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毎年特別な日だけど、

今年のカミコベは今までで一番じゃないかな。

場面を逐一書いてたらキリがないし、

活字じゃその感動はなかなか伝えにくいけど、

とにかく、

1人の男に対する感謝と愛に溢れた、

ロックフェスとは思えないような、人間味のある暖かくて優しいチャリティーフェスだった。

勝手な印象だけど、

今まではバンド、ライブ、ロックの次にチャリティーが付いてきてた。

でも今年はチャリティーが先ずあって、人が人を想う愛情が溢れてる場所のBGMとしてライブがあった感じ。上手く言えへんけど。

天気もめっちゃ良くて、まさかの猛暑日になって運営側もお客さんも演者もみんな大変だったと思う。

中にはへばってる人もいたけど、ほとんどの人がやっぱすごい笑顔で、開催出来たことも勿論、色んな嬉しい楽しい想いが優しく伝染していく感じが見ててたまらなかった!

そんな今年のCOMINGKOBEに、

神戸バンドとして去年も、その前からも何回も出させて頂いてますが、

特に個人的に例年とは違う携わり方をしました。

KNOCK OUT MONKEYとしては今回別会場のkoyoステージで夕方の出演でしたが、

お昼にまず僕は空港島のメイン会場内にある"ひとぼうステージ"というトークステージでのゲストとして招かれました。

一緒のステージにトークゲストとして肩を並べたのが、

コザック前田(ガガガSP)
ジャガー(THE SKIPPERS)
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                                      (クイズ番組かw)

いやマジでココに何故ワタシ?w

w-shunと間違えてない?笑

って、オファー受けた時は最初思ったし、

でもこのステージの主旨や、何故ボクが抜擢されたのかの経緯を聞いたら納得しました。

どういうことかと言うと、ひとぼうステージでもチラっとだけ話しに出しましたが…
(※ここから回想シーンに突入します)


1995年1月17日 午前5時46分

阪神・淡路大震災 発生

当時マンションの1階に住んでいたのですが、

建物全体を突き上げるような衝撃とその威力に、

一度9階建にも及ぶマンション全体が浮いたのかもしれません。

で、ズドーン!と落ちたのかな、その結果、外観的にはほぼ2階だったところが1階の位置まで沈みこみ、

1階に住んでいたボクは生き埋めになりました。

2段ベッドの上で寝ていたボクの、鼻先数ミリに迫っていた天井。

今思えば天井っていうかマンションの上階8階分か。

全く体を起こすことが出来なかったけど、

天井とベッドの間で突っぱねている内に、

ダメージを受けていたベッドの方が壊れて、

何とか兄と部屋の中で合流し、
(あ、兄いますw)

手探りで唯一座れそうな箇所を見つけ、兄がボクを後ろから抱き抱えてくれる形で、じっと2人で居ました。

日が昇るにつれて、普段なら外の光が差し込むはずの部屋はずっと真っ暗で、

今が何時なのか分からない。

すぐ側に居てくれている兄の顔すら分からないレベル。

運良く外に出れた母と、壁越しに声を掛け合い、お互いの安否を確認し、それからも近所の知り合いのおっちゃん達がたくさん駆けつけてくれて、

『すぐ助けたるからな!待っとけよ!頑張れよ!』

みんなが声を掛けてくれた。

『うん!』

そう返事するのがやっとだった。

だってその頃ボクは
尿意と戦ってたんだものw

程なくして、助けが助けを呼び、

遂にレスキュー隊の登場‼︎キター(°▽°)

母の居る所に行くには、ボクらの部屋と、母の部屋の押入れ越しに隔たれた壁をぶち破るしかない。

まずマンション上階8階分にプレスされた布団やら、押入れの物を何とか取り出し、壁に行き着いたら穴を開けるって作業だったんだけど、

その途中も震度5〜6レベルの余震が多発。

その度にガラガラと何かが崩れ落ちる音が聞こえ、

その度に『大丈夫か⁈』と安否を確認してもらいながら、

続く作業の中、レスキュー隊の隊長?が放った一言。



『次また(余震)デカイの来たら、お前らは(作業)ヤメて逃げろ!』



えー?ヤメるのー?(°▽°;)

もしそうなったとしても、一人残ってこの子達を助け出す!そんな隊長さんの決意はカッコ良かったけどさ?

