平成19年2月6日から8日まで、兵庫県の「グリーンピア三木」において、小池一夫ゼミの合同合宿が行われました。

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大阪芸術大学・小池ゼミの合宿は、今年で7年め(7期)、回数では夏冬あわせて11回目を数えます。
 この2泊3日の合宿において、これまでゼミ塾で学んできた「いかにして魅力あるキャラクターを創るか」「どうすれば読者を魅了する、ヒットする作品を創ることができるのか」というテーマを、実際に創作に応用し、作品に活かしていくのです。

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 講師陣は小池一夫先生と、大阪芸大キャラクター造形学科から、菅本順一先生、小堀洋先生、川田潮先生、林日出夫先生が参加されました。
 また特別ゲストとして、「スプリガン」「緑の王」などの原作者、たかしげ宙先生をお迎えしました。

 さらに以下の漫画誌の編集者の方にも学生の指導をお願いいたしました。

 一迅社「ゼロサム」「コミックレックス」編集長の杉野様
 集英社「ヤングジャンプ」副編集長松田様
 講談社「モーニング」編集次長 新様
 白泉社「ヤングアニマル」編集部 亀嶋様
 角川書店「ガンダムエース」編集部 財前様
 (順不同)

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 合宿では、日常を離れて、集中して制作に没頭できます。
 まわりを見回すと、ライバルたちが寝る間を惜しんで頑張っていますから、おのずと身も引き締まります。
 悩んだり、迷ったりした時には、小池先生をはじめとする先生方に相談することもできます。
 本来、創作とは孤独な作業です。移り気で怠惰な自分との戦いです。多くのクリエイター志願者たちは、自分との戦いに勝てず、最初の壁である作品を仕上げられずに、夢をあきらめてしまうのです。
 だからこそ、ライバルと切磋琢磨できる「合宿」は有効なのです。
 合宿で作品を仕上げ、最初の壁を超えることによって、自信が生まれ、次へのステップが見えてきます。
 過去のゼミ生の中には、この合宿でキャラクターを作品として仕上げ、自信をつけ、そのキャラクターで商業誌デビューしていった人が少なくありません。
 いわば、この2泊3日をどう過ごすかで、その後の人生が変わるといっても言い過ぎではないのです。
 
 今回の合宿でも、多くの人たちが、次のステップへの自信となる何かを掴んでいったようです。
 必ずや、この合宿の参加者の中から、明日の漫画界を担う人材と、世界に羽ばたくスーパーキャラクターが生まれてくることでしょう。

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編集者の方をお迎えしての講義風景。デビューを目指す参加者たちだけに、みな一言も聞き漏らすまいと必死でメモをとる。

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小池ゼミ合宿伝統の早朝のラジオ体操。寒風の中、身体を動かすことによって、眠気もふっとぶ!

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小池先生の個別添削。相談する側とされる側との真剣勝負だ。

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ハードな合宿で、唯一の息抜きは豪華な食事。合宿参加にあたって、食費、宿泊費等の費用は一切かからない。


『人生七十古来希なり』(杜甫)

 劇画村塾、小池一夫塾、大阪芸術大学小池ゼミ、
それぞれの同窓生が、この日、都内のホテルに集合した。
 

 今回この3つの同窓生が集合したのにはワケがある。
 劇画村塾同窓会を「小池一夫師匠の古希を祝い、ますますのご壮健を願う会」を兼ねた会にしてしまおう!!」という、同窓会長さくまあきら先生をはじめとする、高橋留美子先生、原哲夫先生、堀井雄二先生、板垣恵介先生など発起人の先生方の取りはからいによるもので、少しでも多くの人たちで盛大に小池先生のお誕生日(5月8日)をお祝いしようということになったからです。
 参加者は約130名。これだけの人たちが誕生日のお祝いに駆けつけてくれるとはさすが師匠!!
 小池先生をよく知る菅本順一氏(劇画村塾の運営にご尽力され、小池一夫塾では臨時講師を務め、現在は大阪芸術大学助教授)によると、「師匠は思いのほか喜んでいらっしゃって、お酒も相当召し上がられた。そのご様子は私の知る限りではゴルフ雑誌『アルバ』が軌道に乗ったころに見て以来」だとか。
 また、小池先生が二次会まで参加されることも今まではなかったそうです。

 
 さくまあきら先生のホームページ『仕事人裏日記(5月14日)』でも、この日の模様が書かれています
 さくまあきら先生のホームページはこちら

板垣恵介(いたがき・けいすけ)

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1957年生まれ 北海道釧路市出身

高校卒業後、陸上自衛隊に入隊し24歳で退職。25歳の時、漫画家を志す。30歳で「小池一夫劇画村塾 第6期生となる。

デビュー作品は『メイキャッパー』(89年)。代表作は『グラップラー刃牙』『バキ』『範馬刃牙』、夢枕獏原作『餓狼伝』他。

小池一夫劇画村塾に入塾されたきっかけは何ですか?

