月別アーカイブ / 2012年05月

2012年5月のつぶやき

5月1日

 よくよく考えてみると、老人による老人エッセイ漫画というジャンルってないね。描いてみようかな。若い人を見ていると、歳をとる事を恐れ過ぎだし、若いうちから老後の不安を取り越し苦労しすぎ。結構、悪くないですよ、老人。題名は「年寄りは弱虫がなれるもンじゃねえ」にしよう。VIVA !老人!

5月2日
 
 僕は、映画やDVD(主としてアメリカの実写版)をただ観ているだけではなく、キャラクターの考えを見抜き、次の行動を予測する。背後にある制作者たちの意図も見抜ける。そこに楽しさを感じる。意表を突かれて見抜けない時は、さらに楽しいものになる。(小池一夫)

 それに比べて、今のマンガはすぐにネタがわかってしまう。段々と、マンガ離れになってしまう自分が悲しい。マンガよ、昔の苦労を思い出せ。簡単に創るな。七十六歳を迎えた今だからこそ、言える言葉かも知れない。(小池一夫)

5月3日

 「日々平安」という言葉がある。日々平安だからこそ、色ンなキャラクターたちが生まれる。ドラマが生きる。災害の連続と、何もしない政治と、明日はどうなるかわからないという経済状況の中で、自殺者が三万人を超える。日々平安であることが出来ない。(小池一夫)

 日々平安でない世界。そこには、ただ生き延びるという現実しかない。殺人、事故多発、大雨。相変わらずゴールデンウィークも、平安ではない。表現者がキャラクターを創っても、読み手は感情移入しない。生きられればいいという時代になってきているからだ。(小池一夫)

 今生きている人間たちがすなわちキャラクターになっているンだ。なンとか必死に生き延びよう、なンとか子供だけは守りたいという、そンな願いしかないンだろう。(小池一夫)

 日々平安は退屈という現象を生む。だからキャラクターたちが活躍出来る。今は毎日怯えて暮らさねばならない。僕には怖さはないが、いよいよ喜寿を迎える。喜寿を迎えて初めて、老人日記とも言うべきものを書いてやる。もちろン、マンガでね。(小池一夫)

5月5日

 表現者は「考える人」であり、「行動する人」である。深く考え、そして、その考えをもとに作品を作るという行動に集中する。また「考える人」たるために、行動し、様々な知識や情報を自分の中に集積するのだ。考えよ、そして、行動せよ。さらに、考えよ。そうして、自分の作品が深化・進化していく。

「考える人・行動する人」でいる為のコツは「一切考えない、行動しない」、馬鹿みたいに「空」でいる時を作る事だ。それで、また「考え、行動する人」に戻れる。(小池一夫)

5月6日

 田中みなみの創った会津若松の八重ちゃんのキャラクターが動き出した。列車に掲示されたり、どンどン拡がっていくだろう。これからが本番だ。田中くンを連れて会津若松に行く日も近い。

5月7日

 てのひらのシワとシワをあわせて、「しあわせ」 げンこつとげンこつをあわせて、「ふしあわせ」 げンこつは、節(ふし)。 小池語録 (小池一夫)

5月8日

 近頃は何をするにも、まず「情報」ありき。他人による分析や評価やデータや数字に頼りすぎる。「情報」よりも「情」や「情熱」や数値化出来ない事に、大事な事や面白い事は多い。恋愛とか、人の心のちょっとした毒とか。他人の情熱で頭を一杯にしないで、自分の頭で考える。それが、個性という事。

 自分の個性という「型」をしっかり作らないと、何かが流行るたび、あっちにフラフラこっちにフラフラ。誰かに何か言われるたび、心もフラフラ。自分の拠り所はあくまでも自分自信だよ。人は変化し続けるものだけれど、ブレてはいけない。(小池一夫)

5月9日

 スマホやタブレットのCMで、機械の擬人化が気持ち悪いなあと、見る度に思う。有名俳優が、スマホに扮して使用者に親身に対応したり、まるで親兄弟や友人に話すようにスマホに喋りかけたり。機械は機械、なンで人間扱いに表現するのだろう。すごい違和感を感じる。(小池一夫)

