若い頃は「こんなところ出ていってやる!おら東京さ行くだ!」って感じじゃないですか。
 でも実際出てみると色々な理由で地元が恋しくなるものなんですよね。いま、故郷はどうなっているんだろう。あいつらどうしてるんだろう。という都会に月が浮かんだ1人の夜。

 ただしこれは私の個人的な価値観であって、地元なぞ黒歴史がいっぱいで二度と帰るもんかというのも分からなくはありません。私も東京での生活は適度な無関心と個人主義が超快適ですし、自己実現のためにはあらゆるインフラが整っています。


 気がかりにしつつも今や年末年始もお盆休みもあまり帰らなくなった親不孝な私めに春と秋を前に地元から届くのは、母校の吹奏楽部が決まってゴールデンウィークに開催する定期演奏会のOBOG合同ステージへのお誘いと、やはり母校が決まって夏休み明け学園祭直後に大講堂で開催する在校生向け人権学習の講演依頼です。

 今年は例の芸能プロ所属による仕事の引き継ぎに新年度のスケジュール整理に多忙が予想されていましたので、事務的に送られてきたであろう封書を開いてはいましたが、演奏会への参加は見送りを考えていました。

 しかし新年度に入り、こんな老いぼれOBとなった私になんぞLINEで熱心に声をかけてくれた現役後輩さんの嘆願には二つ返事で参加の約束をしてしまいました。ぶっちゃけ余裕がなさすぎて即座に「OK」スタンプ押しちゃっただけな気もしますが。パッションに弱い男です。

 急ぎ神戸への切符をとって帰省の荷造りを始めたのは、テレビ朝日さんの収録の真っ最中という。東京のアパートを訪れていた番組ディレクターも、散らかった部屋と白杖にキャリーバッグに楽器を...という帰省前の雄姿を見て笑っておられました。私の身勝手な都合で東京を出る晩まで撮影にお付き合い頂いた皆様ありがとうございました。


 ところで私の実家は神戸といっても、海の見える「浜」でなければ華やかな「街」でもなく、千仭(せんじん)高し六甲の「山」でもない、朝夕には霧(きり)がかかる北の「果(はて)」に位置します。

 そんなわけで我らが帰郷列車、「福知山線鈍行」は土曜夜でも車両に "おひとりさま" 、ということがしばしばあるのですね。都会っ子はにわかには信じられまい。

 東京の満員電車があたりまえとなった今では、薄暗いホームに人っ子一人いない無人駅を通過するとき回送列車に乗ってしまったのではないかとヒヤリ不安にすらなってしまうという。あゝ若かりしワイは、この空間で1人リズム練とか「イタいこと」してキャッキャはしゃいだンゴねえ,,,などと確かに回想列車と化したこの車体に運ばれ里へと帰っていくわけです。


ちなみに途中ココまで書いていて、標準語となんJ語と関西弁が頭の中を往来発着していて調子を崩しています。 


 山越え川越えトンネルを抜け辿り着いた実家は、前に帰ったときと別に大きく変わったところもなく、といった感じ。

 それから一息つくなり、あの木造ボロ校舎の一角にある居心地抜群であった青い絨毯(じゅうたん)の部室へと合同練習のためフライング気味で直行。

 早々に集まっていたのは、入学したての中学1年から卒業したての大学1回までの現役および準現役たちでした。
 経営難で共学化して以降、それなりに母校の吹奏楽部の在り方も変わってきたとは聞いていましたが、明らかに女子学生慣れしている若い男子学生に地味な嫉妬心を抱きながら、「若いっていいなあ」などとにこやかに佇んでおりました。

 私が卒業する頃までは男子校でしたので、しばらくしてやってくるのは凡そアラサー以上の常連OB達です。先輩らとは同じ「男子校時代」を知る側とはいえ、話をしていてもジェネレーションギャップが多々あります。

 神戸っ子だからか、ひとつ世代確認の指針となったのはズバリ「阪神大震災のときに何歳だったのか」です。私は小学校低学年の頃に被災しているのですが、当時ドンピシャの現役であられた方は「部室の底が抜けた中学のときや」とか「県のコンテストで高校の部が中止になった年や」といった具合。
 0年代産まれに至っては寧ろ東日本大震災を指針に、「あれは確か幼稚園の頃であった」とか謎の震災マウントをとりあって世代間交流する一コマも見受けられました。年配の冠婚葬祭ネタは参考程度に。