正直、来てくれてるならみんなで早よ出して?って思うよねw

おしっこ漏れそうなんですけど?w

結局、そんな余震も無くは無かったけど、危険を顧みず、そしてあきらめず皆さんが懸命に頑張ってくださり、

一人通れるぐらいの穴が開き、さぁおいで!と隊長さんに呼ばれた。

その時、兄が『コイツから先に出したってください!』って言ってくれたのを覚えてる。



兄、えぇヤツ←おぃ



ずっと真っ暗で、時間の流れも分からないままだったから、後で聞いて分かったことだけど、地震発生から実に9時間もの間生き埋めになっていました。

外の光は眩しく、その光を背に、まるで後光が射したかのように見えた母が、ボクを抱きしめてくれた時、その日初めて泣きました。

暗がりの中でずっと側にいて励ましてくれた兄が居てくれたから、その安心感で生き埋めの間も泣くことは無かったんだけど。

あれはアカン、オカン、アカン、泣くわw←おぃ

そして地震発生から実に9時間を経て、

ようやくボクはこの日、

靴下を履きましたw
(あれ?からの、靴ってどうしたっけ?覚えてねー!w)



今みたいに携帯電話が普及してないし、

全てのライフラインが断たれて、

この時点では公衆電話もアウト。

家族3人の安否を、

家"だった"場所←に書き残して、通っていた小学校へ避難。

ここから、約2週間に渡る小学校での避難所生活が始まります。(新生活スタート♪)

知り合いの家族3家族ぐらい?と一緒で、

勿論、知らない人たちも沢山いて、

教室の中でもごくごく限られたスペース。

どれくらいかって、

畳1畳分あるか無いかのスペースにウチの家族4人で寝てたからね(狭)。

まぁまだボクも小さかったし、
天の声:『今でも小さいよ♪』…ゴルァ!∑(゚Д゚)

人間その気になれば何とかなるってのをまず知った一つ。

そうそう、話しの中でいつの間にか一人増えてましたね。

父ですw

はっきりとした時間は覚えてないけど、

夜…もしかしたら深夜だったかな、地震当日の。

そもそも序盤に登場しなかったのは、

地震発生時、父は仕事で東京にいて、

TVのニュースで地震を知りました。

勿論、こちら側と連絡がつくはずも無く、

線路も道路もめちゃくちゃで、公共機関はストップ。

では、そんな状況下で父がどうやってボクらのところに東京から辿り着いたか。

まず、東京から新大阪?まで新幹線に乗り、

そこから鈍行に乗り換え行けるところまで、

そして電車が足止めになり、

次に父が取った行動が

ヒッチハイク(電波少年やん!w)

そういえばタクシーって選択肢は無かったのかな?今度聞いてみよ←

で、近づけるところまで近づいて、道路がグチャグチャでもぅこれ以上は…ってとこから、

最終は徒歩。

確か、尼崎から神戸まで歩いたんちゃうかな?

父、タフ←おぃ

父が到着した時、学校は廊下の電気だけは復活していて。

薄暗く静まり返った教室のドアが、突然ガラガラと音を立てて開いた。

母同様、光をバックにシルエットだけが見えた。

ボクはその時寝ぼけてたから、『え、誰?』ってなったけどw

母と兄はすぐに父だと分かって、駆け寄って行った。

そして、母と兄が泣き崩れた。

一番下のボクがいたからかもしれないけど、

2人とも気丈に振る舞って、ずっと耐えてたんだなと。

やっと緊張の糸が切れたんだと思う。

その光景を見ながら、

『あ、この人お父さんなんや』

って思ったのを覚えてますw

父はボクが生まれる前からずっと単身赴任で、

他の家庭みたいに毎日会えるような存在では無かった。

ボクは母っ子で、兄が年が6つ離れてるのもあるから風呂とか全部やってくれてたし、
 
兄が父代わりにみたいな感じで。

父親っていうものが感覚的によく分かってなかったし、仕事も何やってるか知らなかったもん。
(ゴメンねw)

