いつかみた映画をひたすらあげていくだけ、ミタメモ



あの戦いから、どれだけの時か過ぎたのか……
ネオは過去の天才ゲームデザイナーとして
幻想と現実の境界に自信を持てないまま
報われない現代社会を生きている。
ところが
コーヒーショップで気になっていた
ゲームキャラクター似の女性と
ついに話せたその日から
彼の「現実」はまた激変する。


今年の正月シーズンでは
アメリカで1番ウケてる?
そのわりに
評価はいまいちな

続編以降のいつものマトリックス感。



個人的にいちばんよかったところは

50代キアヌが
リアルではない中年ゲームデザイナーを演じて
リアルな存在感を放っているところ

見事なキアヌ感

そして
50代カップルを主人公にして
メインストリームのSFアクション映画が
成り立ったのは
いいことだなと思った。


あとはほんとに
いつものマトリックスだなと思ったけれど

ネオとトリニティは
昔とほぼ同じ存在感でそこにいるのに
モーフィアスがまったく別人なのは
おしい。めちゃさみしい。
設定がどうあれ気持ち的に納得いかない。


しかしもう
クリエイターのウォシャウスキー兄弟が
すでに性転換を経て姉妹になっていたり

続編企画にまつわる大企業資本との軋轢が
ストーリーにあからさまに反映されていたりと

文化的、政治的な立ち位置で
世界の時間と空間のなかに杭を打つ
アイコンとして機能しているのが
現代の米SF映画シリーズなのだと

実感させてくれるシリーズなので

多少退屈でもぜんぜんいいです。





いつかみた映画をひたすらあげていくだけ、ミタメモ。


孤児のトトはミラノ郊外で
極貧の中で暮らす人たちと出会う。
持ち前の明るさで、トトは人々を励まして
廃材を集めスラム街を建設する。
しかしミラノの資本家たちが
あの手この手でトトたちを追い出そうとする。
こうなったら戦いだ……!


あの自転車泥棒の名匠
ヴィットリオ・デ・シーカ監督による

ガチのファンタジー。

魔法とか奇跡とか、嬉しい偶然とかが
貧しい人たちの暮らしを救っていく
ファンタジー

にも関わらず

スラム街の人たちが悪の資本家と
正面対決したときに

弱い側に寄り添って
まじめにはなしを作ろうとすると

ハッピーエンドに導くのは
これだけ難しいのか。

という、
ハッピーエンドにしようとしてるのに
爽やかそうでよく考えると爽やかでない、
ハッピーそうでそうでもない

社会的弱者VS強者の物語。

そんな
自転車泥棒の次の年でありました。

いつかみた映画をひたすらあげるだけ、ミタメモ。



質屋の娘おつやは店の若者に恋をして
駆け落ちしたはいいものの
悪人の企てにまんまとハマって
芸者として売られてしまう。
ところが彼女には
男をだましてもてあそぶ才覚があった。

かたぎに戻れないよう
背中にほられた女郎蜘蛛の刺青は

男の生き血を吸ってのし上がる
彼女の魂そのもののようで

罪悪感に苛まれた刺青師は
その生き様を追いかけつづける。


谷崎潤一郎原作、
新藤兼人脚本の物語は
たいへんよくまとまっているし
なにを言ってもセリフが歌のようで
調子が良くてカッコいい

増村保造監督、
宮川一夫撮影の映像美は
ローアングルと凝ったライティングと
衣装の布地の華やかさで
なにやっても美しく

主演の若尾文子は
きっぷのよさがカッコよすぎて
女を利用するばかりの男どもへの
復讐が心地いい

けども

最後までみるとやっぱり

日本映画の女性キャラ典型のひとつ
excessive body — 過剰な肉体
と呼ばれたりする、

自身の肉体的魅力と賢さを駆使して
抑圧的な家族から脱出し
自身の幸せを追い求めた結果、
やっぱり罰を受けました……

という
男性中心主義があたりまえの社会のなかで
無自覚に量産された
娯楽用悲劇の典型に仕上がっており

このジャンル、
古い映画として好きではあるのだが

これ以上、今の世の中では
無自覚な典型としては作られてほしくない 
敢えて作るなら希望のある終わりがほしい…
テルマ&ルイーズとかOUTとかの
女たちの闘争、
またはもっと広く
社会的弱者の闘争(または復讐)
の物語が
どういう終結をするのかは

なかなか大切なんだと思う

世界のどの時代でも
なかなか簡単にはハッピーエンドにできてない

参考文献

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