月別アーカイブ / 2012年01月

2012年1月のつぶやき

1月1日

 明けましておめでとうございます。僕の一年の計は「人にやさしく、自分にはもっとやさしく」。やっぱり、自分に余裕が無いと、他人にはなかなか優しくなれませン。他者に心底優しくなれるよう、自分自身も幸せになりたいものです。こういう時代だからこそ、なおさら、ね。

 明けましておめでとうございます。今年1月の楽しみは、一つ、元日から原稿を書く事。今、つるじろうを書いています。一つ、弟子達と飲ンだり食ったりする事。一つ、29日に虚淵玄氏とニコニコで対談する事。一つ、フォロワーの皆さンのお便りを読む事。本年も宜しくお願い申し上げます。

1月2日

...  最近、「自分の領域」という事を考える。結局、自分が持って生まれた領域外の性質、性格の事を努力しても、物事を深く極める事は出来ないと思うのである。短所を克服するよりも、長所を伸ばした方が、自分も他人も幸せだし、効率的。「自分が極めたい道は何か?」先ずは、そこから。

 ちッ、おせちの野郎め!正月早々、血圧上がってるじゃないか!たぶン、数の子…。

1月3日

 僕の年になると、逢いたさつのっても、もう会えなくなった人達が沢山いる。若い人達は、変に自意識過剰に陥らず、会いたい人には会いたいと、好意がある人には好きだと、素直に行動するべきだと思うけどなあ。とにかく、人は人と出会わない事には何も始まらないよ。

1月4日

 相手に失望するよりも、自分が相手を失望させる事の方が、自分のダメージは大きいな…。http://t.co/jT6REXRD

 人とのコミュニケーションって、そンなに難しく考えない方がいい。伝えたい事がある時に話しかけ、話しを聞いてもらい、話すべき事が無い時は口を閉じる。無駄口はたたかない。沈黙も会話のうち。そして、人が話している時は真剣に聞く。基本は、ただそれだけ。饒舌だけがコミュニケーションではない。

1月5日

 一昨日、会いたい人には素直に会うべきだとツィートしたら、「夢で会えただけで嬉しいぐらい好きだけど、相手には言えない」と返信が来た。でも、と僕は思う。http://t.co/jT6REXRD

 たとえ相手に拒否されたとしても、たとえ上手くいって現実の二人の生活が甘いものではないと予想されたとしても、それでも会うべきだと。http://t.co/jT6REXRD

 「深淵を長く見つめていると、深淵もまたあなたを見つめ返す」ニーチェの言葉だが、僕は、大半の時間をネットで費やす人を連想する。ネットを使いこなすのは人間だが、ネットという深淵に取り込まれてはいないか?そこに映る自分が怪物になってはいないか?自分に問いかける事は重要だろう。

1月6日

 物語を創作する事は、「常識あっての非常識」というか、「古典を知った上での前衛」というか、「知識あってのひらめき」というか…。とにかく、一杯本を読ンで、たくさン行動してからの創作なンだなあ、と思う。http://t.co/jT6REXRD

1月7日

 「最小限の手数で、最大限の効果を上げる」何事に於いても、この方法が一番美しい。アイディアや技術を必要以上にこねくりまわしても、あンまり良い結果は得られない。http://t.co/jT6REXRD

 若い友人が子供を連れて年始の挨拶に来た。久々に、おさな子に触れる。なンて可愛いのだろう。だが、友人が帰った後、家人に注意される。http://t.co/jT6REXRD

 「いくら可愛いくても、勝手におせンべいを食べさせない、スリスリしない、高い高いも危なっかしい」あーあ、昔はよそ様の子供でも、お菓子上げたり、叱ったりしたけどなあ。http://t.co/jT6REXRD

1月8日

 団鬼六さンの座右の銘が「ただ狂え」とある。一心不乱、我を忘れる、夢中になる、没頭する。まあそういう事だと思うが、なかなかそれだけの集中力が出ない。http://t.co/jT6REXRD

 ものすごい集中力が出たと思う時も過去にいくつかあったが、今、二時間ぐらいしか集中力が続かない。もう一辺、ただ狂えという団さンの言葉を噛み締める。http://t.co/jT6REXRD
 
 僕の好きな絵を挙げろと言われれば、久隅守景の「夕顔棚納涼図屏風」が真っ先に浮かぶ。この、一見朴訥に見える絵から僕が強く感じるのは、「洗練」である。優れた芸術からは、しばしばこの様な二律背反を感じる。http://t.co/jT6REXRD

