月別アーカイブ / 2016年02月

★お知らせ★

秋頃に、
新刊を出させていただくことになりました。

これもね、話しだすと長くなるのですがw
担当してくださる女性編集者が、頑張り抜いてくれました

感謝しかありません。
本当に感謝です。

よく言われますが、
私は周りの人に、恵まれます(断言)
ありがたいです。

「一緒に頑張って作っていこう!」

と言って下さる方がいることほど、
心強いものはありません。

というか、こういう方々がいなければ、
わたしひとりがどんなに叫び続けても、
形にはなりません。

だから、周りにいて下さる方に、本当に感謝です

内容ですが、今回は土偶ではなく、

『縄文』

です。
私が書くんですから、難しい訳はありません
というか、書けませんしね

楽しく、さらっと一冊読み通すことが出来る
カジュアルな縄文本をお届けしようとおもってまーす



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これ、いただいちゃいました。
私の名前は「譽田亜紀子」と言いますが、
この「譽」の部分が、火焔型土器に見えると。

脱帽でござる

でね、♥️になってるのですよ、土器の中央の穴が!

なにこれー。やだー。かわいいー

土器にはあまり興味の無い私ですが
これには惚れちゃいました

さてさて、
Facebookには書いたのですが、

「縄文時代に、人骨を使った装飾品はあったのか、どうか」

ということが気になっていました。

というのも、オセアニアの島々の中には、
人骨や歯を使った装飾品が見つかっているので、
身の回りのものを素材にしていた縄文人たちは、
どうだったんだろうと思っていたのです。

人も自然の一部と考えていたならば、
場合によってはあり得るのではないかと。

呪術的な意味合いかどうかはわかりませんが。

で、資料を見ていたら、ありましたよ

でも、残念ながら、縄文ではなく、弥生でございました

いや、正確に言いますと、私が持っている資料では
「縄文晩期」となっていますが、
どうやら現在は弥生時代と修正されているようです

群馬県にある八束脛洞窟遺跡から出土したもので、
歯と指の骨に綺麗な穴があけられていますので、
きっとネックレスにしていたのでしょうね

オセアニアの場合、身体が朽ちて無くなるまで待って、
その後、人骨を採取して加工していたらしいのですが、
ここの人たちはどうやっていたんでしょうか?
また、どんな思いでアクセサリーにしていたんでしょうか。

いろいろ想像が膨らみますね
故人といつまでも一緒に居たいと思ってのことだったのか、
ただ単に、素材としてみていたのか、
はたまた、もっち違う意味があったのか

あ、そういえば、
明後日はスタジオでの撮影があります
いろいろ新しいことをする一年にしたいとおもってまーす





 

暑かったり、寒かったり

皆さん、風邪などひかれてませんか?

ちなみに私は元気いっぱいでございます


さてさて

先日、出身地である岐阜県の貝塚を訪ねました。
というのも、3月に母校の小学校にて、
お話をさせていただくことになったから

まずは自分たちが暮らす大地の下には何があったのか、
という話が出来ればと思って、見に行ったのです

いやー、知らないことだらけで、私が勉強になりました

お邪魔した遺跡はこちら

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庭田貝塚:縄文時代前期から集落が作られ始め、貝塚は中期あたりに出来たとか。
     ちなみに、貝はマガキとかハマグリとかが出ています。

周りはふつーーーの畑。
その中に突如現れる貝塚。
それも、岐阜県唯一の貝塚ですよ!(あとで、もうひとつでますが)
岐阜県は、海なし県なのに、貝塚
(海産物系のね)

ここは、この写真の区画以外は、私有地なので、
勝手には入れませんが、なかなか興味深い。
貝塚は発見されていますが、集落跡は見つけることが出来なかったとか。
このあたり、結構土石流が発生していて、
その下に遺跡が潜り込んでいる可能性がある、と。
でも、貝塚があるってことは、人が暮らした証ですからね。
周辺で人の営みがあったのは間違いないです。

そして、次に訪れたのが、こちら

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なにもなーーーーーーーい

と見せかけて、ここも貝塚があった場所です。

羽沢貝塚:縄文時代の前期から晩期にかけての遺跡です。
     ここからは、土偶、人骨、土器、骨角器、甕棺、石器など沢山の遺物が出ています。
     特徴的なのは、山陰、北陸、近畿の土器も発見された、ということ。

このだだっ広い土地に、お墓と集落があったようです。
9ヶ月の子供の骨は土器の中に納められた形で発見されています。
それに、イヌも丁寧に埋葬されていたんですって
(ところが、丁寧に埋葬されていない、イヌの骨もあるらしい。
 こちらは、食べていたんじゃないかって
 イヌも厳しい世界だな。縄文人の相棒になるか、食料になるか)

イワシやサバ、ウナギ、中にはサメの骨もあったり、
シカ、イノシシがほとんどですが、
中には、キツネやイタチ、タヌキの骨も出ています。

確かに、私が子供のころには、キツネがいました
サルは山に普通にいたし、イノシシは、時期になるとおっちゃんたちが
猟りに出掛けていたような。

縄文時代から、変わらんということです


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落ちてます、ヤマトシジミの貝殻。

ここから出土した縄文人の骨のコラーゲン分析によると、
そこまで魚介が多いというわけではない、とのことでした。

海津市教育委員会の日置智さんのお話ですと、

「魚介はたまに食べる贅沢品だったのではないかと思います。
 基本は、養老山脈の山の幸。たまに、魚、というかんじでしょうか」


貝塚といわれると、どうしてもあの加曽利貝塚のような
「あんたら、貝ばっかそんなに食べて、どーすんの!」
的な貝塚をイメージしますが、
こちらの縄文人はそんなことありません。

非常にバランスよく山の幸、海の幸を食べている印象です。

地形的に、海がすぐそばにせまり、そして養老山脈が背後にある、
この扇状地は、貴重な場所だったんでしょうね。
この山脈を超えた員弁のあたりには、
そこそこ大きな集落があったようですから、
そこの人たちと行き来していたのかもしれません。


そして、何が驚いたって、土偶が出ていることに驚きました
地元から、出てたなんて。

小学生に
「地元を知ろうね

なんて、ゆーてる場合じゃないですね
まずは、私が知らねば。

これらの遺跡から見つかったものは、

海津市の歴史民俗資料館で見ることが出来ます

http://www.city.kaizu.lg.jp/life-guide/life/public-facility/culture-facility/siryokan.html


駆け足で廻りましたが、
改めて勉強になりました。
子供の頃には、ちーーーーーとも興味が無かった貝塚
今になって、その威力に打ちのめされる私です。

で、お昼ご飯は、縄文人も食べたであろう

「うなぎ」

食べました

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オススメです






 

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