2012年8月のつぶやき

8月1日

 なンかいいネタはないかなあ、どっかに落ちてないかなあ、と、表現者がそう思ったら、それは集中力の欠如。最早、表現者足り得ない。今回のオリンピックほど、集中力の凄さをまざまざと見せつけられた事はない。

 集中力は、自分そのものなのだ。プレッシャーに負けず、平常心を保ち、いつもの自分でいる事。それがいかに難しい事か。

 

8月3日

 勝って泣くのはいい。良い涙だ。しかし、柔道で負けて、大の男がカメラの回っているところで泣き崩れるのはどうか。敗者は勝者の品格を学べ。再び、この場でもう一度戦うのだと心に誓うのならば。

 泣くといえば、「怒るという行為には、全人格が表れる」というのが、僕の哲学である。もし、恋人やビジネスパートナーを作るのなら、その人が、どういう怒り方をするのか、どンな事で怒るのかをよく見極める。その人の本性が一番表れるのは「怒り」だ。

アイドルを多く育て上げたプロデューサーの話しだが、そのタレントがどンな人間なのかを見極めるために、わざと怒らせて反応を見るというエピソードがあった。口調がガラリと変わったりして、怒り方に、生まれ育ちや人格が出ると。その手にのらず、唯一冷静だったのが、山口百恵さンだった。納得。

8月4日

 食事に行っても、バーに飲みに行っても、ほとンどの人がスマホやケータイを見る。ひどい人になると平気でiPadを出す。飯を食う時は、食べ、飲み、会話する事に集中するのだ。食事中ぐらい、情報から解放されてはどうか。その数時間で、世界は変わらないよ。

 かと思えば、レストランに行ったら、ワインリストがiPadだった。イヤイヤ、そこは紙でしょうに…。

8月5日

 出来上がったネームを見せにくる弟子たちが急に増えた。感想を聞きたいから来るンだろうが、僕は、雑談をするだけだ。一時間でも二時間でも、そのネームに関係のない話に終始する。そうする事で弟子たちは、自信のある表情になって帰って行く。

 僕は、弟子たちと会うのが実に楽しいからよく喋る。その僕の嬉しさが伝わるンだろうよ。今日は四人、明日は三人くらい来るかもなあ。待ってるよ?。くっだらない話を、いっぱいしよう。

8月6日

 先週、水俣病救済が締め切りられるというニュースを見てから、石牟礼道子さンの本を読み直している。水俣病患者のこの何十年という苦しみと闘いに対する国や企業の対応を考えると、今回被災された人々のこれからを心から憂う。

 ガンジーは「文明はマイノリティの扱いによって判断される」と言った。国は驚くほど冷徹な仕打ちを自国民に強いる事がある。国や東電の慇懃無礼な言葉は、ヤクザの恫喝より恐ろしい。

 

 僕は、読者を考えさせるよりも、興奮させる漫画が描きたいなと思ってきた。だって、漫画なンだから。エンターテイメントなンだから。でも、荒川弘さンの「銀の匙」を読ンでいると、考えさせられる漫画もいいな、と思う。

   

8月7日

 ロンドンオリンピックを見ていてイイなと思うのは、表彰式でメダルや花を持って来る人が普通の男女だという事。正直、民度の低い国って、自国の美人を他国にアピールする。某国の喜び組みたいに。前回のオリンピックも、国中の美女を集めましったッて感じだったのだが、英国は成熟した国だなぁと思う。

 家人が、しつこくVintage Trouble を大音量で聴くもンだから、サビ、覚えちゃったよ!!77才でも、ロッケンロール魂あるンだな。ぶるーす はンど みー だうンッ みたいな!?

