いつかみた映画をひたすらあげていくだけ、ミタメモ。



イギリスから来た女子高生と少年が
オーストラリアの砂漠で迷子になり
通過儀礼の旅の最中のアボリジニの少年と
道行を共にする


動物が死んでウジがわいてる!
うわー
女の子の白い腿にドキドキ!
うわー

と、なんとも真っ直ぐなカメラの視線が
砂漠の風景と重なっていくモンタージュが

美しくもあり
あけすけで恥ずかしいときもある

映画の力を見せつけてくれる作品。


一時、欧米に跋扈した
エスノグラフィ映画の系列にあるのかなと
おもう

そこにある
「進んだ人類である白人」
が、
「純朴で美しく、目を見張るような文化を持つ
なつかしくも遅れた人類である、白人以外」
を、きわめて他者的にみつめる視線。

この少女の、
アボリジニ少年に対する

おいしいとこだけ喜んだり驚嘆したり
命令すらしたりするけど
交流しようとは決してしないという態度が

典型的なのだけど

そこに、この映画では

幼い弟と、すでに大人になりつつある姉の
圧倒的にいい人であるアボリジニ少年への
態度を対比させることで

批判性を重ねているのが

エライ

けど結局、そんな考察も
自分で無視して

少女の物語の結末は
大自然のロマンの思い出、みたいな
ほんわかしたお気持ちレベルに
納めてしまっていて

残念
だけど
しかたがないのか



肌の色や文化がちがう人間たちも
感情移入を試みるべき、
人間たちなのですよ、
つかんでいるのに映画言語化しきれない、
または、
明言するのはまだちょっとはばかられた…

いや、もしかしたら、
脚本は単純な白人の搾取的ロマン物語で
監督がそれを書きかえたかったけど
製作側からゆるしてもらえず
かわりに映像でがんばって主張したとか
そんな経緯があるのか…?

…そんなころの白人映画…

というかんじで

つまりこの映画こそが
通過儀礼のなかのひとつ、

まさに原題のとおり、
通過儀礼の旅、ウォークアバウト
なのだろう……

たぶんわざとじゃないけど……


とか思ったりした。
日本でも70-80年代にたぶん
「進んだ人類である日本人」からの
(または欧米から輸入した文化に流行していた視点を内在化させた)
エスノグラフィ映画やテレビ番組は

ひょいひょいと産出されていた記憶

ある意味、いまも?