 僕が漫画道を志したのは25歳の時でした。当初は、衝撃的なデビューを飾って業界の寵児になってやると企んでいたんだけど、それから5年間何も起らず、結果も出ませんでした。ひたすら未完成のネームがたまっていき、ダンボール箱2つ分くらいになったと思います。 その中で完成原稿は1本だけですよ、たったの(笑)。30歳に差しかかった時、『これはマズい』と、真剣に危機感を覚えるようになりました。がんばってきたつもりだったけど、何もがんばっていなかったんじゃないかと思い始めたんです。そんなとき、偶然雑誌で『「小池一夫劇画村塾」募集』の広告を見つけました。僕は、カミさんに「これが最後のチャンスだから」と拝み倒し、友人から学費(当時18万円)を借りてすぐに入塾の手続きをしました。

漫画家ではなく作家の小池一夫からいったい何が学べるんだろうという疑問は持ちませんでしたか?

持ちませんでしたね、まったく。何しろ実績が凄かったから。劇画村塾は“なんとかアニメーター学院”のような有名無実なものではなかったんです。ものすごいキラ星のような人たちがたくさん出ていることは知っていたし、漫画のセオリーを教える場所としては、それはもう別格的な存在でした。正直、「こういうところに頼っちゃいけないんだよな・・・。」という気持ちもありました。でも、「もうこれしかないんだ」というくほど追いつめられていました。そして入塾を決めた時点では「ああ、これでプロになれる」と当然のように思っていましたね(笑)

たった半年という短い期間で、売れる漫画を描くためのセオリーを十分に学ぶことはできましたか?

半年どころか、まさに入塾したその日にすべてに近いと言っていいほどのものを学びましたよ。講義ではなく入塾式での塾頭の挨拶で。しかもその挨拶の最初の一言だけですよ。そのあと10分くらい塾頭は話を続けられたと思いますけど、何も覚えていませんね。

それはどういった言葉だったのですか?

「キャラクターが立てば、マンガは必ず売れる。売れる売れないの全てはキャラクターにかかっている。」と言い切ってしまったんです。とにかく強烈なキャラでなければ売れないということです。「なるほどね~」と思いました。漫画というものが、自分の想像していたものと違ったことを思い知らされましたね。これでは何年やっていてもダメだったはずだ、と。この塾頭の一言で、「もうこれで学費の元は取れた」と確信しましたね。

そのころ(約17年前)から小池先生はキャラクター理論について語られていたんですね。

とんでもない。もっと前からですよ。 当時の『現代用語基礎知識』という本の中に“キャラクターが立つ”という言葉が載っていたんですけど、これを見たとき「塾頭はどこからこの言葉を持ってきたんだろう・・・。」と思いながら読んでみると、原作者・小池一夫が提唱する言葉で…」って書いてありましたからね。

講義はどういった内容でしたか?

塾頭は自慢話が好きで、それに終始していましたね。だけど、その中に漫画のセオリー、売れるためのコツがちりばめられているんです。とにかくおもしろくて、僕は塾頭の自慢話を聞きたくて聞きたくて仕方がなかったですね。たとえば、有名人と知り合いとかそんな話ですよ。近所の誰々さんから韓国の大統領、といった具合に(笑)。長嶋監督とか、武田鉄矢さんとか。そんな話を始めると、最初は「漫画と関係あるのかよ…」と、思うんです。でも、最終的に行き着くのは、そのキャラクターの話なんです。「武田鉄矢さんはとても魅力的なキャラクターだが、漫画の主人公としては少々歳を取り過ぎている。自分もそのようなキャラクターを主人公として作品に登場させて人気が出なかった経験がある。君たちもその点は気をつけろ。」という話になるんです。なるほど、こう結びついたか・・・と(笑)。自分の人生の行方もわからないような漫画家を志す者にとって、劇画村塾は、そういった眩しい人と対等に話すことができる場所なんですよ。自分たちも頑張ればそこに到達できるんだ、そう思えるだけでも大変な夢ですからね。何者でもない人間が、何者かになれる夢を見られる場所だったんです。今でも塾頭の自慢話を聞きたくなりますよ(笑)。

小池先生から学んだことは、現在の板垣先生の作品においてどの部分で反映されていますか?