1月9日

 「想像」と「妄想」はまるで違う。想像力は、時に自分の進むべき道を示し、自分を慰め、そして鼓舞する。しかし、妄想は、内側から自分を蝕み、人を駄目にする。自分が弱っている時は、想像力が悪い方に働き妄想に変わりやすい。自重せねば。http://t.co/jT6REXRD

 久々に東京都写真美術館に行く。記録と芸術性を兼ねた、優れた写真群を堪能する。こういうものを見ると、最近流行りの3Dとやらに何の意味があるのかと思う。二次元が飛び出したからって、なンか意味あるの?二次元は二次元の、三次元は三次元の世界を極めればそれでいいと思う。

1月10日

 ツイッターをやって良かったなと思う時は、勿論、賛同して貰ったり優しいコメントを頂いた時だけれど、異論・反論も、むむッ…!て感じで嬉しい。ナルホドそういう考えもあるな、とか、僕の考えはイマイチ浅かったなって気付かされる。年を取ると、気を使って貰う事の方が多いから、凄く勉強になる。

1月11日

 作品の中の「心理描写の部分」と「物語自体が進行する部分」のバランスはとても重要である。最近、心理描写の部分が長く、物語がなかなかテンポ良く進まない作品が目につく。漫画は哲学書ではないので、心理描写の部分が多い作品が、人間が良く描けている作品というわけではない。

 仕事がある時も、無い時も、創作の井戸の水を枯らしては駄目だ。情熱の炎が消えそうな時も、熾火を絶やしては駄目だ。燃え盛る炎よりも、熾火の方が熱い。今までも描いてきた、これからも描いていく、ただ、それだけ。http://t.co/jT6REXRD

 創作者の一番の罪。それは「放棄」する事。作品も、自分自身もhttp://t.co/jT6REXRD

 物語の核心である主題は「真実」である。その真実を伝えるために、壮大な「嘘」を語る。その嘘を如何に上手くつくか、それが、物語を作るという作業である。http://t.co/jT6REXRD

1月12日

 作品を作る以前の問題として、一番大事な事は「誰に向かって書くか」という事。そして、その人に向かって、ブレずに書く。全ての人を喜ばす事は出来ないのだ。人生と同じく。http://t.co/jT6REXRD

 日本人は驚くほど繊細な感覚で、漫画を描く事が出来る。地面に落ちる花弁一枚の音に耳をすませる様な、そンな漫画。ブルーノ・タウトが桂離宮を見て「泣きたくなるほど美しい」と言ったエピソードを思い出す。http://t.co/jT6REXRD

1月13日

 どンなに遠くまで進ンでいたとしても、間違った道だと気付いたら、引き返すしかないンだよなあ。人生の何年かを無駄にするにしても。でも、僕の経験では、回り道が全て無駄だったはとは言い切れない。その時は苦しかったけれど。http://t.co/jT6REXRD

 自分自身に裁量権のある自分の人生でさえ引き返すのは大変なのに、原発政策を脱原発に引き返すなンて、想像を絶するね。でも、引き返すしかない。http://t.co/jT6REXRD

1月14日

 作品を作る時に陥り易いのが「観念の袋小路」である。僕達はミクロの世界だと原子のレベルで、マクロの世界だと刻々と膨張する宇宙の果ての事まで常識として知ってる。だから、スランプの時は、膨大な情報が頭の中で渦巻き、原稿用紙の中に何を書けばいいのか分からなくなる。

 何でも描けそうなのに、何にも描けない、そンな時、僕は「日常」を頭と身体に思い出させる。古典を読む、他愛のない会話、美味しい御飯と酒、なンでもいい。とにかく、自分を日常にリセットする。「観念の袋小路」にハマったままに描かれた作品はとても退屈

1月15日

 「常に死を想え」何千年も前からあるメメント・モリの思想だが、これがどうして日本の武士道に繋がったのか。http://t.co/jT6REXRD

 繋がったという根拠は何もない。やはり、死をかけて闘うという世界から出てきた思想であろうと思う。山本常朝の「葉隠」と「メメント・モリ」の思想が酷似しているのが興味深い。http://t.co/jT6REXRD

 渋谷でミラノの上流階級を描いた映画を観た。内容はともかくとして、ヨーロッパの映画は金持ちをリアルに金持ちに描くのが、すごく上手い。日本の映画は小さな世界を小さく描く傾向があり、金持ちの世界を描くとギャグみたいになる。なンとか財閥の御曹司で資産一兆円みたいな。なンでかなあ。