 ロボットの開発の方向もそうで、ロボットとしてのキャラクターが起ったものは、擬人化していても違和感は無い。アシモの様に。だけれど、ひたすら人間に近付けようと、人工皮膚とか義眼とか植毛しているロボット(アンドロイド)は生理的に気持ち悪い。人間は機械じゃないし、機械は人間じゃない。

5月10日

 自分でも怖いなって思うくらい色々な事が上手くいく時がある。でも心配する事はない。それが、ずっと続きはしないから。何をやっても上手くいかなくて、どン底な時もある。それも心配する事はない。ずっと続きはしないから。上手くいったり、下手うったり。でもね、生きてる限り希望が尽きる事はない。

 他人に、あいつは終わった、とか、あいつはもう書けないなンて言われる事など大した事じゃない。人は他人の人生について色々な事を無責任に言う。本当に恐いのは、自分の中で「俺はもう書けないかもしれない」と思ってしまう事なンだ。そういう時は、ひたすらがむしゃらに書く。その思いが消えるまで。

5月11日

 「個人主義」が「孤人主義」に変わりつつあると最近強く感じる。「個」や「私」の楽しみや自由ばかりを求めたあげく、社会から孤立していく。「孤独」と「人と繋がる」。それは、二者択一ではない。その両立のバランスは、やっぱり自分の経験から学ぶしかないンだよなあ。(小池一夫)

 「個」や「孤」は自分の事ばかり考えていればいいのだから、それは自由だし、楽しい。でも人生に何かがあった時(往々にしてある)、自分一人だと、自己否定の無限地獄だ。責めるのも自分、責められるのも自分。やっぱり、人に善くする人が、人に善くされる人なのだ。(小池一夫)

5月12日

 昨夜は、宇宙の、地球の、日本の、東京の、江東区の片隅のバーで、妙なる響きのジャズを聴く。つきだしに出された 春雨サラダをアテに、ウイスキーを三杯。なンとうこともない、しかし大切な77年分の1日。いやー、しかし、年寄りの夜遊びはたまらなく楽しいね。(小池一夫)

 モテない、恋人が出来ない、と自嘲気味に若い人から打ち明けられるのだが、まず、「自分語り」をやめなさい。将来の不安や孤独など誰もが抱えているのに、自分より問題を抱えている相手を伴侶としたい人がいるはずもない。自分の力でどうにかなるものを、他人に乞うべきではない。(小池一夫)

5月14日

 昨日月曜日は、早く寝たのでツイッター送れませンでした。その前日の日曜日、諏訪から弟子の池田くンが僕の誕生日の祝いに麻雀をセッティングしてくれるというので、車で四時間駆けつけてくれました。 (小池一夫)

 都内で池田くンの弟子二人と池田と僕で、麻雀をしました。やはりプロ級の腕の池田と一騎打ちになりました。結果は池田の三勝二敗。僕がひとつ負け越しました。でも、楽しい一日でした。麻雀代や食事代は、全部池田が払ってくれました。(小池一夫)

 僕が池田に三万点の差をつけられた最終回、僕のラス親で、僕は、倍満をツモ上がりました。こンな劇的な事は、七十七年の人生でも滅多にないことです。チートイツのドラドラで東単騎のリーチをかけて、もうツモがないという時に、劇的に東を引いてきました。(小池一夫)

 リーチツモチートイツドラドラ、裏がまた乗ってました。ドラ四で、親の倍満。一人から八千点ずつもらい、逆転トップ。誕生日に相応しく、一生の思い出になるでしょう。池田、高橋、青木くン、ありがとう。(小池一夫)

 
5月15日

 「言葉の恨み」は恐ろしい。何十年前に言われた一言を、人は決して忘れない。逆に「人を救う言葉」もある。人の口から発せられた言葉には、それほどの力があるのだ。自分が発する言葉の重みを、いつも心の隅で自覚する事。その人の人間性の軽重を、人はまずその人の言葉で判断する。それは概ね正しい。

