html




茂呂さんは様々なイベントでの演奏や、
縄文太鼓を作るワークショップ、
そして教室などを運営するかたわら、
素敵な活動をされています。

あちこちの縄文遺跡に赴き、
縄文時代の層の土を特別な許可を取って採集し、
それを粘土に練りこんで土器を作ります。
そうして焼き上がった土器にエゾジカの革を貼って
その遺跡で演奏する、というもの。

これってめっちゃ凄くないですか?

私とは方法が違いますが、縄文文化を広める活動ですよね
それも、小難しいことを言うのではなく、
「音」という万国共通、そして時代を超えるコミュニケーションツールを使って。

縄文時代にも土器を使った太鼓があったのではないかといわれています。
有孔鍔付土器、といわれる土器がそれです。
ただ、実際にどうだったかは分かりません。
ですが、古今東西どんな世界にも音楽は存在し、
その音色と波動を使って見えない存在と交信した、
と民族学などでは考えられています。
と、するならば、どんな材料を使って作った太鼓かは分かりませんが、
縄文時代にも太鼓はあったことでしょう

で、茂呂さんです。
先日持参下さった縄文太鼓は

江別市大麻第五遺跡で出土した、
 大麻五式土器をモチーフにした複製土器です」

とのことでした。
縄文時代前期末ごろの北海道江別市の遺跡です。

茂呂さんの音は、
ただ単に縄文時代の音をイメージして現代に蘇らせる、ということに留まらない、
もっと身体と心の芯に響く音の再生なのではないかと感じています。

できれば多くの人に体感して頂きたいなと思ったりします。

京都でイベントを組んで、茂呂さんをお呼びできたら、めっちゃ楽しそう
無理だろうけど
例えば東京で出版記念イベントをする時に、
来ていただくとか?
無理だろうなー

今、いろいろなアプローチで縄文文化を発信している人がいます。
出会いは何でも良いと思うのです。
茂呂さんの音楽から興味を持って、土器を調べてみるとか、
ヤミラちゃんのドッキーに興味を持って土器を調べてみるとか、
望月さんの縄文ZINEを読んで友達と縄文話をしてみるとか、
私の本を読んで土偶を作ってみるとか。

縄文文化との出会いの場はたくさんあった方が良い

ということで、縄文太鼓の演奏者、茂呂剛伸さんの活動は、
要チェックでございます

IMG_4305


で、体験した私。

いやー、リズム感ゼロ
なんですか、この必死感満開で、どんくさい感じは

隣りに映っているのは、國學院大學博物館の学芸員の石井匠さん。
もう、余裕の笑みで芸術家のよう。

皆が笑顔になれる時間は大切にしたいものです


IMG_4099


この坑の話ではありません

ちょっと縄文時代の暮らしに関して考えておりました。

いったい、どういう社会だったのか。
それに関してどれだけ考えても明確な答えはないわけですが、
ひとつ私が思っているのは、

「ひとの嫌がることをするやつは、結局生き延びられない」

って環境だったのではないかと思っています。 

今でもそうですが、
縄文時代のように、食べることと生きることがより密接だった環境で、
自分だけたくさん食べようと、人が持っている食料を横取りしても、
その場は心も体も満たされるかもしれませんが、
結局は、相手に対して行った「意地悪」だけが周囲の記憶に残って、
横取りしたその人は、もっと苦しくなった時に、
他からの援助が貰えなくて、
生き延びることができなくなったのではないか。

人だから、いろんな感情はあります。
当たり前です。

「あいつはいつも皆にちやほやされて、羨ましい」
「あいつはいつもお腹一杯、皆から食べ物を分けてもらえて羨ましい」
「いっそのこと、その食料を腐らせちゃうのもいいかもな。
 そしたらあいつ、きっと困るに違いない」
「そしたら皆がこっちに食料を分けてくれるんじゃないかな」


竪穴住居の中で焚火に当たりながら、こんな独りよがりなことを考える人も
中にはいたかもしれません。

でも、それを行動に移してしまっては、
結局自分の首を絞めるだけだと、彼らは分かっていたんじゃないかなって。

小競り合いはあったはず。
嫌いなやつもいたはず。
でも、相手を痛めつけても、そこには何も生まれないことを、
彼らは知っていたんじゃないかと思います。

ま、これは、私の希望的観測ですけれどね

気持ちよく皆で狩りに行き、仕留めた一頭の肉を分け合う。
誰が一番上だとか、そんな小さなことに拘らず、
おおらかに、厳しい時代を生き抜いた人たちだったら、いいのになって
狩りの腕を競い合うなら良いですけれどね

そんなことをちょっと考えたりしています

 

↑このページのトップへ