 中高6学年、楽器を始めた瞬間も同じ同窓仲間の一人が
「俺ら出会って20年になるんやなあ。こうやって古い友達とつるむのって、ほんまええわぁ」
 と昔と同じ楽器を構えてこぼしていたのが印象的でした。

 ロースト、スパーク、ストラヴィンスキー、ホルスト、スミス、リード…部員数枯渇の中、あんな草の根メンツで弱音も吐かず数々の大曲を演奏できたのは、顧問の先生を始めとした先輩や後輩、こっそりと部活に寄付金や差し入れを下さっていた保護者の支えだったと気が付くのも大きく大人になってからだというような話や、伝統というのは言葉や態度で受け継がれるものでなく音で受け継がれるものだというようなしみじみトークもしたり。

 勿論すっかり忘れていた傑作エピソードや定番の内輪ネタ全開の流行語なんかも思い出して笑い、語りだしたら止まらないんですよ。それで未だワシらも(精神的には)若いじゃないか、となるわけですね。

 こうしてみんなで振り返る過去というものは、やはりどこかどんどん美化されているものなのだと思います。中学高校生活といえども決して楽しいこと美しいものばかりではなかったですし、辛かったこと嫌だったこともいくらかありました。

 ただ今こうして思い出しているものは一部であっても決して虚構ではなく、それが今の我々をこれほど楽しく幸せなものにしてくれているのであれば美化でも何でもええやん、となる。
 だからこれからも多くの思い出し笑いが止まらない過去を量産させていきたい、それが理屈抜きに「財産」になるはずと信じられるから、未だ私は故郷に帰ってくるんですよね。分かち合う仲間と居場所がここにはあるという。


 現役生とOBOGの合同演奏の方はというと、通常は楽団に一人か二人しかいないバスクラリネット奏者が、現役生くん♂現役生ちゃん♀の2人に私を含めたOBOG3人と合わせて、バスクラ5本でステージに乗るという珍体験がありました。

 今年はポップス曲が多かったので、いっぱい曲乗りしたり大きくベルアップしてみたりマネしたりハモったりユニゾンしたり、白玉ロングトーンではカンニングブレスが被らないよう空気を読みあったり、ピッチは歪んでましたが(w)練習から本番まで、マジで楽しかったです。もう曲がいいとか上手いとかじゃなくて、雰囲気が最高。
 それも和やかとか協調性がとれているとかじゃなく、プチハプニングやニヤニヤポイントを瞬時同時に察知してアイコンタクトと口角運動だけで共有できる、客席にいては堪能できない裏の楽しみの方向性が似通ったメンツが低音部1プルトに「バスクラリネットパート」として固まっているという意味で。

 私が中学1年生のときに門をたたいたこの吹奏楽部にはバスクラリネット奏者なんていなくて、カビか何かで変色したYAMAHAのスクール用バスクラ1本を渋々ながら引き受けたというのに。男ばかりでなく女子もいて、実に良かった。

 
 今回の練習から打ち上げも含めた演奏会の一連は、私からすると上も下も最大20年ほど歳が離れているとはいえ「三田学園吹奏楽部」という肩書を一度は背負った面々が、入り混じり、交流し、他者紹介し、バカ話や思い出話に夢中になっている光景が、一体となって織り成すサウンドが、最初から最後までまさに圧巻でありました。

 やはり人生、大きな喜びや崇高な努力とその成果とは別に、こういう要素があってこそ幸せだと思うのですよ。くだらないことで心が緩み、かつそれを誰かと偶発的に共有するときの悦。笑いや感度のツボが近い人々と長い時間をかけて築き上げた閉鎖的コミュニティー内での、他愛ない非日常という資産。


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そういえば帰郷前、テレ朝の取材で番組ディレクターさんが「小林さんは病気の前後で、音楽を核に自己肯定感を保ち、言葉を武器に闘い抜いてきたように見える」と言って私を評価してくれました。


 確かに非言語・言語という違いはあれ、音楽活動も講演活動もスポットの当たるステージに立たせて頂いたことで、エネルギーのアウトプットとインプットという循環がいつも私の内側で何らかの形で行われていたように思います。うまく言えないけど。

