昨夜は草稿残して寝落ちしていました。今朝はカラッとした空気で急に秋の気配がしますね。「暑いな雨だな」と言っていた今年の夏も、儚く終わっていく感じであります。災害や熱に見舞われた故人には、心よりお悔やみ申し上げます。


つづき

 木島さんについては、私も昨年バニラ・エアで炎上する様をヲチしながら好き勝手煽っておりました。Twitterでは「障害者によるモラハラだ」と血圧上げてtweetしていましたし、番組内で取り上げられた当時の思いを綴ったブログ記事も、目上の人に対してヒドいものですね。


障害者差別解消法の「定義」より前にある「目的」-小林春彦公式ブログ

 正直、狭い障害者界隈にいて私は木島さんのことを、炎上するまで全く存じ上げませんでしたし(同じ関西人でありながら)、バリアフリー研究所代表を名乗る40過ぎた活動家にしてはマスメディアや個人メディアでの対応を見て、その新人感に圧倒されました。我が日本国は、まだこんな凄い逸材を温存していたのか。バブルの残り香が消えない浮かれた国だな。
 今年に入り木島さんは私の所属する芸能プロダクション「CoCoLifeタレント部」と業務提携されたと聞いて、私は2月の撮影会で初対面でした。撮影現場で「よう知りもせんで勝手なこと書くな!」と大阪弁でお叱りを受けてしまったのが昨日のようです。FACEBOOKのフレンド申請も拒まれていましたし、私にあまり良い印象をお持ちでないのは確かでしょう。

 一方の乙武さんは、これまで登壇された福祉イベントで接近することはあっても私のことを認知していなかっただろうし、イタリアンレストランの時も五女体大満足の時も、私が一方的にSNS等でディスっていたので、せいぜい迷惑なアンチの一人というくらいの認識だったのではと思います。
 かつて乙武さんを招いたクローズドなトークショーの質疑応答でオーディエンスを前に喧嘩をふっかけたことがあったのですが、そのときは流石の乙武さんもストレートに怒っていたのが、未だに知人との語り草になるところです。「カバンの中に仕舞ってほしい」と握手までして献本した拙著「18歳のビッグバン(初版)」も読んでくださったのか確認していません。

 そんな、私との間柄が微妙なお2人が今回出演されるというので、生放送当日になっての私へのキャスティング交渉でしたし、私はいいけど向こう2人の共演NGで、小林抜きの構成がされるのだろうと思っていたわけです。

 ところが蓋を開けると、あれだけディスったお二方なのに、どちらも私の出演を快諾とのことで、やはりワイは自意識過剰だな、二人とも大人だな、器が大きいな、プロだな、と強く思うわけであります。乙武さんに至ってはFACEBOOKで「小林さんご無沙汰しています、後ほどよろしく」との爽やかな挨拶で先手くらってしまい、返す言葉のなくなった己の小物っぷりにマジで赤面してしまいました。
 そう言えば最後に喧嘩ふっかけた「あの会」も"六本木アカデミーヒルズ"での会合だったのでした。こうして
本番5時間前に出演が決まり、急ぎ服を着替えてテレ朝のある"六本木ヒルズけやき坂スタジオ"を目指したのでした
つづく




 世間は今日から盆明けらしく、盆休みで張り紙のあったホルモン屋も店を開け始めたので、昼食は連れと肉を食ってきました。


 私も先週は2泊3日で帰省し、母校の吹奏楽部が出演する兵庫県吹奏楽コンクールの応援に後輩OB・OGらと駆けつけました。出場校には漏れなく金・銀・銅のいずれかが付いてくるのですが、県大会から関西大会に進出できるのは金賞を受賞した学校のみという、昔から吹奏楽コンクール経験者にはお馴染みのシステムであります。


 結果は「銀賞」。ですが顧問も老いたのか、昔ほど結果には熱っぽく拘っていない様子で、満足のいく指導、納得のいく演奏、生徒の頑張りを、誇らし気に褒め語っておられました。