 小説だと、山崎豊子さンの「華麗なる一族」「ぼンち」などが金持ちが金持ちらしく描かれていたなあ。谷崎潤一郎の「細雪」とか。丹念な取材力は、物語を創作する上で凄く大事。空想力を支えるのは、細部に宿るリアリティだ。http://t.co/jT6REXRD

1月16日

 魅力的な作品には、一片の狂気、一抹の不安、微かな陰り、そンな、読み手を不安にさせる要素が必ずある。そういえば、実生活でも、そういう人ってモテるよね。生活の安定を強く求めながらも、一方で心の奥深くに潜ンでいる破滅願望をくすぐるのだろう。

 イラクに派兵された米軍の爆弾処理班を描いた「ハート・ロッカー」を見る。イーストウッドの「ヒア・アフター」を見た時も感じたのだが、戦争や地震・津波等、実際の大きな悲劇を題材とする場合、作品自体のクオリティーが高くないと、その悲劇の当事者に対する冒涜になるし、作品も酷い物になる。

1月17日

 誰かが、不当に自分を貶める事が人生には必ずある。それに対する最大の防御であり攻撃は、貶めた当事者が惨めに感じるくらいに、自分が幸せに生きる事。これが、最良の復讐。http://t.co/jT6REXRD

1月18日

 暑い国から寒い国と様々な旅をする。どこの国へ行っても、案内看板や乗車を知らせる日本語などは皆無。日本へ帰ってくると、まず日本語の案内、日本語でのアナウンス。韓国、中国語まである所もある。日本ってすごいサービスなンだなあ。http://t.co/jT6REXRD

 ちなみにドイツ語はない。ドイツは面白くないだろうなあ。ロシア語もない。ロシアも面白くないだろうなあ。日本の国の目線は、常に英語(米語)の国へ向けられているのだろう。いっそ、日本語だけにしてしまったらどうなのだろうか。http://t.co/jT6REXRD

 この分でいくと、世界中の国々の言葉で看板を作ったりアナウンスしなければいけなくなるだろうから、大変だこりゃ。今日も東京駅で場内アナウンスを聞いていた。人と会話をする事も出来ないほどの騒音である。http://t.co/jT6REXRD

 「黄色い線の内側にお下がり下さい…列車が入ります…どこそこ行き…なになに…何号車はグリーン車で何号車は自由席…」と言っている暇に一台が出て行く。この案内アナウンス、男女両方の声で、いつ果てるともなし。耳栓が必要になってくる。http://t.co/jT6REXRD

 ロンドンでは静かだったなあ。低い声で発車を告げるアナウンスがあるだけ。高く叫べば叫ぶほど、中身がよくわからなくなる。低く、囁く様にしゃべると、人は聞き耳を立てる。旅をする人はその国の言葉ぐらい少しは覚えなさいよ、というのが外国のプライドだろう。

1月19日

 長い人生で、心を病む事は必ずある。最近、若い人達と話していて、自分がその傾向があるという人が多い。僕も学生時代そういう頃があった。でも、こう考えた。「今、僕は魂を失いそうだけれど、それはまだ魂があるって事だ」と。今になって思えば、その経験は、僕の人生に必要な事だったと思える。

 「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」、は井伏鱒二さンの漢詩の名訳だけど、まず出会わない事には、サヨナラさえ言えない。色々な人に出会ってからサヨナラまでの経験が人を育てる。自分の殻に閉じ込もっていると、大事な出会いを逃してしまう。逃している事にさえ気が付かないうちに。

1月20日

 人生の大半をコンピューターを使うことなく生きてきた僕が不思議に思うのは、インターネットという、外に向かっての最強のツールを手に入れてから後、人間がどンどン、内に向かってひきこもる傾向が強まった事だ。本当に不思議。http://t.co/jT6REXRD

1月21日

 芥川賞を受賞した田中さンの会見も変だけど、石原都知事の選考委員を辞めると発表した後の会見での、吐いて捨てる様な言動も変。「別に…」と言って話題になった女優と同じレベル。本人達は「言ってやった!」という高揚感があるのだろうけどね。http://t.co/jT6REXRD

1月22日

 好きな推理作家のハードカバーが出た。すぐに買って読み始めた。その作家の初めての短編集を集めた一冊だという。第一話は確かにまだ読ンでない。第二話はずっと昔に読ンだ。もうそれで三話以降を読む気がなくなった。こういう事で騙されるのは何回目だろうなあ。