 例年、私にとって4月末から5月頭までの春の地元とは、福知山線事故の追悼と母校の定期演奏会と脳卒中に倒れ即時手術の執行された日という、様々な原点が交差する複雑な場所であります。
 けれど今年度は東京で新しい環境に身を置き始めながらも重い腰を上げて帰郷して、本当に良かったです。

 オチも脈絡もなく(校正もせず)ズラーッと綴ってしまいましたが、何かこう、自分のために残しておきたいと思いまして。


 ゴールデンウィーク中、誘い出してくれたり話し相手になって絡んでくれた皆さまに、改めて感謝申し上げます。

  しっかり故郷パワーで心身を充電させて頂いたので、帰京しても毒を吐きアホ面を晒し、平常運転で小林春彦は頑張っていけそうです。
  またお互いに日常を生き抜いていきましょう。

 当り外れの多いショービズで「何か際立ったことをして、頭ひとつ出る」ことの難儀って名状しがたいものがあるんですよね。

 10代20代の私というのは、大した個性も売りも無い中で、半ばコンプレックスを抱えて生きてきました。そんななかで唯一、不幸にも「見た目に分からない障害」という社会を生き抜くうえで武器にもならないものを得てしまい、手足が無いとか「自己肯定感の高そうな見た目に分かりやすい障害者」の"やらかし"をdisることで彼らと自分を相対化し、世間に声を上げてのしあがってきました。有難いことに生活できるくらいにはなりましたが、当然のことながら、障害とは私を形成する一部でしかなく、それをアイデンティティとして生きていくつもりはありません。

 ちょうど私もそんな一栄一落の文化人界隈の片隅での生き残りをかけて次のフェーズを模索していたところ、年始にタイミングよく好条件のタレント事務所からのお誘いがありました。とりあえず穴があくほど契約書を読み、契約を交わしましたという近況報告であります。


 これまであまりおおっぴらには公表してこなかったと思うんですけど、いわゆる芸能事務所への所属は今回が初めてではありません。

 二十歳そこそこで上京し、 何か面白いことはないかと雑誌の読者モデルをやってみたり、作編曲を学びiTunesからはオリジナルの楽曲を配信し、バンドでボーカルをやり、絵の個展なんかもしましたね。ライターとしてはオフライン・オンライン問わず多くの媒体で記事を書かせて頂いたりもしました。収入としては微々たる小遣い稼ぎ程度でしたが、まあ好き放題やってきたわけです。

 ただマルチに手を出してきた各々については、いずれも私なりにやり切った、一定の結果を出した、手を抜かなかった、という自負があります。中途半端を嫌う性分です。

 そんな私の活動の一端をどこかで見て下さってか、今までも定期的にプロダクションからお声がかかるということはありました。特に28のときに自著を出版してからは大手の事務所からのスカウトもあり、何事も経験ということで一時的に契約を結んでいました。

 有名な歌手やタレント、モデルを何人も抱えた大手のプロダクション。そこで働くマネージャーと名乗る人が低姿勢でささやきかける口説き文句。それは芸能界という未知の世界に正面から堂々と入れる通行手形のようなものに感じました。普段から全くTVを見ない私でさえも見聞きする著名人と廊下ですれ違い、「小林さんは売れるよ」などと丁寧に迎え入れられ、その扉の向こう側に飛び込んでみさえすれば、刺激的な未来が待ち受けているのかも――。そんなことをマジで考えていた頃もありました。

 所属が前向きになってくると、売り出し会議というのが始まります。事務所内の広い会議室に目の肥えたスタッフが集められ、ホワイトボードへ私の肩書や実績、プロデュースするに当たってのキャッチ―なコピーみたいなものを書き出し「ああだこうだ」をやるわけですね。込み入ったプライベートも根掘り葉掘り聞かれるので、ヒトがパッケージ化されて商品になっていくというのはこういうことなのだねえ、と背中モゾモゾ君モードで渋谷区の一等地にある事務所を出入りしていました。

 そんな貴重な時間を割き、手間暇かけて頂いていたプロダクションも、けっきょく退所することにしたのには幾つか訳がありまして。


 そもそも、私はセルフマネジメント・セルフプロデュースが好きなのです。

 自分で0から企画し、商品を作り、慎重かつ大胆にスケジュールを組み、自分で売り込み営業も行い、依頼があったら先方とも自分で電話やメールでやりとりし、最後まで計画をやり遂げる。もちろんケツでセルフ反省会をきっちりやる、という「お一人さまPCDAサイクル」で結果を出す一連のそれに、強いやりがいを感じてきた人間なのであります。

