こんにちは、小林春彦と申します。
 令和元年11月1日。巷にはいろいろと胡散臭い人が多数いますが、例にも漏れず、まだおよそメジャーであるとは言えない私も世間的にその一人です。今日はそんな私からお願いがあり、初めましての人に向け、またそうでない人に向けても本稿を執筆しています。


 私は現在、自身の抱える複数の難解な病気や障害の体験をもとに、障害者とそのとりまく社会について、意見を発信する活動を続けています。主な発信源は、著述・講演・SNS・メディアへの出演です。今回これらの活動のうち特に「講演活動」について皆さんのご協力を仰ぎたく、クラウドファンディングを決意しました。
 

 ご支援をお願いするのは、題して『小林春彦、18歳のビッグバン全国行脚講演ファイナル』。
 長らく続けてきた講演活動に"一旦"ピリオドを打つにあたり、日本列島を約一年かけて回り切る講演会を開催する(いずれの会場も入場無料で自主開催を予定)というものです。


 具体的な内容に触れる前に、自己紹介をさせてください。
 

 私は18歳の時に広範囲脳梗塞に倒れ、身体機能と高次脳機能に重複した障害を抱える中途障害者となりました。自身で知覚することも他者に理解してもらうことも難しい厄介な障害の残る身ながら念願の大学受験にチャレンジし、その過程で大学入試センターに働きかけ、脳機能の障害を根拠とした措置試験を日本で初めて実現しました。

 そして28歳の時、自分の体験をまとめた著書『18歳のビッグバン 見えない障害を抱えて生きるということ(あけび書房)』を出版。発達障害や高次脳機能障害といった「見えない障害」にスポットを当てたこの本は、多くの反響を得ました。著書を多くの方に知ってもらうべく全国を講演して回ったのが、私が講演活動を行うようになったそもそものはじまりでした。

 処女作の興奮と若気の至りで、「この本引っ提げ全47都道府県、漏らさず講演で全国行脚して完売したる」と大々的に公言し、せっかく上京し拠点としていた東京を飛び出した記憶が昨日のように蘇ります。
新作アルバムを出したミュージシャンが全国ツアーを行うようなエモいノリでしたっけ。
 無名だった書籍は1年で重版が決まり、講演会の登壇は100回を越し、初めは拙かった講演のパッケージも場数を踏む毎に磨かれ、 いつの間にか「見えない障害」は「見えない何か」といった生きづらさという接点から社会的少数派(マイノリティ)、人権学習の素材に転じるなど、累計聴講者数も3万人以上となりました。


 そんな狭い界隈におけるスターダムを駆け上がりつつある私が、なぜ『全国行脚講演ファイナル』を企図したか、その経緯を申し上げたいと思うわけです。なぜ講演活動に一旦ピリオドを打つのか、なぜ最後にもう一度行脚をしようというのか——


 障害を得て15年、著作を上梓して5年が経ちました。ひたすらに突っ走った日々を振り返った時、ふと、これから先のことが過りました。時代が進み、障害者の周辺事情も変化しています。私は意見発信者として、より現代に即した視点や思想を持たねばならない。常に社会的価値のあるものを発信しなければならない。未来に向けて見識を蓄積し、発想を磨く必要がある。そのためには異文化やヒトと触れあう感動体験や言葉を紡ぐ一人の時間が不足している、そのように思うようになったのです。

 実はいくつか布石をはじめています。

 目下『18歳のビッグバン』に続く著作を検討し、すでにいくらか進行しています。また東京オリンピックパラリンピックが終われば日本を飛び出し海外の大学に留学して、最先端の障害者研究や多様な価値観を学び、日本に持ち込みたいと既に奨学金まで狙いを定めて計画しています。

 これらは生半可なことではできません。現在行っている一連の活動にビシッと区切りをつけ、集中して臨む必要があります。そのために、講演活動を一旦お休みさせていただこうと思っているわけです。


 しかしながら、このまま簡単に「はいおしまい」にしてしまうわけにいかない——との想いが、私の中にわだかまっています。それをクリアーにしないかぎり、私は次のステージに進むことはできないでしょう。