 夏の吹奏楽コンクールは中高6学年を引っ張ってきた高3も引退する大舞台なのですが、今年の部長も生徒を集め、「ありがとう」と涙を浮かべ後輩、保護者、指導者、応援に駆けつけた先輩への謝辞を述べていました。見ているこちらもグッとくるものがあります。ワイも厨房の頃は帰りの電車で「銀賞」という結果にさめざめと悔し涙したのであったなあと記憶がぶわっと蘇るわけです。

 振り返ってみれば私は夏の大会では関西大会、冬の大会では全国大会にまで駒を進め受賞したのですが、結果自体は途切れ途切れでうろ覚えなんですよね。もちろん当時は結果に一喜一憂したんだろうけど。むしろ高々12分程度のお披露目のために夏休み返上で一体となり曲を作り上げていった過程、苦戦したフレーズや円滑にいかなかった人間関係のトラブルなどを、どう解決したかの方が、ハッキリと鮮明に思い出せるのですよ。


 内輪話が過ぎました。


 そうこうあって「ほなまた!」と帰京し東京の自部屋に戻ったとほぼ同タイミングでやってきたのが、元SMAPの新しい地図さんなどでもメジャーになったAbemaTVの番組ディレクターからの出演交渉のメールです。

 何でも昨年LCCのバニラ・エアと奄美大島の観光帰りに揉めて「プロ障害者」の名をネット界に轟かせた木島英登さん(45)、人手不足で忙しいイタリア料理のお店への入店を拒まれネット民に燃料を与えてしまった乙武洋匡さん(42)、という著名な車椅子ユーザーの二人をゲストに、ワイ帰省中、国交省が飛行場と航空会社のバリアフリー化徹底を整備化したことを受け、オリパラ2020の開催国である我が国のバリアフリー事情を議論しようという生放送番組を企てているとのこと。
 そこで何を思いついたか、日ごろ既出の二人を、SNSを始めブログなどでdisっている様子が多数目撃されるという脳機能や視覚などに重複した障害を抱えている小林春彦(31)に"番組の狙いから脱線しない範囲で"二人の対抗馬として議論に参加して欲しいというのです。いや普通に考えて気まずいだろ。
つづく

 若い頃は「こんなところ出ていってやる!おら東京さ行くだ!」って感じじゃないですか。
 でも実際出てみると色々な理由で地元が恋しくなるものなんですよね。いま、故郷はどうなっているんだろう。あいつらどうしてるんだろう。という都会に月が浮かんだ1人の夜。

 ただしこれは私の個人的な価値観であって、地元なぞ黒歴史がいっぱいで二度と帰るもんかというのも分からなくはありません。私も東京での生活は適度な無関心と個人主義が超快適ですし、自己実現のためにはあらゆるインフラが整っています。


 気がかりにしつつも今や年末年始もお盆休みもあまり帰らなくなった親不孝な私めに春と秋を前に地元から届くのは、母校の吹奏楽部が決まってゴールデンウィークに開催する定期演奏会のOBOG合同ステージへのお誘いと、やはり母校が決まって夏休み明け学園祭直後に大講堂で開催する在校生向け人権学習の講演依頼です。

 今年は例の芸能プロ所属による仕事の引き継ぎに新年度のスケジュール整理に多忙が予想されていましたので、事務的に送られてきたであろう封書を開いてはいましたが、演奏会への参加は見送りを考えていました。

 しかし新年度に入り、こんな老いぼれOBとなった私になんぞLINEで熱心に声をかけてくれた現役後輩さんの嘆願には二つ返事で参加の約束をしてしまいました。ぶっちゃけ余裕がなさすぎて即座に「OK」スタンプ押しちゃっただけな気もしますが。パッションに弱い男です。