でもこの日のあの光景を見て、何かしっくりきた感覚があった。

子供ながらに、いや、単純に、兄と母が喜んでることが嬉しかったのかな。

やっと揃った家族で過ごす避難所生活。

給水車が来て水を貰うために並ぶのも、食料や救援物資が届いた際に並ぶのも、全部家族や周りの大人がやってくれてたから、ただただ環境が特異なだけで、たまの余震にビビりながらもボク自身は楽しんでいたような気がする。

とは言え、支給される食料はなかなかのものでした。

朝、はんぺんだけ、とかあったしw

ちょうど朝はんぺーん(キャンペーンみたいに言うなw)の日の昼だったかな、

避難所生活何日目かは覚えてないけど、

何も無いから何もする事が無い、

そんな退屈な日々を我慢してた頃、

1台のトラックが颯爽と校庭に現れたのです!

そのトラックは荷台の側面が赤く、

その上に黄色い大きな"M"のマークが描かれた、

そう!あの!某ファーストフードのトラックです!

もうね、子供からしたらヒーロー参上!の勢いですよ!

普段は行かないけど、ここぞとばかりに『ボクも行くー!』言うて、案の定、子供が大半の長蛇の列に並んでさ?

ドキドキワクワクしながら自分の番を待ってたのさ。

で、いざ自分の番が来て『くださーい!』って声をかけて、渡されたのが…




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バンズののみ(ToT)

頂けるだけで感謝なんやけどね…

当時は子供ながらにちょっとショックやったなぁ。

兄も楽しみにしてたんやろな。

まさかの結末に、暴走して…

朝のはんぺん挟んで食うてたもんw

で、『やっぱアカンかぁ…』言うてたわw
(そりゃそうやw)

野菜や肉が挟まったハンバーガー。

今はお金さえ払えば当たり前に食べられるよ?

でも食べれない時があった。

あの頃、今は当たり前な事がほとんど当たりまえじゃなくなった。

今は電車も道路も繋がってて、

電気もガスも水道も通ってて、

携帯ですぐに連絡が取れて、

用を足したくなったら、学校の裏庭に穴掘ってしなくてもトイレに行きゃいいし、

風呂だって毎日入れるし、

朝起きたら目の前に天井無いし、

起きて開口一発目が『大丈夫か⁈』じゃなくて『おはよう』だし、

陽の光が射し込んで、部屋の明かりが点いて、

すぐに顔が見れるし、

お洒落して靴下履いて靴履いて、

玄関から外に出れるんよ。



って、全部ボクの経験からのボク目線の話。

それなりに大変な思いもしましたが(親が)、結果的には助かってるワケで、

身近な人を亡くしたり、もっと過酷な環境や辛い経験をした人が沢山いた。

今なお違う災害などで避難所生活を強いられていたり困ってる人がいる。

そういった人たちからすれば、今つらつらと書いてきたことは不謹慎な内容だと思うかもしれないけど、

このような実体験があり、それが風次さんの耳に入り、今回、COMINGKOBEのひとぼうステージで話をさせてもらう機会を頂きました。

事前に取材もして頂き、そこでもここに書いたような自分のことを久しぶりに話して分かったことがある。

今までこうやって第三者というか、全く知らない人に向けて地震の時の話をするなんてことは無かったし、話すつもりもなかった。

でも話してみて、関心を持ってもらえたり、聴けて良かったって言ってくれる人がいるんだなと。

でも正直"今の話しを元にステージではどのような事を来てくれた人たちに伝えたいですか"?と聞かれて、めちゃくちゃ悩みました。

上手くまとめる自信も時間も無かったし。

改めてこの場を借りて、

ボクが言いたかったのは、

災害とかって無いに越したことはないんだろうけど、

正直、こればっかりは体験・経験してみないとピンとこないと思うんよね。

戦争の頃の話をおじいちゃんやおばあちゃんから聞いたり、ニュースや学校の教科書で学んでも、

『そんなことがあったのか』
『大変やったんやな』

なんて考えはするけど…それ以上でもそれ以下でもないというか。

全部が全部、いつどこで起きてどんな内容で、なんて把握もしきれてないし。

ただ、戦争や災害、そういった話しを聞いたりニュースで見た時に、少しでもふと思い出したりそのことについて考えれたらまずはそれで良いんちゃうかな。

募金した方が良い?直接被災地に行ってボランティア活動しなきゃいけない?