8月8日

  「伸び悩み」は、創作者の宿命である。急に才能が無くなったり、時代に後れをとっている訳でもない。努力もしている。しかし、伸び悩む。だが、第三者から見ると、明らかな理由がある。

 

 伸び悩ンでいる時は、守りに入り、小さくまとまっている。他人の成果ばかりを気にしすぎている。 「創作者は、創作において、危険に生きよ。」

 佐伯泰英さンの「惜櫟荘(せきれきそう)だより」読了。岩波書店の熱海の別荘だった、吉田五十八の名建築「惜櫟荘」が解体復元される様子がつぶさに描かれている。佐伯さンの若き日の思い出と、名建築の昔日の姿がリンクして描かれており非常に面白い。

 

 吉田五十八の美しい建築を想いながら、六本木のゴミのような街並みを歩く。例えば、ジブリ映画に描かれた風景や建築に、皆、あれほど憧憬するのに、現実の日本の街並みは何故これ程までに破壊されたのか。

 僕は、秘かに建築好きなのだが、今すごく嫌いなのは、コンクリートに木目をプリントした建材。あれ、凄くダサいのに、オシャレ建築に何故かよく使われている。なンで?

 夏祭りだ、花火だと街でよく浴衣姿の女性を見かける。だが、まともに来ている女の子を見つけるのが難しい。襟合わせはきっちりと、背抜きは控え目に、着丈はくるぶしの位置。髪は小さくキリリと結い上げる。これが一番美しい。伝統衣装の着付けに「今どき」はない。

 百歩譲っても、足元のサンダルやミュールは絶対に駄目。下駄を用意出来ないのなら、浴衣を諦めるべき。親は注意しないのかな。

 あと、着物や浴衣姿で一番大事なのは、なンと言っても「姿勢」。背筋のピシッと伸びた着物姿は、本当に美しい。

  

8月10日

 テレビで、ゆとり教育が良いのか、つめこみ教育が良いのかと、色々な人が出て討論していた。僕が思うのは、ゆとりでもつめこみでもどうでもいい事で、ただ、高校へ入った瞬間から待ち受けているのは競争原理の社会だということ。

 大学ではもちろん、一般社会では生きていくということは勝ち抜いていく事と同じ事になる。漫画の世界でも、人気のアンケートで負けた漫画家は落ちてゆく。そンな凄まじい社会が待っているのに、競争原理を教えない教育というのは、よくわからない。

8月11日

 今、コミケの真っ最中だ。ここに集まる人たちは絵心+萌え心がある。僕には絵心はあるが萌え心がない。それでも行きたいと思うのは、素晴らしい絵心のある作品に会いたいと思うからだ。だが…この暑さでは行けるだけの体力がない。残念。去年のコミティアでは「凍りの掌」を買わせてもらい、出版した。

8月12日

 獲得したメダルを噛むパフォーマンスに、何か意味はあるのだろうか。僕はあまり好きじゃないなあ。

 漫画とは通俗的なものなのだ。たとえ作者が、本を読ンで考えを深め、体験を積み、教養を蓄えたとしても、読者の目には、まず通俗の姿で現れるのだ。その通俗の中にこそ作者の優れた資質が滲み出る。通俗の中にこそ真がある。それでこそ漫画だと思っている。

 少し若い頃、「女の腹から生まれた男は女のために死なねばならない」、こンな言葉を色紙に書いていた。ふっと思い出したのだ。知ってる人がいるかもしれない。これまでに、キャラクター論を五冊書いてきた。ひとまとめにして、「マンガのへそ」というタイトルで書こうと思う。即、今日から。

 キャラクターはへそで繋がっている。それを生み出す人と。東京のへそは杉並の大宮八幡宮。大阪のへそは南港のあたりだ。まあ、そンな事も織り交ぜながら。(小池一

8月13日

 いよいよ「れんまん!」開始日が近づいてきた。NHK総合にて今月19日午前0:10より、漫画家の戦いが始まる。西原理恵子さン、田中圭一くン、おおひなたごうくン、和田ラヂヲさン。

 僕は審査する方だ。めっちゃ面白いよ。審査してる方が笑い出しちゃうぐらいだからね。田中圭一もおおひなたごうも、僕が目の前にいるのでやりにくそうだった。諸君、ぜひ観てくれたまえ。

8月14日

 3.11以後、奇妙な日常が戻りつつある。3.11以前の穏やか日常が戻って来て欲しい。しかし、一方では、あの地震以前から既に世界は静かに壊れつつあった。

 日本で自死を選ぶ人は、十年以上三万人を越えていた。犠牲者を心から悼むのであれば、僕達は、3.11よりもより良い日常に戻らなければならないのだ。

8月15日

 19日の深夜24:10にNHKで放映になる「れんまん!」だが、これは漫画家を目指している人たちにとって、実に参考になる。

 

 一枚の画用紙を二人でコマを割る。交互に一コマずつ割っていくから、最後のコマを誰が取るかで勝敗は大きく変わる。構成と構図とプロのコマ割りを目の当たりにする事が出来る。観るべし!