 急ぎ神戸への切符をとって帰省の荷造りを始めたのは、テレビ朝日さんの収録の真っ最中という。東京のアパートを訪れていた番組ディレクターも、散らかった部屋と白杖にキャリーバッグに楽器を...という帰省前の雄姿を見て笑っておられました。私の身勝手な都合で東京を出る晩まで撮影にお付き合い頂いた皆様ありがとうございました。


 ところで私の実家は神戸といっても、海の見える「浜」でなければ華やかな「街」でもなく、千仭(せんじん)高し六甲の「山」でもない、朝夕には霧(きり)がかかる北の「果(はて)」に位置します。

 そんなわけで我らが帰郷列車、「福知山線鈍行」は土曜夜でも車両に "おひとりさま" ということがしばしばあるのですね。都会っ子はにわかには信じられまい。

 東京の満員電車があたりまえとなった今では、薄暗いホームに人っ子一人いない無人駅を通過するとき回送列車に乗ってしまったのではないかとヒヤリ不安にすらなってしまうという。あゝ若かりしワイは、この空間で1人リズム練とか「イタいこと」してキャッキャはしゃいだンゴねえ,,,などと確かに回想列車と化したこの車体に運ばれ里へと帰っていくわけです。


ちなみに途中ココまで書いていて、標準語となんJ語と関西弁が頭の中を往来発着していて調子を崩しています。 


 山越え川越えトンネルを抜け辿り着いた実家は、前に帰ったときと別に大きく変わったところもなく、といった感じ。

 それから一息つくなり、あの木造ボロ校舎の一角にある居心地抜群であった青い絨毯(じゅうたん)の部室へと合同練習のためフライング気味で直行。

 早々に集まっていたのは、入学したての中学1年から卒業したての大学1回までの現役および準現役たちでした。
 経営難で共学化して以降、それなりに母校の吹奏楽部の在り方も変わってきたとは聞いていましたが、明らかに女子学生慣れしている若い男子学生に地味な嫉妬心を抱きながら、「若いっていいなあ」などとにこやかに佇んでおりました。

 私が卒業する頃までは男子校でしたので、しばらくしてやってくるのは凡そアラサー以上の常連OB達です。先輩らとは同じ「男子校時代」を知る側とはいえ、話をしていてもジェネレーションギャップが多々あります。

 神戸っ子だからか、ひとつ世代確認の指針となったのはズバリ「阪神大震災のときに何歳だったのか」です。私は小学校低学年の頃に被災しているのですが、当時ドンピシャの現役であられた方は「部室の底が抜けた中学のときや」とか「県のコンテストで高校の部が中止になった年や」といった具合。
 0年代産まれに至っては寧ろ東日本大震災を指針に、「あれは確か幼稚園の頃であった」とか謎の震災マウントをとりあって世代間交流する一コマも見受けられました。年配の冠婚葬祭ネタは参考程度に。


 中高6学年、楽器を始めた瞬間も同じ同窓仲間の一人が
「俺ら出会って20年になるんやなあ。こうやって古い友達とつるむのって、ほんまええわぁ」
 と昔と同じ楽器を構えてこぼしていたのが印象的でした。

 ロースト、スパーク、ストラヴィンスキー、ホルスト、スミス、リード…部員数枯渇の中、あんな草の根メンツで弱音も吐かず数々の大曲を演奏できたのは、顧問の先生を始めとした先輩や後輩、こっそりと部活に寄付金や差し入れを下さっていた保護者の支えだったと気が付くのも大きく大人になってからだというような話や、伝統というのは言葉や態度で受け継がれるものでなく音で受け継がれるものだというようなしみじみトークもしたり。

 勿論すっかり忘れていた傑作エピソードや定番の内輪ネタ全開の流行語なんかも思い出して笑い、語りだしたら止まらないんですよ。それで未だワシらも(精神的には)若いじゃないか、となるわけですね。