 人気のある漫画は、やはり使われている言葉が良い。漫画の技術云々よりも、先ずは、自分の言葉でどンな物語を紡ぎたいのか。そこを明確にして描き始めないと作品はブレてしまう。漫画家は、もっと言葉に自覚的であるべきだ。(小池一夫)

 橋下大阪市長の機関銃の様な質疑応答やツイッターでの一連の言葉を見ていると、彼は、言葉は最強の武器であると理解している人である。生半可に彼に立ち向かっても討ち死にである。まあ、個人の公開集団リンチがお家芸のマスコミには橋下市長ぐらいの強さが必要なのだろう。(小池一夫)

5月16日

 負けの少ない、恥の少ない、後悔の少ない人生を送れる者は幸いである。でも、77まで生きて思うのは、そンな人生は存在しないという事である。確かにその時はツラい。しかし、辛い時ほど、ギャーギャー喚かない、なンて事ないさッてフリが出来る、それが大人である。(小池一夫)

 勝ち戦しか知らない、フラレた事がない、金に困った事がない、金で買えないモノはない、自殺を考えた事がない、などと言う者は、人生経験の少ない者か嘘つきの証である。(小池一夫)

5月18日

 夢は諦めなければ叶う、と無責任には言えない。子供の頃、将来の夢はプロ野球の選手です、と文集に書いて実際にプロになれる者など極々一部だし、なれたらなれたで死に物狂いの競争だ。しかし、夢を見るなとは絶対に言わない。夢さえ見ないで何の人生ぞと思う。生きてるうちしか夢は見れないンだぜ。

 叶わなかった夢は、その後の人生の、特に老年になった時の、一番の甘美な慰めになる。人生の大半の事は、時が解決してくれる。(小池一夫)

5月19日

 六本木の本屋で会計の列に並ぶ前の女性が、首の回りをぐるっと囲む、十字架のネックレスを模したタトゥを入れていた。デザインも技術も稚拙で、とても目立つものだった。しかし、首筋は幼さが残り、まだ子供なのだと思った。遠からず彼女がそのタトゥをもて余す事は分かっている。なンか、悲しかった。

 人とのコミュニケーションで重要なのは、如何に自分の事を話すか、よりも、むしろ、相手の話しを聞く事である。勿論、自分から発する事は重要なのだが、先ずは「人の話しを聞く」。最近、メディアでも、身近でも、相手が話し終らないうちに会話を遮って自分が話す人が増えた。あれは良くない習慣だね。

5月21日

 僕の友人を、実はですね…という感じであまり良くない情報を教えてくれた人がいた。でも、僕に言わせると「それがどうした」である。誰かを信頼出来るかどうかを試すには、その人を信頼してみる他の手はない。もし良くない結果が起きても、やっぱりね、と絶対に思ってはいけない。100%自分の責任。

5月22日

 最近「フ女子」の方々の存在を知ったのであるが、意識してみると、この出版不況の中、マンガ売場の一角をがっちり占めてるね。そして、最近の、男の好む二次元素材の質と量の充実度も目を見張るものがあるね。(小池一夫)

 はッ!?もしや、最近の若者は「人生で最高の恋愛は、経験しなかった恋愛である」という僕が人生の後半にやっと達観した境地に既に達しているのではあるまいか。イヤイヤ、やっぱり、生身の恋愛あっての二次元ですよ。いくら二次元が凄くても、ソッチに逃げてはいけません。(小池一夫)

 恋愛だけじゃなく、人間関係でも、年寄りの僕から見て勿体ないなと思うのは、自分の優しさをこじらせている若い人達である。こンな世の中だから、優しいだけではどうにもならなくて、はすっぱに強さを気取ったり、逆に内に引きこもったり。しかし、優しさを貫ける人間が、結局は一番強い。間違いなく。