 講演で全国を回ったことにより、多くの方々とご縁をいただきました。メディア出演が増えて知名度が上がると、全国各地から「ぜひ小林さんの話を聞きたい」と、声を寄せられるようになりました。もちろん私としては、同じ悩みを持ち、それでも前を向いて生きていこうとする人たちの気持ちに応えたいので、全国どこへでも赴き、語り合ってきました。

 ところが、講演先がいつも利便性の高い場所とは限りません。遠隔地や離島の場合もあります。移動時間がおびただしく、交通費・宿泊費もかかります。予算は、お招きくださる方々の力に支えられていますが、地方に行けばいくほど損保さんにお願いするなどしてみても厳しくなるようです。そうなると、私としても簡単に「行きます」と言えなくなります。

 かつて、さる遠隔地からの講演依頼がありました。提示された予算はJRの片道分程度。しかし先方の熱意に打たれ、どうしても断りきれず、高速バスで片道13時間掛けて行きました。夜は漫画喫茶に宿泊です。無茶をしながらでも講演先に向かう私の姿勢を褒めてくださる方もおられますが、さすがにこれでは自分の体力が持ちませんし、こんなことを続けていたら今後の活動全部を圧迫しかねません。頭からつま先まで身体の中心から左半身にある「見えない障害」として忘れられがちな「麻痺・硬直・痛み」が追い討ちをかける。。。では「予算が付けば動けるのか」と、入場料を慎重に設定し催行しましたところ、来場者が少なく、せっかく私を呼んでくださった主催者様が気の毒でした。そんなに景気の良い時代でもありません。でもせめて片道くらい新幹線や飛行機に乗りたい。


「この本引っ提げ全47都道府県、漏らさず講演で全国行脚して完売したる」



 初版完売は果たしましたが、何より、私は有口無行を嫌います。

 このように、絶対的な予算不足によって遠隔地での講演活動が行えないのは、30歳を過ぎた頃からの気掛かりでありました。私の話を聞きたいと言ってくれる人がいる。行きたい気持ちも、やまやま。しかし予算の壁は厳然と存在する。むしろそういう地域こそ、情報を求めている……

 それならばいっそ、期間を一年と切って、支援者を募り、今まで行けなかった地方部を優先・中心にして、残す都道府県を回ってみてはどうか——。そう思ったのが、今回のクラウドファンディングのきっかけです。


 再来年になると、私は講演活動を一旦打ち切ります。そう遠くない未来に新しい言葉を発信するために、自分を磨いてまいります。その前に、2020年度を丸一年かけて、全国のまだ見ぬ同じ悩みを抱える仲間と出会い、話をし、声を聞きたいと思っています。

 大切なお金だから「やっぱ胡散臭い」と評価される方もいらっしゃるかもしれません。
 勝手なお願いと重々承知の上で、どうかこれらのチャンスにお力添えいただけませんでしょうか。
 皆さまの温かい志に、願いをこめる次第であります。



小林春彦クラウドファンティングFINAL.jpg




 

※一人で走り出した企画であるため現在、一生懸命クラウドファンティングのページを作成しています。

 2019年11月11日のサイトオープン当日まで金額やリターンなどの詳しいことはお待ちください。

 クラウドファンティングは人生初めての経験ですが、勝つか負けるか一発勝負の《ALL or NOTHING方式》で臨むことにしました。


▼ 2019/11/11サイトオープンしました。応援よろしくお願いします▼
https://readyfor.jp/projects/kobayashi-haruhiko

 4月3日にCo-CoLifeタレント部との業務委託契約の解除を私から申し入れ、正式に受理されました。ところがこれに伴い、事務所は自社サイトに「契約解除の経緯」なる文書を掲示しました。こちらの内容がいかにも含むところありな筆致であったことから、日ごろ私を応援してくださっている皆さまに混乱と不安を与える結果となりました。
ご心配をおかけしたことにつきましては、幾重にもお詫びを申し上げます。
しかしご安心ください。
小林春彦は以前と変わらぬスタイルで、今後も自分のなすべき活動を続けてまいります。
そのための英気は十分に持っていますから。