 こうしてみんなで振り返る過去というものは、やはりどこかどんどん美化されているものなのだと思います。中学高校生活といえども決して楽しいこと美しいものばかりではなかったですし、辛かったこと嫌だったこともいくらかありました。

 ただ今こうして思い出しているものは一部であっても決して虚構ではなく、それが今の我々をこれほど楽しく幸せなものにしてくれているのであれば美化でも何でもええやん、となる。
 だからこれからも多くの思い出し笑いが止まらない過去を量産させていきたい、それが理屈抜きに「財産」になるはずと信じられるから、未だ私は故郷に帰ってくるのです。分かち合う仲間と居場所がここにはあるというエモさな。


 現役生とOBOGの合同演奏の方はというと、通常は楽団に一人か二人しかいないバスクラリネット奏者が、現役生くん♂現役生ちゃん♀の2人に私を含めたOBOG3人と合わせて、バスクラ5本でステージに乗るという珍体験がありました。

 今年はポップス曲が多かったので、いっぱい曲乗りしたり大きくベルアップしてみたりマネしたりハモったりユニゾンしたり、白玉ロングトーンではカンニングブレスが被らないよう空気を読みあったり、ピッチは歪んでましたが(w)練習から本番まで、マジで楽しかったです。もう曲がいいとか上手いとかじゃなくて、雰囲気が最高。
 それも和やかとか協調性がとれているとかじゃなく、プチハプニングやニヤニヤポイントを瞬時同時に察知してアイコンタクトと口角運動だけで共有できる、客席にいては堪能できない裏の楽しみの方向性が似通ったメンツが低音部1プルトに「バスクラリネットパート」として固まっているという意味で。

 私が中学1年生のときに門をたたいたこの吹奏楽部にはバスクラリネット奏者なんていなくて、カビか何かで変色したYAMAHAのスクール用バスクラ1本を渋々ながら引き受けたというのに。男ばかりでなく女子もいて、実に良かった。

 
 今回の練習から打ち上げも含めた演奏会の一連は、私からすると上も下も最大20年ほど歳が離れているとはいえ「三田学園吹奏楽部」という肩書を一度は背負った面々が、入り混じり、交流し、他者紹介し、バカ話や思い出話に夢中になっている光景が、一体となって織り成すサウンドが、最初から最後までまさに圧巻でありました。

 やはり人生、大きな喜びや崇高な努力とその成果とは別に、こういう要素があってこそ幸せだと思うのですよ。くだらないことで心が緩み、かつそれを誰かと偶発的に共有するときの悦。笑いや感度のツボが近い人々と長い時間をかけて築き上げた閉鎖的コミュニティー内での、他愛ない非日常という資産。


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そういえば帰郷前、テレ朝の取材で番組ディレクターさんが「小林さんは病気の前後で、音楽を核に自己肯定感を保ち、言葉を武器に闘い抜いてきたように見える」と言って私を評価してくれました。


 確かに非言語・言語という違いはあれ、音楽活動も講演活動もスポットの当たるステージに立たせて頂いたことで、エネルギーのアウトプットとインプットという循環がいつも私の内側で何らかの形で行われていたように思います。うまく言えないけど。

 例年、私にとって4月末から5月頭までの春の地元とは、福知山線事故の追悼と母校の定期演奏会と脳卒中に倒れ即時手術の執行された日という、様々な原点が交差する複雑な場所であります。
 けれど今年度は東京で新しい環境に身を置き始めながらも重い腰を上げて帰郷して、本当に良かったです。

 オチも脈絡もなく(自己校正もせず)ズラーッと綴ってしまいましたが、何かこう、自分のために残しておきたいと思いまして。


 ゴールデンウィーク中、誘い出してくれたり話し相手になって絡んでくれた皆さまに、改めて感謝申し上げます。

  しっかり故郷パワーで心身を充電させて頂いたので、帰京しても毒を吐きアホ面を晒し、平常運転で小林春彦は頑張っていけそうです。
  またお互いに日常を生き抜いていきましょう。

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