 タイトルを変えてハードカバーで出されると、こちらにはわからない。別の推理作家の新しく出たハードカバーは、五年ぐらい前のものだった。もちろンタイトルも変わっていた。本屋に少し文句を言ったら返金すると言ってたけど、本屋さンも知ってたンだなあ。

 出版界も大変な時なンだなあと思う。甘ンじて受け入れてはいるが、芥川賞にしても直木賞にしても、芥川龍之介とか直木三十五、知ってるだろうか。僕は漫画の原作を書いているが、タイトルを変えて出したりしたらマンガの読者に見向きもされなくなるのになあ

1月23日

 昨日の夜六時、諏訪の池田(弟子)が来た。池田の弟子の青木と、青木の友達の声優(女性)と麻雀をした。いやーストレス解消にいいねえ麻雀は。楽しかった。九時に終わって、池田とは一勝二敗、負け越し。近いうち仇を取るぞ!http://t.co/jT6REXRD

1月24日

 以前から不思議なのだが、どこそこの店舗に行こうとしてホームページ等の地図を見たら、AOYAMA STREETとかKOTTO-DOORIなどと書いてある。青山通り、骨董通りじゃダメなの?客の99.9%は日本人だろうに。アルファベットがそンなにオシャレか!と思う70過ぎの今日この頃。

 出版不況って、遠くに見えていたものが、ジワジワと近づいて来たというよりも、後ろからガッと襲いかかられた感じ。実感としてhttp://t.co/jT6REXRD

 「生きづらい時代」と、最近安易に使われるが、有史以来、生きづらくない時代など無い。いつの世も、それぞれに生きる事は困難である。僕が思うに「夢見つつ、しかし、足は地にしっかりとつける」という生き方が、生きづらい世を生きる一番の秘訣だ。

1月25日

 表現者、創作者、全ての人に言える事。「売るのは作品だけ、自分を売るな」http://t.co/jT6REXRD

 全てが上手くいく、「人生のピーク」といえる時期がある。しかし、ピークと言うぐらいだから、それは束の間光芒である。でも、心配する事はない。人生とは不思議なもので、心の持ちようでは、人生の旬は何度でも来る。76の僕が言うのだから間違いない。

 勿論、人生のピークがあるのだから、人生の底もある。今、自分が良い時期ではないと思うのなら、そンな所にいつまでも愚図愚図と居るべきではない。さっさと走り抜けるのだ、一刻も速く、全力で、なりふり構わず。格好つけるのは、その後でいい。http://t.co/jT6REXRD

1月26日

 僕は、知にかたよった難解な漫画はあまり好きではない。描かれる世界が複雑で混沌としたものであっても、作品自体は明快で簡潔でなければならないと思う。混沌としたカオスの中から、くっきりとした形を造り上げる事が、作品を造り上げるということである。

1月27日

 ニュースを見ていたら、秋葉原でカップヌードルにアイドルが湯を注ぎ、3分待つ間話しが出来るという話題をやっていた。食券機に無機質に貼られたアイドルの写真、ひきつった笑顔で3分間対応する女の子達、市販品がただ並ぶだけの安普請の店内。こンな血の通っていない商売も珍しい。心が凍る。

1月28日

 明日は虚淵玄さンとニコニコ生放送で対談する。聞いてみたい事がいっぱいあるけれども、例えば漫画の主人公だと、なるべく名前を言いやすいカ行の名前などにして口コミでも伝わる様に考えるが、彼のFate/Zeroにしても、主人公が衛宮切嗣とか言峰綺礼だったり、覚えにくい名前。

 まどかマギカにしても舌を噛む様な感じがする。しかし一旦覚えてしまうとこれが頭の中でがっちり脳を掴まれる。キャラクターが大きくなり強くなる。まあこういう事をはじめとして失礼になるかもしれないが、色々質問をしてみよう。

1月29日

 今夜の虚淵玄さンとの対談は、予定を三十分ぐらいオーバーしちゃった。色々と質問させて頂いたり、とても楽しい時間でした。僕はFate/Zeroについても色々と聞きたかったンだけど、時間がなくなっちゃった。虚淵さン色々とありがとう。観てくれた皆様にも感謝致します。

1月30日

 昨日は楽しかった。虚淵玄さンは「まどか☆マギカ」という作品の中で、物語の最後に「まどか」が全ての魔法少女の救済を願ったことにより、「まどか」を、世界観を体現するキャラクターとして昇華した。

