人生相談の12回目です。
(質問)
小池先生こんにちは。
いつもtwitterでの呟きを拝読させていただいております。
私は35歳になる2児の母親をしています。極々平凡な主婦です。
大変失礼なことを言うようで気が退けるのですが…
私は、最近とみに歳を取っていく事、老いていく事が怖いのです。
年老いて、身体が思うように動かなくなっていく事や、
子どもたちに疎まれやしないかとか、
抵抗力や体力が衰えていく様を想像するだけで非常に気持ちが沈みます。
以前先生は歳を重ねることの良さを仰っていたので、
どうやって私のような悩みを持たずに(持っていたとしても気に病まずに)過ごされているのか、
日々を生き生きと過ごされているのか、
非常に気になったので教えて戴けたらと思い今回ここに書き込みをした次第です。
よろしくお願いいたします。
(僕の思うこと)
タイトルそのものが、僕の答えです。
きっとあなたは年を取ることが不得意なタイプなのですね。
最近、年を重ね、若さを卒業することに失敗した人と出会いました。
僕が時々訪れる料理屋があります。
そこの常連で、とてもお金持ちの夫婦が来ます。
そして、会うたびに、奥さんの顔が整形を重ね突っ張って行きます。
直視すると悪いなと目を合わせるのを遠慮するぐらいです。
元々は、美しい人でした。
しかし、年を重ねることによって得られる美について思い至る知性は無かったようです。
ある日、そこで食事をしている時に、僕は耳を疑うような彼女の発言を耳にしました。
「年下の男性が私に視線を送ってくるのよね」。
それは、まるで、自分の魅力に若い男が興味を持っていると言わんばかりに得意気でした。
違うのです。整形に整形を重ねた年配の女性の奇異な姿から目が離せなかっただけなのです。
しかし、彼女には、そう勘違いしてしまうほど「若くありたい病」を患っている自覚すらないのです。
老いを受け入れるということは、「感性の領域」ではなく、「知性の領域」なのです。
あなたは、子どもさんが二人いらっしゃると書かれていますが、その子どもさんが、年に似合わない
大人びたファッションや言動をされたらどう思われますか?
子どもを持つ親が、ゆっくりゆっくりと年相応の大人になって欲しいなあと願うような気持で、
自分も、ゆっくりゆっくりと、老いを受け入れていけばいいのです。
年を取ることは、目に見えるところでは衰えて行きますが、目に見えないところで得るものは沢山あります。
年を取ることは、ある意味「進化」です。
最後に一言。
カッコいい年寄りは、カッコいい若者がなるのです。
カッコ悪い若者は、カッコ悪い年寄りになるのです。
今の自分に自信が無い人が、魅力的な年寄りにはなれません。
あなたが今心配すべきは、年を取ってからの自分を想像する取り越し苦労ではなく、
35歳の現在の自分が充実していてカッコいいかどうかなのです。
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感動しました(o^^o)
小池先生の助言を拝見しても、やっぱり受け入れることは困難です。
自分に自信を持てばと言いますが、歳を重ねていく自分が好きになれません。
死ぬまで生き続けなければいけないというのは残酷なことです。
今辛ければ、いつかマシになると言われて、いつかマシになるだろうと
信じて生きてきたけど、せンせいが正論としか思えない。
でも、自分なんて今貯金しておくくらいしか出来ないだろうから、
せンせいの世界にチャレンジするのも無謀だ。
やっぱり周りの人の保守的な意見が、悲しいけど自分の為だなあ。