 こうしたソロプレイを10年近くやっていると、自分のプライドやエゴといった拘りも産まれてしまいます。せっかく誰が相手でも自信を持って対峙できるコミュ力や交渉術をスキルとして育んできたのに発揮できないのは惜しいですし、意識高い自由な仕事スタイルが崩れてしまうことにも抵抗を感じるようになっていました。自分1人でやってのけてしまえるのにギャラの「中抜き」も、まあバカにはならないと考えていました。自惚れ半分。

 また仕事上、個人を始め学校だったりNPOだったりという現在の私が抱えている多くのリストは、それなりに四苦八苦して増やし、信頼関係も丁寧に深めてきたものであります。47都道府県、誰がどこにいて、あそこには確かこういった事情があって…… というのは大体、私の頭に入ってしまっています。そこへ間にマネージャーや芸能事務所が入ると先方が構えてしまい、仕事を依頼し辛くなる、といった事情も多少ありました。


 私も対価を頂くからにはなるべく先方のニーズに応えたいですし、肉声にせよメールにせよ直接交渉の中で発生する温度感や信頼感みたいなものに非常に価値を感じるので、やはり間に誰かが入るのは我慢ならないといった頑固さもありました。

 その上、大したカネにはならなくても個人的には善意で引き受けたい案件というのが沢山ありました。馴染みの得意先を始め、思い入れが強い人たちからの依頼、社会正義に資する案件などは、特に。そうはいってもビジネスですから、そういうものをホイホイ自己判断で引き受けてしまうようでは事務所にとってメリットがないどころか迷惑をかけてしまいます。

 あとはブランディングとメンタルの問題でした。
 外からは華やかに日本全国を講演などでキラッキラに飛び回っているように見えてもプライベートでは「見えない障害」を抱える当事者として過剰なストレスを感じることは多々ありますし、私も普段の生活は飾らない方なので、見てくれが無精髭に眼鏡で鼻毛チラッ…とクッソ地味だったりするわけですね。既に今回契約を結んだ事務所の公式HPにはキメッキメの写真が並んでいてアレですけど。。。

 世間から期待される「自分」と自分の中から見ている「自分」の乖離、そのズレに気持ち悪さを感じることというのは今までもしょっちゅうで、しかも自分のちょっと売れたその「名前」には、経済的にすがる者も現れ、身内親戚であれ、所属する団体の職員であれ、その生活が自分の、それも自分でない「名前」の行動に左右されがちという中で、本来の自分を維持しつつ周囲の期待にも応えようとするというメンタル的な心労というのは、理解されがたいものがあります。当然、実力不足のまま名前だけが大きくなることとはすなわち、その実力不足も大きく注目されがちであるという懸念もありました。

 無名な私たちの社会における無名性の居心地の良さというのは、おそらく失ってみて初めて実感できる類のものではないでしょうか――。


 そういった慎重さもあって、身の丈に合った「お一人さま」を今後も細々とやっていこうと思っていた年始、新興の小さなタレント事務所「Co-Co Life☆女子部タレント事業部」さんからお声がかかったというわけです。屋号名からして軽い感じがして躊躇ったんですけれど。
 スタッフの中には上京時からよく知る10年近い付き合いのおエラ方もいて、自分なりに考えはしましたが、私自身も三十路に突入し、自分のプライドやエゴといった拘りを捨てて相手に自分を委ねることも駒を進める上で悪くはないんじゃないかとの想いが芽生えるようになりました。

 自分で自分を分かることほど難しいことはありません。
 人は自分では分からない様々な部分を持っています。だから自分はこうだと自分自身を決めつけないで、相手に任せてみる。そのとき自分以上の自分が引き出されることもあるのだということを、18歳以降「見えない障害を抱えて生きる」中でアイデンティティを拗らせながら何度か経験したことが私にもありました。
 その最たる例が、25のときの「小林くん、本を出版してみては」という提案一つだったようにも思います。筆をとって何とか自著を世に出してからの反響は大きなものでしたし、自分の可能性の扉を大きく開いたように思うわけですね。


 つまるところ、今回の事務所への所属は準備が整い「タイミング」がきた、と受け取りました。
 これまでは自己選択と自己実現の連続でしたが、今は信頼できる人の手を借り、"流れ"に身を任せてみたい、という気持ちでいます。

