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すっかりすっかりご無沙汰してしまいました

なんだかバタバタしてしまって。
ですが、
「ブログ、よんでます」
というお声を頂戴することが結構ありまして、
あ、ごめんちゃい、最近更新してません、と反省する次第


さて、

今日はちょっとこんな一節から。


どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ かごを置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる

茨木のり子


小学校の先生がおっしゃっていました。

愛国心を植え付けるような道徳を勉強させるよりも
縄文時代をきっちり学んだ方が、
子供にとっては、平和が伝わるんじゃないかと。

なるほど、そういう考え方もあるでしょう。
何が正解なのかは私にはわかりませんが、
縄文時代がラブandピースだけの世界だったのか、どうか。
確かに「大規模な争いの痕跡が見つからない」と
言われます。
きっとそうだったと私も思います。
そうでないと、生きて行けなかった、ということもあったでしょう。
争いを起こさないことが、
自分を守る手段の、ひとつだったのかもしれません。
だとしても、人が集まれば小競り合いはあったはずです。
その小競り合いが起きた時の納め方が上手かったのかもな、と、
ちょっと思ったりします

今の暮らしは、とことんまで相手を追いつめがちです。
これは自戒を込めて。

縄文時代がユートピアだったとは思いませんが、
それでも小競り合いを大競り合いにすることなく、
「ま、お互いさんやしね」
といって、身を引くタイミングを知っていたんじゃないかと、
ちらっとそんなことを考えた選挙期間の一日でございました。