 とはいえ、とても弁護士を介したとは思えない小林春彦への名誉棄損を匂わせるサイトの怪文や最近の私のSNSを見て「一体何が起きてるの」かと思われていた方もおられるはずです。実際、私のFaceBookへの書き込みは100を越え、私の元に、たくさんの質問や激励の声が寄せられています。誠心誠意お返事を差し上げておりましたが、流石に今は逐一お返事ができない状況にあります。
 私としては皆さんにキチンと説明する責任があると考えていますので、このブログで、今言えること・今私の心境をお伝えしようと思いました。

 私がCo-CoLifeの所属タレントになったのは昨年初頭、ある女性から「障害者専門の芸能事務所をはじめるから、ぜひ」と誘われたのがきっかけです。2020年に東京でパラ五輪が開催されることから、時代を先取りしたビジネスとして立ち上げられたのだと思います。私としては、その女性とは年に1度、顔を会わす機会があるかないか程度の間でしたが、独立時に応援する程度には信頼していた方でした。また自分の活動の領域を広げられるならと、事業に参加させていただきました。

 しかし、実際に所属で活動していると「あっ、これは問題になるな」と思うことが頻出しました。税務や契約や運営について尋ねると、はぐらかされたりシャットアウトされたり。「あなたには関係ないことでしょう」といわんばかりの対応です。私は同じ船に乗る仲間だと思って、また信頼していたからこそ、当事者の経験をもって積極的に関わろうとしたのに……心の距離はあっという間に離れていきました。
 しかも件の誰某、「小林春彦を育てたのは私だ」という謎の吹聴を事務所の仲間たちにしているというのです。この人は、恩を仇で返すというのか。

 それが決定的になったのは、200名を超す応募のあったCo-CoLifeタレント部による新人オーディションです。囲い込みや青田買いのあった私を含む初期メンバーとは別に、事務所は次代の障害者タレントを発掘すべく、全国に募集を掛けました。対象は知的・精神・身体の3障害で、曰く「障害者手帳の有無を問いません/障害の程度を問いません」。結果、選抜されたのは身体障害の方ばかり。
 私同様、発達障害や高次脳機能障害といった脳機能障害を抱えている方も多数応募していたのですが、一人も採用されず……疑問に思ったものです。
 実際、「身体障害じゃないとだめなんですか?」という声が多数出ました。そういう問い合わせは発足当初からあったことです。ところが、あろうことか関係者が回答に「ウチには小林春彦さんという障害者がいますよ」——私は一つの証拠として扱われていたのです。

 オーディション後も違和感は募りました。一番堪えたのは外向けに用意されたレッスン生の口から度々こぼれる「小林さんのようになりたかったのに」という悔悟の言葉です。同様の悩みは、私の元へと直接メールで寄せられました。

 随分な量です。
障害者にとって高額なレッスン代やオーディションの受験料、サポート体制、叶わぬ夢。そこには思いのたけが、縷々綴られている。
 私は全くの無名だった頃を思い出し、胸の締め付けられる思いで一つ一つ読み、考えました。

「彼・彼女らの中には私の本を読んだ人もいる。なのに事務所はその私を広告塔にして人を集めている。その結果、彼・彼女らは……」

 私は胸のモヤモヤを抱えきれなくなりました。「障害」という同じ問題があって人は人、そんな簡単に割り切れるものか。嘘や矛盾や不条理を両手いっぱいに「それも人だよ」って笑えるようにならなくちゃいけないの。


「オーディションで、総合的に判断しました」


 その後、同じ所属タレントの中で、残念ながら亡くなった若き故人の写真を掲げ、頭に「サンキュー」などと書いて真っ黒な契約書を結ばせていた事務所にSNSで苦言したりといろいろやりとりがあって、今回の顛末に至ったというわけです。
 事務所に所属して1年間。事務所がとってきた仕事なんてメディアも講演もなかったのに、小林春彦に指名でやってきたTVや講演会の仕事は何故か事務所実績のようにHPで演出されていたり、今回フリーに戻るまで、実にいろんなことを見て聞いて考え悩まされました。夢と現実を行き来し、とはこのことでしょうか。しかし屈せず、最善を尽くしてきたつもりです。
 