ううん、そうじゃない。

想いが無いのに偽善で動くぐらいなら他人事で結構。

もし、自分も何かしたい!でも何をどうしたら良いかよく分からない…と想うなら!COMINGKOBEに行ってみて。

音楽フェスを通じて、楽しい気持ちを思いやりに変えて、少しでも募金したり、売上が献金になるグッズを買ったりして。

そのお金の行き先や使い道、後のことはその先の人たちを信じて任せたら良い。

お金使わなくても出来ることのヒントもたくさんある。

その小さな勇気や行動が、誰かの当たり前を取り戻す糧になったり、笑顔の種にちゃんとなるから。

抽選で外れた場合は…また考えよう(苦笑)。

もう一つは、

何よりボクが思うCOMINGKOBEの存在意義って、

こんな体験をしたボクでも普段から震災のことを考えてるワケではないし、

復興が進み、街の傷も人々の心の傷も、語弊があるかもしれないけど癒えることによって記憶は風化されていくもの。

でも決して忘れ去ってはいけないことだから、

毎年1月17日には神戸の東遊園地で

【阪神淡路大震災1.17のつどい】があり、

5時46分に黙祷をする。

そのことは毎年新聞やニュースでも取り上げて頂き、日本全国民が目にする機会になる。

前日に大体『明日は震災から◯年目です』的なニュースがあって、前日・当日はみんな震災のことに触れたり考えたりするけど、次の日からまた363日、多くの人がこのことから離れて暮らす。

『昨日は震災から◯年目でした』

そんなニュース無いし。

でも、COMINGKOBEがあることで、

春にこうやって震災について触れたり考えたりするきっかけが1年の内にもう一度訪れる。

これって本当に大事なことで、ありがたいことなんだよ。

チャリティーフェス。

想いが形に変わり、小さな募金箱に詰まったその気持ちは、COMINGKOBEが終わった後にちゃんと被災地や困っている人たちの助けになっていく。

終わるけど終わらない、そこから始まる本質。

死んじゃっても終わらない、ずっと活き続けるフェスなんです。

今を生きるみんなの力と、音楽の力で。

っていうのをひとぼうステージやkoyoステージでのライブでも、このほんの一部だけですが、話させて頂きました。

意図する想いの中の少しでも伝わっていたら良いと思うし、

ピンと来ない人が『知らんがな』と言ってしまっても、それはそれで仕方ないのかなと。

長々と話した割にまとまってないし、どっちやねん、なんて言われるであろうこんなボクですが、

当日の各ステージでの様子やインタビュー等…

実はNHKさんに密着?してもらってましたw

その模様は、後日NHKでCOMINGKOBEの特集番組として放送されて、松原さんや、フェスの様子、カミングライダーの密着がメインの合間に?たぶんチラっとはボクも出ると思いますので、良かったら観てください。

コレもまた、震災のことに触れて考えるキッカケの一つになる。

そっか、今年もう一回あるんやな。

震災から24年、今までで一番震災のことを考えたかもしれない。

あの時、励まし支えてくれた近所のおっちゃんたち、助け出してくれたレスキュー隊の皆さん、両親、兄、親戚、沢山の人たちのおかげで今のボクが在ります。ありがとうございました。

改めて、こうやって感謝の気持ちを思い返せるきっかけをくれたCOMINGKOBEありがとう。

松原さん、風次さん、本当にありがとうございました。

思い出話が中心になってしまい、肝心の?ライブに全然触れてませんでしたが…

本会場とは別会場で出番も最後だったのですが、沢山の人が残ってくれてて、観てくれたみんなありがとね!

色んや想いが溢れてかなりエモいライブになってしまいました…またハッピーなボクらを観にツアーにも遊びに来てください←

最後に、色々と書いてきましたが、COMINGKOBEを通して言いたいことをまとめると…



一緒に、音楽の力を信じてください。

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亜太でした!

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何のポーズやねんw

ピースy☆

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今、打ち上げを終えて神戸に帰ってる車内で書いてるよ。

w-shunが運転してるよ、珍しw

さて。

打ち上げあるからどうしても日はまたぐけど、

このツアー、終わってなる早で書くスタイルを今のところ継続中。

いよいよ自分の首を絞める領域に来た(早w)

ま、今はツアーが良い感じで気持ちがノッてるんでイケるざます!