5月23日

 僕が尊敬する男達は皆、世間から敗者とみなされた時、勝者の風格を忘れてはいなかった。そこから、また這い上がった者もいるし、そうでない者もいた。勝者が謙虚に振るまうよりも、負けている時にこそ優雅に振るまいたい。本当に難しい事だけれど。(小池一夫)

5月24日

「知っている事だけを書く」という事は、プロ、アマ、媒体を問わず、基本中の基本である。しかし、あらゆるメディアは、下司な好奇心や憶測で溢れかえっている。ツイッターでの発信もそうだろう。一度発信したものは、無限に、いびつに広がり続け、取り戻せない。自分の書いた物は自分の分身である。

「書き手が己の血で書いたものだけを愛する」とニーチェは言った。その一行で、自分の、他人の人生が変わる事もある。物を書くという事は、とても覚悟のいる事なのだと改めて自覚するべきである。(小池一夫)

5月25日

 相手が誰であっても、自分の気持ちや考えを伝えなければならない事がある。言うと決めたら、トコトン言うンだね。率直に、正直に、過不足なく。言わないと決めたのなら、涙を飲ンで、無理を承知でトコトン受け入れるンだね。一番悪いのは、だンまり、引き延ばしで、もンもンと悩み続ける事だ。

まあ、僕の経験では、結局いつかは言っちゃうね。自分の思いの丈を精一杯伝えても、やっぱり絶望的に伝わらない事もある。でも!問題無し!少なくとも、次の一歩は踏み出せる。言うにしても、言わないにしても。(小池一夫)

5月26日

 漫画を描いていると、「こンなベタな事描いていいのだろうか」という疑問によく陥るが、ベタな事をベタに描いてもいいのである。ベタな事を描いている時にこそ、作者の個性と技量が表れる。漫画における新しい表現など、とうの昔に出尽くしている。後は今の時代にどれだけ目新しく感じさせるかである。

 古典は今読ンでも面白く、王道を行くベタな物語もベタであるからこそ万人に受け入れられ、王道たり得るのである。ベストセラーは、普段本を読まない人達が買うからこそベストセラーになるのである。自分だけの世界を描きたい、しかし、売れたい。表現者はいつも葛藤の中。(小池一夫)

 日常を、つまンねぇ、つまンねーって仕事している人と、つまらない事をカッコよくこなす人っている。どちらが運を引き寄せるのかは、第三者から見たら一目瞭然。「つまンない事をカッコよくやる、しかも人のいないところでも」。人は、ちゃンと見てる。(小池一夫)

5月27日

 今、帰宅したところ、「フ女子」を自認する弟子から、僕に是非BLの名作を読ンで欲しいと、厳選50冊が届けられていた。キミ、厳選して50冊って…。せめて5冊とか…。そして、読むのか、俺?ちょっと、今晩は無理…。(小池一夫)

 はッ!?もしかして、「老人は弱虫がなれるもンじゃねえ日記」という、老人エッセイ漫画 を書き始めた僕に対する挑戦状かッ!(小池一夫)

 なンか、表紙と題名だけでも、負け戦っぽい…。(小池一夫)

 何かこの人苦手だなぁと思う人って、往々にして、その人の姿に自分自身の短所を見ている。鏡の様に。要するに、自分に似た他人。尊敬する人から学ぶ事が多いのは言うまでもないが、好きでない人から学ぶ事も結構多い。気の持ち様なのだ。類は友を呼ンでしまい、凹ンだりする事もあるけれど。

5月28日

 表現者は、才能や運や感性の消費を恐れてはいけない。一つの作品を創り上げる時、それらのものを全て使い果たすのだ。すると、一段高みに登れる。見えてくる景色もかわる。そこで得たものを次の作品で、また、最後の一片まで消費し尽くす。その繰り返し。「プロは持続を旨とすべし」これに尽きる。

 先日、僕より年輩の男性と食事をしていた時、その方が、「贈り物は自分がいらない物ではなく、自分にとっても大切な物を贈るンだよ」と漏らされた。しみじみと心に沁み入る。勿論、値段の高低ではなく、もしかしたら物ですらなく、心の領域の話でもあるのだろう。人から教わる事はまだまだ多い。

