人生相談の7回目です。


(質問)

私は今、高校3年の者です。
自分の考え方や気持ちのあり方について悩んでいます。

年齢を重ねるごとに、周囲に対しての嫉妬心や羨望が強くなっていきます。その感情を言動として表す事はないのですが、ずっと心の中でもやもやしていて霧が晴れない状態です。
生まれ育った環境、経済状況、容姿、才能…そんなもの比べてもキリがない事は頭ではわかっていますし、まず努力をしてみろとも自分に対して思います。

自分でも何故、他人に対してこんな感情を必要以上に抱いてしまうのかわかりません。本当に性格が歪んでいるなと思います。こんな自分とどのように向き合い、対処していけば良いでしょうか。

お忙しいとは思いますが、アドバイスをいただけると嬉しいです。


(僕の思うこと)



年を重ねるごとに、ねたみ、そねみ、やっかみの感情が育つのは、あなただけではありません。

なぜだと思いますか?

なぜなら、「若者は自分の可能性の大きさがどんどん目減りしていることを自覚し始めるからです」。

例えば、同じ世代の活躍するスポーツ選手や芸術家は、幼少の頃から環境に恵まれ
練習を欠かさず、才能を活かしきり、目標が定まり、まぶしい存在です。

それに比べて自分は、まだ何者でもない、そしてや、何者になれるのかさえも分からない。
嫉妬心や羨望が強くならない方が、おかしいぐらいです。
性格が歪んでなどいません。
順調な心の発達です。

子どもの頃は、何者にでもなれる可能性があった。
しかし、高校三年生から始めても、天賦の才能や子どもの頃から環境を与えられていた者には敵わない。
とても厳しい現実です。

しかし、それが何だというのでしょう。

18歳のあなたには、信じられないぐらい大きな、「あなたに向いた」可能性があるのです。

あなたが、何者になりたいのか、どういう人生を送りたいのか、目標がはっきりすれば、
自ずと他人に対する嫉妬心や羨望に収まりがついてきます。

しかし、全くなくなるわけではありません。
青年には青年の、中年には中年の、そして老人には老人のねたみ、そねみ、やっかみがあります。

そういう感情はだんだんと飼いならしていくのです。
上手く飼いならせた人が、人と自分を比べず、平穏な心で日常を送ることが出来るのです。

そして、あなたは、羨ましいという気持ちを言動に表すことはないと書かれていますが、
あの人が羨ましいと、素直に言えなかった感情こそが、負の感情に変わるのです。

あえて素直に、「いいなあ、羨ましいなあ、素敵だなあ、あんな風になれたらなあ」
と言ってみると、心が軽やかになりますよ。

だから、僕も素直に言います。「いいなあ、18才。何だってできる」と。

(小池一夫)





人生相談の6回目です。


(質問)

相談させていただきたいことがあり、コメント致します。
ここ数年、辛い事が続き、自分の人生を終わらせたいと思うときすらあります。
そんな時に、まだ大好きな人達と笑っていたい、一緒に楽しい時間を過ごしたいと思いとどまります。
けれど、生きる理由として周りの大切な人達を利用しているようで、
時々無性に嫌になるのです。
(そして、それでいいのだと誰かに肯定して欲しいのだとも思います)

先生の率直なご意見をお聞かせ願えないでしょうか



(僕の思うこと)


生まれる前は「無」です。自分が死んだ後も「無」です。
自分は、永遠のほんの一瞬を生きているだけです。

もっと正確に言えば、両親が性交渉をする瞬間まで此の世にいない「無」です。

どんなに辛いことがあっても、自分から無に戻ることはありません。


「生きがいとは、突き詰めれば、『人』です」。

あなたの言われるように、生きる理由は、まだ大好きな人達と笑っていたい、一緒に楽しい時間を過ごしたい
ということなのです。
生きるために、どんどん人を楽しみなさい。人を利用しなさい。

僕も、死んだ方が楽だな、というような地獄も経験しました。何度もありました。

しかし、80才になって出した結果は、「死ぬまで生きてやる」です。

僕を好きでいてくれる人のためにも長生きしたいし、
僕を嫌いでいる奴らのためにも、嫌がらせで長生きします。

人間の死因は、「老衰」がいちばんの幸せです。
そして、それは、ただの老衰ではありません。
死ぬ一瞬前まで、ハッピーでいることが、大切な人のためであり、敵に対する最大の復讐です。