昨日の盛岡で得た課題などなど、

セトリを中心にまた再構築して挑むことにした仙台でした。

自分たちのライブの前に、まず今回の東名阪以外の地域では地元バンドがサポートに入ってくれます。

仙台はDrop After Dawn。

めっちゃカッコ良くてイラっとしたw

昨日のCoup of the Babyもそうやってんけど、

20代前半のライブじゃないねん。

こっちの想像を遥かに凌駕してきよんねん。

刺激受けたりは勿論やけど、

状況としてはケツに火が付く感じ。

え、ヘタすりゃやられるぞ?

今日の仙台が終われば一旦神戸に帰るのみ。

身体や機材が別に最悪ぶっ壊れたとしても、

構わないから全身全霊やるって、

感情を魂に込めて、何を求められてるかよく分からんけど、自分らしさをぶっ放す。

そう思いながらライブに挑みました。

思うがままに、感じるままに。

っとここで睡魔に一旦負けてきますw
(現在、1時22分、次の運転が控えてるので…)



...zzZ



ちょっと復活。未だ、w-shun運転頑張ってくれてます。

セトリ組んだ時は意識してなかったけど、

序盤にあの曲をやって、そこにMACANAとの歴史を感じてくれた人がいました。

後から聞いた話なんやけどね、確かにって思ったし、その人と同じように自分も何か嬉しかったな。

中盤のSailingdayでは曲中に、今隣でハンドル握ってる人が『フロアに前3人とも降りよか』と耳打ちしてきて。

滅茶苦茶な発想だけど、異論は無かった。

無論、なんかすごい状況になったけど、結果楽しかったしピースな空間が出来たんじゃないかな。
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突然のことだったから、自分でも気持ちが高ぶったんだろうね、

この後、当初の流れに戻る段取りを忘れて勝手ながら少し話させてもらいました。

これからもライブハウスがライブハウスで在る為に。

あなたがそんなライブハウスに居てくれるように。

少しエモくなりながら迎えた最終セクション。

どうなっても良いから、今の自分の感情を表現出来るなら無茶なパフォーマンスでもやってやる!

そんな思考に支配されかけてた時にまさに、

足をすくわれることになったのです。

ツル♪Σ(・□・;)

皆の熱気からステージの床がすっかり濡れてしまってて…

ここは自分が悪いんやけど、それに気づいた途端、ふと冷静になったというか、感情が振り切る前に身体が本能的に守備表示したのですw
(オレのターン!守備表示!w)

そしてそのタイミングで、

ステージ袖に普段見慣れない物があるのが視界に入ってきました。

スタッフが、ワイドなモップを持って立っていたのですw
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その光景は、バンドスタッフではなく完全にバスケ部のマネージャー or 後輩でしたw

不測の事態を察知し、用意してくれたことには感謝しつつも…



コイツはいつどのタイミングで拭くつもりなのか?



セトリの流れ的にもうコチラは止まるつもりも無いから、まさか暴れ散らかすメンバーの間をスルリと抜けながらモップをかけるスキルが実はあるのか?



それとも

『モップありますよ』

ってだけなのか?w



走馬灯のように(実際走馬灯なんて見たこと無いし知らんけどw)ドバーッと思考が流れて、

一つのワードが僕の脳を支配しました。



『オモロイやんけw』



次の瞬間、

スタッフからモップを奪い自らステージをモップがけしましたw

そぅ、Twitterでお馴染みの

#BASSを弾け モード突入 feat.モップ

人生初のパフォーマンス?悪ふざけが出来ました、あざっす!w

ここで再び睡魔に襲われたので失礼します…
(ええとこー!w)



…zzZ



w-shunから運転を交代し、4時間程走り抜け、最後のタスキをナオミチに託し、無事帰宅。

家に着くと安心感からか、一気に疲れがドバーッと。

溜め込んだ
疲れが一気に
溢れ出た

そう、僕は俳人…あ、廃人と化したのでした。

で、すっかり集中力も切れ、今に至るのですw
(現在、8日午前1時40分)

で、どこまで話したっけ?(°▽°)

モップ事件からはもぅなんかテンションおかしなってもて(今もな←)