 

8月16日

 チャンピオンの「刃牙」が終わった。板垣よ、二十六年間ご苦労さン。俺も二十六年間「弐十手物語」をやったが、終わった時はなンかさみしかったなあ。銀鱈で一杯やろうよ。刃牙を肴に。

 板垣から電話があって、26年じゃなくて21年だと怒られた。まあ5年ぐらいどうってことねえや。一杯やろうや。

8月17日

 板垣と一杯やる日取りがだいたい決まった。ホント、一年ぶりぐらいだろう。そういう弟子と会うというのは本当に心待ち出来る楽しさがある。

 少し休ンでから自衛隊の話を描くというが、二十キロの装備を背負って八キロ走れますか?と言われたことがあった。走れるわけねえじゃねえか。十年も前の事だけど。ああ、待ち遠しい。(小池一夫

8月18日

 僕の机の前に小島剛夕さんの画軸が掛けてある。「世の中急ぐ事もないよ。刻が経てば陽も暮れるしちゃんと世は明けるもんさ」カタツムリの絵にこの言葉が乗っている。お盆の終わりにいつも僕はこの言葉を噛みしめる。焦らないでゆっくりいこうと思うが、なかなかそうはいかないよなあ。

8月19日

 命あまさず使いきれ。今日はどうにかセーフでも、明日はアウトかもしれない。でもね、今日はアウトだと絶望しても、明日になればセーフかもしれない。とにかく、生きててなンぼ。与えられた命あまさず使いきれ、最後の一分一秒まで。

8月20日

 「れんまん!」一回目が終わった。弟子だから言うわけではないが、おおひなたは頑張ったと思う。和田さンが全く肝だめしの方向へ行こうとしないので、それを必死に引き戻そうとしていた。その努力とラストのコマを買って、おおひなたの勝ちとした。

 だいぶ僕の発言なンかがカットされていたけれども、まあそれはそれでいいか。来週の、弟子の田中圭一の相手は、すこぶる強敵だ。僕はどっちにも味方しないよ、審査員だから。公明正大。

8月21日

 オリンピックのメダリストの銀座パレードのニュースを見て思うのは、この人達は一人残らず、「良い時間の使い方をした者」という意味でも勝者なのだ、という事。面白い作品を読ンだ時もそう思う。この作者は意味のある時間を重ね、この作品という結果を残したのだなと。

 当然寿命は決まっていて、一日たてば、一日減る。日常の名のもとに忘れがちだけれど。疾走する時期もあれば、うなだれて下ばかり見てしまう時期もあるが、毎日毎日つまンねぇと、時が過ぎゆくままに生きる事は本当につまらない。

 漫画時代の幕を開けた名編集長の一人が亡くなった。僕と同い年だったと思う。肺ガンになりながらも、平気でタバコを吸っていたという豪気な男だった。口も悪かった。よく喧嘩した。ゴルフもし、麻雀もした。心から冥福を祈る。密葬だということなので、ツイッターを使わせて頂いた。合掌。

8月22日

 You tube で音楽を聞くけれど、その曲が良ければ必ずCD を買う。街の本屋を通りかかると、そこで本を買う。製作側の人間としてではなく、消費側の人間としてそうする。消費者は、文字通り消費するだけでなく、消費の仕方によって、文化を支える責任がある。

