月別アーカイブ / 2017年12月

今日和。

今巡業の千秋楽は、二日間に渡り行われます故、二点の私物を贈呈致します。

先ずは此方。





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ワイヤレスなイヤホンです。
コレ、すんげ便利です!
コードが無いって素晴らしい!

が、

僕の耳の穴が極めて小さい為、カナル型のイヤホンは入らないんです…苦笑

試行錯誤致しましたが、矢張り無理でした。

充電器はアンドロイド用の物でイケるので、其方は自分で用意して下さい。





続きましての、此方。





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今巡業に日々着用して居りました、ロングなコートです。

大方隠れますので、パンイチでもパンゼロであろうとバレません!

相応の覚悟を御持ちで在れば、職場や学校と自宅とを往復する平坦な日常から脱却し、非日常を愉しむ事も又一興ではないでしょうか。

自己責任ですがね。

以上です。

二十七日、二十八日。

両日共に宜しく願います!

帰宅後、死の淵を彷徨いました。

て、それは流石に爆盛りですがw
とんでもねえ時期の貰い風邪で、半端ねえ辛かったです。

各地方場所での公演は、わりと声も伸びやかに出て居た会場が多かっただけに、何より大事な想いで臨む十周年公演付近には、心からの絶望を抱いたものだ…苦笑

この瞬間も、当たり前の様に声が出る、なんつう事は無いものだと実感した。

それでも、何とか良いものにしたいと云う、そんな一心で臨みました。

この十年に及ぶ活動の軌跡は、感慨深くも成長させてくれたんだな、と思える節が数多く有って、彼の場所に居た者には、きっと伝わったと感じられる場面が幾つも有った。

その存在の大きさを改めて認識出来る機会でした。

心より深く感謝致します。
どうも有難う。

目一杯藻搔き足掻いて抗い喰らい付いた十年間でした。

遣れる限り、出来る限り、此の先も僕は叫声び続けて生きたいです。

十一年目も何卒宜しく願い申し上げます。



今巡業も残すは千秋楽のみ。

それまでに確りと完治させて臨みます故、必ずや意義の在る意味を掴み残せる二日間にしよう。

何れ丈の者が気付いて居るか、定かではないが。

舞台上での僕の話。

今、ちょいと進んでるんですよね。
持病の奴めが。

んー、視野狭窄に依り、以前よりも更に見え難く成り始めて来て居る現状に在って。

最近特にちょくちょく増えて来てるんだけど、店舗行事での握手等をする際、僕の前に行っても気付かれず、時間差で

「え、あっ!?ごめん!あ、ありがとー!」

みたいな対応に成っちゃったりする時が有るでしょう?

悪気は一切無いんだが、見えんのよね。

片目が髪で半端に掛かってたりすると、余計に。

今後、そんな瞬間に直面したとて、その時は笑って許してくれ!笑



ちと、早々に脱線したから軌道修正するが。



狂気に満ち溢れる曲の際は、とことん暴れるけど、その分、特にひよりには。

僕と一等近い位置に居るので、物凄く気を遣わせてるんだろうなあと思います…苦笑

自分から行く事は、もうしていないし、誰かしらが近くに来た時。

あ、誰そ彼そがコチラガワニキテイルー

みたいな。

後はその時の気分で、何かを一緒にする時も有れば、軽くちょっかいなんぞ出す時も有ったり無かったり、かな。

日々、この病と付き合いながら、表現や魅せ方も変えて居るんです、少しずつね。



「盲」って楽曲が有るけれど、この曲は僕自身を題材に執筆した詩でして。

自分で手掛けといて、こう言うのは非常に良くないが、すっげえ嫌いな楽曲なんだよな。

唄ってて、めちゃくちゃ辛くなって苦しくなって圧し潰されそうに苛まれる。

完成した後に、歌詞の重さと云うものを改めて知らされた一曲だ。

何時の日か、現実にそう成って終いそうで。
唄いたくないと思う背景に、今は未だ受け入れたくないし、此処に居たいと強く願う自分が居るからだろう。

作曲した、たけまさは矢鱈とこの曲を推すが…笑

まあ、それでも、いざ歌えと言われりゃあ、その時は唄いますけどね。

歌詞にて記載された

「暁歌水月(あかつき)に手を振り 遠ざかる影」

ええ、暁と

「暁歌水月」故に、僕ら己龍

として、掛けた意味合いなんだけど。

て、そんな事は見りゃあ理解るか!

この一文が何を意味するか。

紛れも無い、君達の事です。
御丁寧にわざわざ宣言して去る者も、中には一割弱程度は居りますが。
その大半は音沙汰無く、と或る日に忽然と姿を見せず離れ行くものですよね。

だが、それは決して悪い事ではないし、出逢いと別離れは必然です。

新たな趣味や幸せを見付けて充実した日々を過ごし、元気に生きてくれてりゃあ、それが良いし、それで良いんですよ。

今迄寄り添い支えてくれてどうも有難う、と心から送り出します。

唯、ふとした瞬間であれ、何処ぞの場面でも、頭の片隅でも良い、僅かながらも思い返してくれたので在れば、それは冥利に尽きる。

それこそ、活動し、尚存在し続ける事の生ける証でも在る訳なのだから。

何時迄『黒崎眞弥』として居られるのかも、俺自身がもう解らないし、そこまで長い目で見れる様な自分も居ない。
着々と病の進行している身としては、ね。

それでも在り続けたいとは思うけれど。

ん?嗚呼、矛盾してるが、まあいい。

終わりたくないとは思うけど、喩え何時の日か、そんな日が訪れたとしても、その覚悟は出来ている、と云う意味に捉えて頂ければ、それで良しです。

でも、この期限付きやも知れぬ身で無ければ、各所での公演をより深く考える自分も居なかっただろうし、もっと無難且つ適当に熟して居たでしょうね。

本来そんな性格なので。

だから後悔を残す形で終焉を迎えたくはありません。

それが未練として、引き摺り這い蹲る様な人生として、痼を残した上で生き続けるのは嫌だから。
志半ばで夢を諦めた人の話も聞くし、この眼でも、その多くを見て参りました。

だからこそ、思う事は口にも態度にも示しますよ。

隠し切れず、出て仕舞うと云う方が正しいが。

喩え何の体制での活動で在っても、賛否両論は尽きる事無く廻り巡り続けます。

過去も、現在も。

だとすれば、自分達の思い指し示す形で、重箱の隅をつつかれた方が断然良くも遣り甲斐を感じられるものだ。

何の為に、真っ当な社会から外れてまで音楽活動を選んだのか。

それを考えれば、自ずと現体制を貫くその様を、誤った方向に囚われる事無く御理解頂けますでしょうか。

決して怪我や事故を率先して起こせだなんて事は一切思ってないから、不安要素さえ有れば、後方で好きに前へと行けるタイミングを伺いつつ、そうで無ければ、後方での自身の楽しみ方を見付けて下さいな。

今や強制労働宛らの一体感を強いる事も無くなったので、後方で自分なりに楽しむ独自のノリを発揮してる奴を見掛けるると、稀に吹き出しそうになるんだよねww
ほんと、微笑ましいです。
そんな絵面が見えるのも又一興。

但し、ヤリ過ぎて周りに迷惑掛けるのは、大人しく観て居たい者の気を害すので、その配慮だけはしっかり、ね。





こんな僕では在りますが。


もう暫し


添い遂げて下さい。





愛媛は松山での『朧月夜』公演も、何卒宜しく。

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