月別アーカイブ / 2021年06月

いつかみた映画をひたすらあげていく、ミタメモ!



ワンダーウーマンことダイアナ、
1984年のアメリカで密かに活躍しつつ
スミソニアン博物館にお勤め。
同僚の冴えない女子バーバラは、
スポンサーの実業家マクスウェルに惚れて
ナゾのパワーストーンを手渡してしまう。
そのパワーが世界を未曾有の危機へ
陥れることに……!


IMDbのレビューに
「ひどすぎて
途中で帰ろうかと思った(家だったけど)」
というのがあって
コロナ禍っぽくてすごくよかった。

アメリカンな脚本術で
基本としてよく言われる

いつもテンションが張っているように

というのがある。

テンションが張っているというのは、
つまり
主人公が何かをしようとしていて、
それを障害が難しくしている状態。

ピクサー映画とか、
どんな小さなシーンでも
そのキャラが今、なにをしたいのか?
(たとえば、目の前のドーナツをたべたい)
なにがそれを難しくしているのか?
(両手に物を抱えていて手が出せない)
が示されていて、
ほぼずーっと、テンションが張っている。

エライ。

いや、全部の映画で
ずっとテンション張らなくても
いいんじゃない?
どこまでやるべきなのかな?

という議論はあってしかるべきかもだけど、

ワンダーウーマンという題材で
テンションがこんなにないのは、
どうしてこうなった?
というかんじ。

かなり、ずっと、ない。
各シーン、各カットで
主人公がなにをすべきで
なにが目的なのか
最後まで、だいぶ、よくわからない。

ハリウッド映画で、これだけ
できてないのは
珍しい気がする。

なんかあぶない! とか
ちょっとステキね! とかは
あるのだが。

あと、せっかく1984という時代性が
具体的に設定されているのに

そしてそれ、わたし
なつかしさで死ぬはずの時期なのに

ぜんぜんぴんとこなかった……。

いや、私の世代がターゲットなのか
よくわからないけど
なぜこの映画を1984にしたかったのか
明確にならず
もったいなや。

一本めは好きだったのになーーー
あのミニスカコスで
開き直って強く美しいのは
すごいステキだとおもってたのになーーー

いつかみた映画をひたすらあげていく、ミタメモ!


死体検視のエキスパートのチャピン博士は
恐怖の中で死んだ人間の背筋には
謎の生物が寄生し活動していることを
つきとめていた。
しかし人間は
恐怖を悲鳴によって解き放つことで
究極の恐怖で死に至ることを
防ぐのだ。
するとこのナゾの生物も収縮してしまい
研究が進まない。

そんな中
ある遺体の親戚である
サイレント映画館主と知り合う。
その妻は障害により声を出せず
恐怖を悲鳴で解き放つことができない。

研究意欲に取りつかれたチャピン博士は
この2人に近づき始めた……。



映画の始まりで
物知りそうなおじさんが出てきて
いろいろ解説してくれるタイプ!

それが
「こわかったら遠慮なく叫びましょう」
という
ホラー映画としては
この上なく手前味噌な趣旨なので

うへー

となるけど
実はこれが、ちゃーんと

ストーリーの強引な設定の
前提となる体験として
観客と登場人物の両方に
共有されていくという

実は、こったつくりだった!

50年代のキワモノとして
ちょくちょく言及されるこの映画、

意外とオトナな物語で
各キャラクターがなぞめいて魅力的。

物語も登場人物も紋切り型の
多くのモンスター映画とは一線を画していて
モンスター映画が短い栄華を極めた
50年代アメリカ最後の年にふさわしい
発展的な内容でした。

描かれる2組の夫婦関係も
気持ち悪くて気持ちいい!

無声映画への愛までこめられていて
最後まで楽しめた。

観客をおどろかせるのが大好きな
キャッスル監督のことや、
当時の仕掛け椅子での公開についてなど、
キャッチーこの上ない全容がよくわかる
記事はこちら↓


いつかみた映画をひたすら挙げていくミタメモ。



前回の「新感染…」
(なんちゅー邦題だ……
ちなみに英語タイトルは
Train to Busan 
という、まともなもの)

の前日譚ともいえる、このアニメ映画。

同監督が
Train to Busanの前に作った
(公開順は事情により逆になったらしい)
ということで、

おおー
アニメ出身監督だったのか!
と、
個人的にテンションが上がる。

もしかして
あとの実写のほうが
おはなしの完成度は高い
という気がするけれど

この映画でいいなと
思うところは

浮浪者
家出少女の娼婦
ポン引き

などと
アニメ映画では珍しいタイプのキャラクターを
真正面から描いているところ。

実在の都会の駅の地下に
大量に寝泊まりしている浮浪者とか
浮浪者をテキトーに留置する警察とか
市民に銃を向ける自国の軍人とか

なかなか、
アニメでは見ることが少ない光景を
勇敢に扱っていて

正直、とてもラディカル。

70、80年代の日本映画の
学生運動とか扱ってた
反権力の色濃い空気感に近いかも……。


例えば私も少し知っている
いまの日本のアニメの現場だと

なにを扱ったからと言って
そりゃ
たとえば警察が押し込んできて
脚本家や監督がしょっぴかれるとか
そんなことが
起こるとは思ってない

けど

でも

スポンサーとか配給とか
どこかの関係者から
なんか言われそうなことは
なるべくしないように
うまくやろうね、

という空気は、やっぱり、ある。

いや、
韓国の現場にだって、
きっと、あるていどは
そういうのあるとおもうけど

たとえば

そこをぶっちぎっても
やっちゃおう、というクリエイターの
気合いなのか

ぶっちぎられても黙認できる
製作側の豪胆なのか

それとも

反権力がアニメ視聴者にウケる
と製作側が判断できる
若者の空気感があるのか

(きっと日本の70年代、80年代の
反権力的映画が多出した背景には
やはりクリエイターの好みだけでなく
製作側のそういう判断もあっただろう)

好き嫌いはともかく

いまの韓国アニメ界には
こういう映画を
実現できる
環境があるらしい

ということは

覚えておきたいと
思わせてくれる
ゾンビアニメでありました。

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