5月29日

 先日届けられたBLを一冊読ンでみました。「自分のフェティシズムを隠さない、照れない、むしろフェティシズムを燃料投下し妄想で物語をどンどン推し進める」という、作家根性を熱く感じた。男×男というバイアスがかかっただけで、女性がここまで熱くなれるという事に、フェティシズムの神秘を見た。

 ところで、君達は何処に向かって突っ走ってるンだ?あンまり遠くに行かないでッ!(小池一夫)

 まあ、男×男という事で、自分達は全く関わらない第三者として、愛の幻想と究極という、両極を楽しめるという事なのだろう。実際のところ、フ女子の皆さン、どうなンですか?(小池一夫)

 要するに、フ女子の皆さンの意見をまとめると、「だって、好きなンだもン」。という事ですね。なンか、可愛らしい…。内容は、かなり大人なのに…。(小池一夫)

5月30日

 人には「自分の領域」というものがある。例えば、猫ひろしは、日本国内で最速のマラソン芸人という域を出なければ良かった。国籍を変えてオリンピックに出ようとする行為は明らかに自分の領域を越えていた。北野武にとって、映画を撮る事は自分の領域内の事で、松本人志にとっては領域外の事だった。

 自分の領域は、逸脱を繰り返しながらも、その域を拡げ、深めて行く事が出来る。しかし、自分の領域外の事は、どうしようもない。やるだけ無駄である。(小池一夫)

 人間関係にも、自分の領域と他人の領域が厳然としてあり、人同士が分かり合えるという事は、領域内の人間が分かり合う事は当たり前で、むしろ、自分とは明らかに領域の違う人達が存在する事を了解し認める事だと僕は考える。とにかく、先ずは、自分の領域を知る事である。己を知るというべきか。

5月25日 『道中師(下)』が発売されました!

Isbn9784862258267

amazon       楽天      7net

※くわしくは 小池書院ホームページをご覧ください。
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漫画スーパーワイド

道中師(下)




『子連れ狼』のコンビが贈る傑作時代劇!

絶望の淵から這い上がった男!!

両親を殺した憎き道中師は

あと五人…!


作:小池一夫|画:小島剛夕

ISBN978-4-86225-826-7  定価:650円(税込み)  発売:小池書院

5月25日 『春が来た(4) 郷愁街道 編』が発売されました!

Isbn9784862258175

amazon       楽天      7net

※くわしくは 小池書院ホームページをご覧ください。
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劇画キングシリーズ

春が来た(4)


金曜時代劇にてドラマ化された人気作!!

仕える者を失った伊賀の忍
桜次郎兵衛、本名・月坂小介。
元伊賀の忍び。
三十八年間仕えた主を亡くし、
絶望していた時に鯉太郎に出会う。五十七歳。

十手を捨てた元同心
鯉太郎兵衛、本名・甘利長門。
六十歳まで同心として生きてきたが、
職務に絶望し十手を捨てる。六十一歳。

職を失い、人生に絶望した二人は、
これまでの名を捨て、
それぞれ『鯉太郎兵衛』と『桜次郎兵衛』として
第二の人生を生きると決めたのだった。

その結果、次郎兵衛は
後家のりせと出会い結ばれ、
太郎兵衛もまた、りくという謎の女性と出会い、
夫婦となった。

しかし、太郎兵衛が愛したりくの正体は、
四人もの人を殺めた『火栗のいが』という
女盗賊だったのだ。

りくは磔の刑を申し渡され、
次郎兵衛が愛したりせもまた、
盗賊に襲われ命を奪われてしまった。

悲しみに暮れる太郎兵衛と次郎兵衛は
江戸を離れ、旅に出たのだった。

涙に煙る男の春…。


作:小池一夫|画:小島剛夕

ISBN978-4-86225-817-5  定価:680円(税込み)  発売:小池書院

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