最後のw-shunの熱いMCの後ろでふざけて怒られるし、

思い返せば、

ステージ袖で初の舞台フォローを務めたスタッフの緊張をほぐそうとしたり、

この日のウチのPA(音響)さんが某バンドも担当してて、

その某バンドの某BASSくんの真似ネタをふんだんに盛り込んでそのPAさんを笑わすことにこだわったり、

いや〜我ながら自由奔放でしたw

そうなれたのも、

盛岡からの課題に取り組みながらのライブに、格段にバンドのグルーヴが良くなった手応えを演りながら感じてたからかな。

それだけ楽しめたってこと。

よっしゃ!٩( 'ω' )و
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(わざわざ顔文字と写真で2度も『よっしゃ』せんでえぇねん←)

とは言え、また新しい課題も出ました。

次のツアーは北海道。

もっともっと良くなるように、

もっともっと楽しくなるように、

チーム全員で欲張っていきます!

最後に、

まさかの想定外?な売れ行きに仙台の時点では2枚ぐらいしか残ってなくてそれも即売れちゃうという事態になった、人気爆発状態な僕デザインのMIXTUREロンT。

(※ホッケーTも売り切れたけど、ここはオレが書いてるからロンTネタを推させて頂きます←)
(え…それか…もしかしてロンTちょっとしか作ってくれてなかったっていうオチ?…浮かれ損?苦笑)

前回のBLOGで説明したのですが、

あえて右袖にバンド名をプリントしたのは…





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この為だったのかもしれません!!

GETした人は是非!

『袖に何書いてるん?』
『どこのバンドのやつなん?』

なんて聞かれた際には!

アイーン!!!!

でアピールしてくださいね♪w

亜太でした!ピースy☆

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2年ぶりの盛岡!時間空いてゴメンなさい!

やっと帰って来れました盛岡!

一昨日に始まったツアーBTTMpt2、

初日を渋谷でワンマン!ってしてきたけど、

やっぱりあれやわ。

あの日はいきなり番外編というか、

まぁ色々企画地味たこともあったりで、

やってみて思ったのが、今日の盛岡からツアー始まったな〜感がありました。

至らない点、トラブル、思い描いてたようにはならなかった流れなど、めちゃくちゃ課題が見えたライブでした。

勿論プロとしては完成されたモノを提示するべきなのかもしれないけど、プロ以前にバンドマンとして、ネガティヴに言えば失敗や課題、ポジティブに言えば発見や伸びしろがまだまだあるってことよね。

O.Aを見事に務めてくれたCoup of the Babyのライブを見て、色々と考えさせられることがあって、ホンマにこの企画、各地でやってる地元のアーティストさんとこうして一緒に演れて良かったなと。

改めて、Coup of the Babyの皆・ノブさん、素晴らしい盛岡魂・盛岡愛をありがとうございました!無茶な企画に賛同して頂き、力添え頂き、本当に感謝しております!

今日得た経験・バイブスを明日の仙台以降のツアーに連れて行きます。つまり、Coup of the Baby・ノブさん・盛岡・今日関わってくれた人全ての想いや熱を、絶やさず次の土地へ、更にその土地で得たモノを重ねて次の土地へ。

形に見える対バンとしては、今日で終わったかもしれないけど、ちゃんと頂いた刺激や共有した一日、打ち上げまでの全部を持っていくから、これからも宜しくな!

いや〜しかし渋谷のダメージが全然残ってる中でのSunshineはマジでキツかった…

でも極限の状態だからこそ思いついた、

HOPEに継ぐ"アレ"が発動しましたね!

サビ前半はもちろん頑張ってピョンピョン飛ぶさ?

でも後半キツいさね?

出来れば足を休めて、ストレッチなんか出来たら…

あ、屈伸あるじゃんw

ってなワケで、今日見た人しかピンと来ないと思うんで、是非明日以降のツアーに来て頂きたい所存にござりまする。

一応アナウンスしておくと、

KOM(亜太)エクササイズ、始めましたw

もっと最強で最高なライブ目指してツアー駆け巡って、絶対成長するから、先ずは次の仙台!覚悟しとけよコノヤロー!!!!

ファッキンジャップぐらい分かるよバカヤロー!!

亜太でした!ピースy☆

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