生きなさい。
大事な人のためにも、あなたの敵のためにも。

死ぬ日は、一生で一回きりです。

そして、今日が、死ぬのに一番いい日という最良の日は、老衰で死ぬ日、一択です。

それ以外にありません。

最後に一言。

誰かが死にたいと思った時に、それを思い止めるような、利用されるような人間になることを忘れてはいけませんよ。

あなたが、そうしたように。

(小池一夫)




人生相談の五回目です。


(質問)


 当方、45歳女性です。

 私は自分の過去が嫌いです。
 消せるものなら消したいのです。
 幼い頃から育った環境はよくありませんでした。
 でも結局は、私自身が何一つやり遂げる根性もなく、ダラダラと楽な生き方をしてきた事に問題があったと思います。
 そんな私はシングルマザーとなり、子供を育てるために、初めて社会の荒波に揉まれることとなりました。自分の甘さ、教養のなさ、経験のなさ。
 何もかもが私を打ちのめしました。
 子供だけは真っ直ぐに歩いてほしい…私なりに必死に育て、なんとか子供は世間から評価される人間に育ちました。
 ですが過去に私は、何度も結婚と離婚を繰り返していました。その中には犯罪者となった男もおります。私自身は警察のお世話になるようなことはしておりませんが、汚点だらけの情けない人生であったと思います。
そんな親を持った子供が可哀想で、そして申し訳なく仕方がありません。
 子供を通しての親同士の付き合いも、私の過去が知れることが怖く避けてきました。
 私自身、新しい職場についても、過去の事を隠してばかりで、不自然な付き合いしかできません。
 真っ直ぐな目で、堂々と生きる勇気が持てないのです。
 過去を消したい…でも消せない。
 ならば、この重い荷物をどうやって背負って行ったらよいのでしょうか。
 どうか、助けてください。
 お願いします。


(僕の思うこと)



 あなたが素晴らしい母親だなあと思うところは、自分の負の連鎖を断ち切り、
子どもさんを立派に育て上げたことです。
 人にもよるのでしょうが、自分の負の連鎖を断ち切るのは大変なことです。
 普通は、自分の生まれ育ちを子どもに引き継がせてしまうことが多いからです。

 賞賛に値します。

 文面から察するに、あなたはいわゆる不良とかヤンキー等と呼ばれる青春時代や
反社会的な青年時代を送られたのではないでしょうか。

 親から教わるべき社会的な礼儀作法や常識、学校で学ぶべき基礎知識や基礎学力を得る機会を
自ら放棄し、面白おかしく生きてはみたものの、それでは社会では認められないと気が付き、
 今、苦しんでおられるのではないのかと思います。


 しかし、あなたの今の苦しみは、その世界から脱した証でもあると思うのです。
脱したからこそ苦しいのです。
 一種の、離脱症状です。

 過去の記憶はどうしようもありませんが、未来は変えられるのです。
 実際に、あなたは子どもを育て上げるという未来を切り拓くことが出来ているではありませんか。


 「あなたは、あなた自身に呪いをかけているのです。」


 過去を悔やむあまり、反省や後悔を通り越して、自分は普通の人とは違うのだと、呪いをかけているのです。
もう、そろそろ、その呪いを解いてみてはどうですか?

 あなたや、あなたの伴侶だった男性によって、被害を受けた人たちの存在を決して忘れてはいけません。
しかし、あなたは、もう以前のあなたではないのです。

 「親同士の付き合いも、新しい職場についても、過去の事を隠してばかりで、不自然な付き合いしかできません。」 と書かれていますが、腹をくくりなさい。

 たとえ過去がばれても、あの人ならもう大丈夫だと言われるような人間になると。

 人生の重荷は、記憶の重荷です。

 しかし、変えられない過去のために、変えられる未来を犠牲にしてはいけません。

 最後に一言。

 お母さんがしあわせなことが、子どもにとっていちばんしあわせなことですよ。

(小池一夫)

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