どの部分というよりは、自分が迷った時、すぐにキャラクターの重要性に立ち返られるということですね。展開が進まなくなったとき、どうしたらよいのか分からなくなったとき 「あ~、またやってなかったよ」と思うんです。展開が進まないということはキャラクターが不完全だったということなんです。キャラクターに何が足りなかったのか、何をさせていなかったのか、あるいは、何を備え忘れていたのかということがそこで浮かび上がってくるんです。

漫画家として以外で、小池一夫という人物から学んだことはありますか?

もちろんないですよ(笑)。僕は別に塾頭そのものになりたかったわけじゃないですから。 ただ、あれぐらい売れて有名になりたいという意味で、あの“高さ”に達したいとは思います。入塾当時、塾頭はアストロというでっかいワゴン車に乗っていたんです。それが事務所の前に止まるのを見て「ワゴン車ひとつとっても、こんなのに乗るんだー」と、感動したものですよ。 それに憧れて僕も同じ車を買いましたもん(笑)。

板垣先生から見た小池先生の存在は?

非常に純度の高い愛情関係ではありますね。親子関係に近いかもしれない。僕が塾頭からもらったものは、あまりにもデカいんです。本当の血縁関係者でない限り、“ギヴ・アンド・テイク”が成立しなければお互いの関係はそこで途切れてしまう。でも僕は塾頭に十分なほど“ギヴ”してもらい、十分“テイク”させてもらいました。だから、あとはもう“ギブ”させてもらうしかない、愛するしかないんですよ。漫画における大恩人だから何でもしますよ。もし「おい、板垣、金貸してくれ」と言われたらポンと差し上げますよ、1000万ぐらいは(笑)。」


板垣恵介というペンネームの由来を教えていただけますか?

僕の本名は板垣博之(イタガキヒロユキ)というんですが、とても言いにくくて、言い終わった後に口にストレスが残るのが気になっていたんです。塾頭の『傷追い人』という作品の中に“茨城圭介(イバラキケイスケ)”という主人公が登場するんですが、カッコよかったんだ~これが。で、この“茨城圭介”からもらって“板垣圭介”としたんです。言い終わった後にとても爽快な響きでね。ただ、「イタガキケイスケ」は漢字で書くと「圭介」で、そのままだと姓名判断での画数に問題が出てくるんです。それで、ウチのカミさんの「恵子」から一文字もらって「恵介」としました。言いやすく、人から人に伝わりやすい名前にしたかったんです。

この事は小池先生はご存知ですか?

知りません。今初めて発表したんですから。もし知ったらそれはもう喜んでくれるんじゃないかな。別に隠したりしてたわけじゃないんだけど、そういえば塾頭に話したことはなかったかな。

現在の小池一夫塾の塾生の中からは、構成や画力をスキルアップさせる方法など、具体的なことを学びたいという声もあります。板垣先生もそういったことを学ばれましたか?

確かに基本的なことは学びましたよ。“切りかえしはするな”とか“キャラクターの顔を切るな”とか“一日3つでいいからキャラクターを描け”とか。でも、そんな作画の基本的なことよりも有難かったのは毎日のように新鮮な力で語られるキャラクターの重要性。あの熱意は誰にも真似できない。そしてそれで十分でした。


現在色々な方法や手段で漫画家を目指している方々にアドバイスをお願いします。

“色々やっても無駄だから、黙って小池一夫に学べ”ということ。お前らのやり方なんてすべて間違っているんだということですよ。答えが出ていないことが、ひとつの答えなんです。小池一夫に学ぶのであれば、自分の考えなんてそこには一切入れないで、小池一夫だけに学べ。たとえ自分の考えがあったとしても、今は全否定して、箱を空にして学べ、と。実際、僕はそうして成功しましたから。
最後に、小池先生に何かメッセージがあればお願いします。

やっぱり現役でヒット作を出してほしいですね。70歳や80歳になってもこんなことができるんだ、ということを見せてほしい。武術の世界ではごく稀に、若い者がまったく歯が立たない70歳の人がいたりするんですよ。ピカソもそう。歴史があるジャンルではそういう達人がいるものです。塾頭には、若い者に太刀打ちできない1本を書いてみせてほしい。あの人ならはそれができるはず。僕自身、70歳になった時に大ヒットを出している立場にいたい。もし僕がその第一人者になれば、周りから褒め称えられるのかもしれないけど、そうなれるかどうかの心理的な壁は大きいですよ。だから、塾頭には僕たちよりも先にそれをやっておいて欲しい。70歳になってもヒット作を出して当たり前だということを先に見せて欲しい。そうして心理的な壁を取り去ってもらいたい。そうすれば、僕たち後続者は楽だから(笑)。

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