 でももう、ガマンの限界。この集まりの中で1番最初に口を切るのは、10数年以上、プライドをかけ障害者啓発を続けてきた自分でいたかった。

 そもそも、「障害者バブル」という景気の良い言葉と共に産声を上げた当初から、互いの意識の間に、看過できないズレがあったのをハッキリと思い出します。新しい元号を前にして尚も美しくパッケージ化され消費されていく障害者、難病者、闘い抜いた死人。

 愛され受け入れられて育った自己肯定感溢れる障害者の、障害を「武器」に笑いに涙に個性になどというパワーワードが、障害を得て社会から転落し身も心も病んだ障害者たちにどう聞こえるかCo-CoLifeという集まり、現NPO施無畏の理事副理事の連中は一度でも想像したことがあるのかー。
 私たちはこの社会に潜んだ怒りや悲しみを許し、どう癒せというのでしょう。仲間の生を祈るほかない属性です。

鬼が行き交う世間、渡り切るので精いっぱい。
この世の中は、弱い者に冷たいね。



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 …と、ここまで落ち着いて書いたものを読み返すと、書き足りないことがたくさんあるような気がします。私の奥歯にはまだ随分とモヤモヤが挟まっている……しかし今日のところはここまでにしておきたいと思います。

事務所には、現に所属している人がいます。レッスンに励んでいる人もいます。
今まさに、夢を追いかけている人がいるのですから。
あらゆる意味で注目のある事務所だから、色んな話が順番に出てくるとも思う。
彼・彼女らの顔を思い浮かべつつ、ひとまず、投稿ボタンをクリックすることにしたいと思います。

  昨日、一昨日、で片付くはずだった大掃除と引越しが終わらないわけですよ。


 今年は、これまで撒いてきた種…というより我が身から離れ風にのって運ばれた綿毛が、思わぬ土壌で次々に発芽してるのを強く感じていました。


  とにかくいろいろ声がかかる。

  年始に芸能プロダクションからスカウトされて契約を結んだかと思いきや、事務所とは全く関係のないところで小林春彦を発見して下さったメディア関係者も多くいました。

  けっきょく、メリットデメリットを考慮して、事務所とは専属契約からエージェント契約に切り替えてしまいましたが、仲良くやっています。

  ある局では指名でテレビの討論番組に呼んでいただいたり、別の局では何故か私ソロの特集番組が組まれたり。また突然アパレル企業のメンズモデルに起用される、六本木ヒルズでのファッションショーへの出演を果たす、旧知のところでは母校や馴染みの学校から人権学習の講演依頼もあり、という充実ぷり。

  なんでも屋を謳って執筆や講演業をやってきましたが、他でもない私という人間の持ち味を求めてくれる奇特な人が世界にいるのは、素直に嬉しく、有難いことです。


  あと、何か宗教に入信したというわけでもないんですが、自分教とでもいうんでしょうか。自分なりに理解した神への信仰心を、持つようになりました。

  やはり先行きの見えない中での漠然とした不安はありますし、神なき世界、指針なき社会の中で「こんな時はどうしたらいい」っていうのが私にも長い間ありました。

  そして社会の階段を上がり、何かを発信し続ける過程で、落とし穴が随所にあるのが人生。そして足を引き合うのが世の中だとするならば、処世として品行方正こそが、最高の武器に他ならないと思います。

  1人でいても神は見ている、誰が言わずとも良心に従う。

  私自身まだまだ弱い生き物ですし、いろいろ嫌がらせをされるくらいには社会との繋がりもあります。
  ただ、他人や世の中を裁くのではなく自分の側の問題だけを見る。新しい歳は、そういう態度で自己の成長を続けていきたいと思っています。


  聖人君子にはなれないけれど感謝と負けん気で、上手にリスクをとって生き抜いていけたらと。

取り敢えず大掃除、引越しを終えなきゃ。



  
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31歳に、なりました。

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