 一見得に感じる消費は、長い目で見ると、ブーメランみたいに消費者の負担や不利益として、有形無形に戻って来る。対価はフェアに払うのが結局は一番安くつく。経験として。

8月23日

 「眼高手低」という言葉は、よくも言い得ている。日本全体が、眼高手低である。ネットであらゆる情報を仕入れ、日本人総批評家である。それなら自分でやってみろと言われると、大した事は出来ない。目も高く、そして手も高くありたい。人生は、実際に行動して結果を出してなンぼである。

 その「結果」は人それぞれ。毎日を穏やかに丁寧に生きたい人も、100万部売れる本を書きたい人も、国を動かしたい人も。結果を出すためには、とにかく「行動」。

 時代劇を描いてきた僕が心に傷を負った事の一つは、郵政の都合で昔からの町名を勝手に変更された事である。狸穴(まみあな)、霞町(かすみちょう)など、いつのまにか勝手に変更された。歴史を変えることが行政の都合で出来る事なのか。

 今、竹島や他の島々を巡る問題に直面してオタオタしている日本の外交。色ンな事を放置してきたり、勝手に変えてきたりした事のツケが、回ってきたンだなあ。今回もなあなあと先送りするのか。

8月25日

 以前、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪れた時は、今回の様に大騒ぎにはならなかった。日本の今までの領土問題に対する弱腰の姿勢が、韓国の一連の行動を誘発した面もあると思う。なめられているのだ。日本は、冷静に対応しながらも、ブレない強い態度を内外に示すべきだ。

8月26日

 今夜は「れんまん!」の第二回めだ。NHKでオンエア。出場者は、田中圭一くンと、西原理恵子さン。この組み合わせは実に…なンというか…言葉がないね。西原さンにしてみれば相手不足というぐらいだろうけど、田中くンもやっつけてやれ。

8月27日

 全てを説明しきった漫画はつまらない。「言い残したこと」を作品の中に含ませる。全てをクリアに描くのは野暮である。あえて説明しなかった事による余韻や予感。それが、次の作品への期待を膨らませるのだ。

 弟子の話によると、連載中にあえて伏線を回収しなかったり、設定を微調整すると、匿名掲示板等で色々書き込まれるそうだ。いつも思うのだが、創作や表現を生業とする者は、ネット掲示板みたいなモノを見るべきではないね。自分の作品がブレる。自分の感覚を信じるのだ。何も失う物がない者と争うな。

8月28日

 NHK総合の「れんまん!」再放映になる。しかも、すぐにだ。木村さン、おめでと。これが流行るといいですねえ。

 僕も元気を出さなきゃと思って、久し振りに居合を使った。左腰三寸ほど鞘ごと抜いて刃を思いっきり外に向け、フランスパンを切った。だが、そこまで。刃を鞘に戻せなかった。これからは、模擬刀を使う。

8月30日

 「自由すぎる事」は、決して良い事ではない。漫画は締め切りや枚数等の制約があるからこそ、面白い着想や表現が生まれる。が、売れると作家の意見が通り縛りが緩くなる。それでワキが甘くなり面白くなくなった作家は沢山いる。長く創作を続けるのなら、自分の裁量が増した時こそワキを締め直すのだ。

 「自由すぎる事は良い事ではない」は、人生の万事に通じる。例えば、匿名で何を書いてもいいネットの意見の中に拾うべき意見が圧倒的に少ない様に。子供にゆとりを与え過ぎた教育政策が芳しい結果をあげなかった様に。「自由」とは、手に入れてみると、かなり重い責任を伴う「不自由」である。

8月31日

 創作、製作、表現者は、受け手が「身銭を切って作品を買ってくれる」という事実を骨身に沁みるべきだ。自分が創ったモノを、この不景気の中、実生活で稼いだ金で買ってくれる。凄い事だ。AKBのファンが、一人で何百枚もCDを買うという事は、賛否両論あるが、それだけの魅力と力が実際にあるのだ。

 若い人がよく勘違いしているのだが、自分の人生は、過去によって作られるのではなく、未来の希望によって作られるのだ。77才の僕でさえ、未来への希望へ賭けているよ。過去の忘れたい出来事やトラウマに囚われるな。未来への可能性が、今の自分を救うのだ。経験として。