 "流れ"に身を任せるというのは時に激流に流されたり波に呑まれたり岩に激突して大けがを負うこともあるでしょう。そういう浮き沈みの激しい中でも「等身大」の自分を自分の言葉として、その発信の場がマスメディアなのかSNSやブログなのかは分かりませんが、しっかりと自分の価値観や人生の振り返りや、反省、失敗、後悔、その場その場の現状認識みたいなものも小林春彦という「等身大」の"コンテンツ"として立たせることができたら良いな、と希望を持ちつつ頑張っていきたいと思っています。
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  お仕事のご依頼に関しましては事務所の方に直接投げて頂いても構わないですし、これまで通り小林までSNSとかメールや電話で連絡下さっても構わないです。優しいマネージャーさんへと上手に引き継ぐようにいたします(丸投げにしないのは私が前述のところに価値をおいているため)。

いかんせん年度末な上に新興の事務所という事もあって、引き継ぎとかでスタッフさんとも未だすったもんだしており、てんわやんわが落ち着くまで暫くかかりそうです。

とりあえず何でも気兼ねなくご相談ください。事務所の方とは密に連絡を取り合っています。

  直接事務所へ、という仕事のご依頼は
talent@co-co.ne.jp の方までどうぞ。

毎年恒例の募集がもうすぐ始まるわけです。


『DO-IT Japan2018』募集案内詳細
https://doit-japan.org/


 既に私も2007年の参加から十余年、このプログラムを通し多様な出会いがあり、多くを体験し、学ばせていただきました。誤解を恐れず言うと、ほぼ0かマイナスのスペックだった二十歳前後の私にとって踏み台になった部分も大いにあると思っています。

 全国にいる選抜メンバーや先生方が全員集合するのは年に一度の夏季プログラムですが、結構な数の貴重な情報がメーリングリストで飛び交い、Skype越しのオンラインミーティングも月1くらいで開催されており、地方在住の方でも不便はありません。

 なかには結婚したとかいうプライベートな報告などもあったり、今は私もほとんど傍観者状態ですが、力になれそうな事には協力したり、楽しくやっています。たまにDO-IT Japan本部のある東京大学先端科学技術研究センターでは集まれるメンバーでギャザリングと称し映画見たりお菓子パーティーもやっている感じです。

 応募については、障害や病気の種別・程度は問わないものの親御さんや学校の先生の強い熱意に押されて,,,という学生もままいるみたいですが、概ね選考段階で弾かれてしまいます。あくまで学生さんにそれなりの能動的な姿勢がある前提でご応募された方がいいみたいです。

 目標に対し暗中模索でありながらも、己の人生を切り拓いていこうという強い意思のある若者の皆さんは、良い縁があると思います。ぜひ。

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==(以下、広報用/自由転載)==
【DO-IT Japan2018スカラープログラム 応募アナウンス・応募要領 ホームページ公開】

今年度は、以下の2つの枠で参加者の募集を行います。

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■2018年度スカラー募集(対象:中学生から大学院生まで)
選抜を受け、プログラムに参加する学生は「スカラー」と呼ばれます。
毎年夏に開催される夏季プログラムの参加に加え、インターネットを活用したオンラインメンタリング、ギャザリング、海外研修など、年間を通じたプログラムに参加することができます

■特別コース「特別聴講生」募集(対象:小学生・中学生)
小学生・中学生の皆さんに向けて、スカラープログラムを部分的(夏季プログラムの一部)に参加することができる特別コースに参加することができます。
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応募書類受取期間は、2018年4月2日(月)から5月6日(日)まで(当日消印有効)

募集概要及び応募要領は、DO-ITホームページよりご確認ください。
全国にいる皆さまからの募集をお待ちしております。
お近くにご興味・関心のある方への広報もよろしくお願いいたします。

★募集案内詳細ホームページURL:https://doit-japan.org/


【問い合わせ】
DO-IT Japan事務局

〒153-8904 東京都目黒区駒場 4-6-1 
東京大学先端科学技術研究センター 3 号館 311 号室 

電話 / FAX : 03-5452-5228 
メールアドレス : toiawase@doit-japan.org 
※「新規参加者募集について」と伝えてください。
DO-IT (Diversity, Opportunities, Internetworking and Technology)Japan公式HP
http://www.doit-japan.org

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