 僕の創り方には、主人公は主人公のキャラクターの世界観、悪役は悪役のキャラクターの世界観、また、引き回し役にもそれなりの世界観がある。ところが虚淵さンの創り方は先に世界観が創られていて、その世界観をキャラクターにあてがう。

 いやあこれにはまいったまいった。でもこれだと物語から創るので、物語が終わると続きができないと言っていた。キャラクターから創る僕の理論とは真逆だ。

 だが「まどか☆マギカ」の場合は、蒼樹うめさンの画や、新房監督の見取り図、さらにイヌカレーさンの生み出したイメージとの、自分の中でのギャップによって、続編を描く事ができたという。さすが、「Quartet」だなあ。

 虚淵玄さンは、キャラクター思考(シンキング)を幼い頃からしていたそうだ。そして心の中に生まれた悪のキャラクターを、理解し、囚われてしまいそうになったという。だからキャラクター中心の作劇からストーリー中心の作劇に切り替えたのだと。

 虚淵さンは、キャラクターシンキングは「諸刃の剣」だという。悪のキャラクター、闇のキャラクターにも、人は感情移入し、囚われてしまう事があると。ニーチェのいう様に、心の深淵を覗いた時、深淵の中の怪物も自分を見ている。そして、時にそれに喰われてしまう。

 キャラクターシンキングは時に、産みの親である人の心に逆襲する事もある。キャラクターシンキングには、抜き身の刃物を扱う様に修行が必要なのだという事を、彼は教えてくれた。http://t.co/jT6REXRD

1月31日

 キャラクターマンWEB講座をやっているが、ニコニコ静画とタイアップしてるので、作品が続々集まってくる。今その作品に埋没して、DVDを観れなくなった。でもDVDを観るよりも、さらに楽しい。僕は自分を、漫画の読者の最たるものだと思っている。

 僕の所に作品を送ってきた人たちは、話をしてみると「自分の作品が面白いか面白くないかわからない」という。読み手の側から創り手の側に移ると、本当に創った作品がわからなくなる。それを面白いか面白くないか判断するのが、僕だ。マンガ陪審員みたいなものだな。だから、一生懸命。
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Blogyou_7

来たる1月29日(日)午後20時30分から

ニコニコ生放送

「小池一夫のニコニコキャラクター塾」

第7講の放映が決まりました。

今回の対談相手はなんと!

『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本家・

うろ ぶち げん
虚淵玄
氏です!

お楽しみに!

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以下【ニコニコ生放送】サイトより引用

漫画原作の巨匠・小池一夫さんが
様々な漫画家、クリエイターをゲストに迎えながら、
持論の“キャラクター原論”をCGM時代に対応した
キャラクター新論”というかたちに発展させ、
視聴者の皆さんと一緒に考えていきます。

第7講のゲストは、テレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本や、
小説『Fate/Zero』を執筆されたシナリオライターの虚淵 玄さん。
多くのファンを惹きつけ社会現象にまでなった『まどか☆マギカ』をはじめ、
現在の作風にいたる経緯など、虚淵さんの創作論をうかがってまいります。


≪プロフィール≫

虚淵 玄(うろぶち げん)

ニトロプラス所属のシナリオライター、小説家。
2000年、ニトロプラスの処女作であるPCゲーム『Phantom PHANTOM OF INFERNO』の
脚本でデビュー。以降同社にて複数のPCゲーム脚本を担当する。2004年から
小説家としての活動を開始。2011年末で第1シーズンの放送が終了したTVアニメ
『Fate/Zero』の原作小説などを手がける。(第2シーズンの放送は2012年4月から)
2008年頃からアニメ脚本家としても活動を開始。代表作は『BLASSREITER』(シリーズ構成)、
『魔法少女まどか☆マギカ』(脚本)など。

1月25日 『下苅り半次郎(4) 犬釣り 編』が発売されました!

Isbn9784862257949

amazon       楽天      7net

※くわしくは 小池書院ホームページをご覧ください。
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漫画スーパーワイド

下苅り半次郎(4) 犬釣り 編


女たちの下の毛の手入れをする男たちを
『下苅り屋』と呼ぶ…

御広敷伊賀者総取締・堤半次郎は
先の将軍の死の後、
五代将軍綱吉の下にいたが、
その心は何者にも仕えず
ただ忍の道に生きるのみであった。

これまで手に掛けし者たちの屍の上を、
業苦を背負い生きて歩まん!

作:小池一夫|画:神江里見

ISBN978-4-86225-794-9  定価:600円(税込み)   発売:小池書院

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