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愛に永遠は無いなんて言うくせに、この憂鬱な気持ちに永遠を感じて、この物足りない感じが一生続くのかなとか、みんなが当たり前のように幸せと思う瞬間を味わえないまま終わっちゃうのかなとか


あまりにも与えられるものに変化がなく安定していて、満たされていないと思うことが贅沢に思えてきたな。幸せと感じられない私に問題があるのではと自問する。みんなが当たり前のように幸せと思う瞬間が私にもあって、ただ私の感性の欠落で見逃しただけなのでは。私の空っぽは私があらゆるものを捨てた結果なんじゃないか。だとしたら、とんだ馬鹿だな。なんの茶番だよこれ。やはり自業自得の上贅沢じゃないか。
まあそれを分かったところで改善しようとは思わないけど。


わかりやすい幸せを想像して居心地が悪くなり、私には合わないと思う。暖かい家族とか理想の恋人とか。居心地の悪さは、「私なんかがそれを望んで、しかも実現するなんて、あつかましい。」ということなのだろう。なるほど、しっくりくる。


人との関わりにぎこちないものを感じるため、自己完結する好きが生きがいだ。
本を読むことが好きだ。絵を見ることが好きだ。音楽を聴くことがすきだ。寝ることが好きだ。手の中に収まる小さな画面で動画を観ている時がいちばん孤独を感じずにすむ。テレビの無断転載が無いと生きていけないよ。
ただ、無断転載観てる時は頭が馬鹿になってく気がするけど。でも、産まれる前のバラエティー番組とか無断転載でしかお手軽に観れないもんね。気のせい気のせい。
馬鹿になってく感覚って、やめなきゃやめなきゃって思うけどやめられなくて、落ちてく感じって焦るけど、その焦る感覚で安心して気持ちよくなってるんじゃないのかなってクソ気持ち悪いなそれ。気のせいだわ。


きっと望んで叶わなかったとき想像なんかで味わえない精神状態になりそうで怖くて自己完結でしか安心して好きになれない臆病者。私はそれに折り合いをつけて腑に落ちてるから満たされない感じも傷つかないためで、満たされない感覚は防衛確認。幸せは過激だから逃げまくってるよ。悪いか。だから私、「幸せになりたい」なんて言ったこと無い。幸せになる以外の幸せ見つけるよ。幸せだという感覚がなくてもなんとか過ごせてるよ。幸せだな。過ごせる程度なのに求めるの?贅沢だよ。これでいいよ。そうやって折り合いつけて納得させてたら貧相になっちゃったよ。鏡に映った自分がたまたま目に入って、つい「おいおい、ちゃんと生きろよ」って呆れたわ。


幸せになりたい欲をあつかましいことだと思っているため貧相になってしまった当たり前の結果を目にしても幸せを求める勇気はないままだ。
生きてるだけで褒められたいとか愛されたいとか言ってる人を見るだけでも、何故かひやひやしてしまう。生きてるだけで褒められたいと思ってる人がいることで、私も生きてるだけで褒められたいと思っても良いのでは?と気持ちの解放を促してくる。非常に良くない恐ろしい。

(テストに出ます。赤ペンで書きましょう!)
なぜなら、生きてるだけで褒められたい論は「生きてるだけで評価される」の「生きてるだけ」の捉え方に個人差があり、その言葉の重みや意味はその人次第で変わってくる。自身が真っ当に生きる人間なら少しの弱音や正論に使えたが、やらなければいけないことも出来ないような人間の言う「生きているだけ」は低レベルであり、そのような言葉を使えばとことん屑に成り下がってしまうからである。
だから、私をこれ以上屑にする優しくてまるで肯定してくれるようなこの言葉が非常に恐ろしい。負けたくねー。お疲れ様ですこんなくだらない話テストには出ません。

最低限なんて人それぞれだよな。寝て起きてだけでも精一杯の日だってあるし、何かに挑戦したくなる意欲的な日だってあるよな。日頃変化しつつあるものだしその変動も人それぞれだし、頑張ったって自分でそう思うなら頑張ったんだよな。
中学の部活動で顧問が「努力は他人に認められなきゃ努力とは言わない」って言ってたけど、他人そんないちいち見てねーよ。いちばん自分に近いとこにいるのは自分自身なんだから、しんどくなったら自分で認めような。
いま私は私を最低限すら生きず頑張ってないと思ってるよ。だから何かを求めるなんてあつかましいし、幸せなんてもってのほか。だから空虚も仕方ないって折り合いつけて腑に落ちてる。最低限が全然最低限じゃなくても最低限。理想が高いから、最低限を頭の位置より高くして、届かない届かないってやってるだけなんだよ。こんなことも出来ない自分は屑だって思い込んでる。自分を認めたら、これ以上にならない気がして怖い。なんか終わっちゃう気がするんだよね。でもさ、まだ終わりじゃないよね。きっとなんかこれからもぐだぐだ続くんでしょ。この物足りない感じとかがさ。
私の話はもういいや。


君の最低限を教えてよ
まだ終わりじゃない







‪いじめられてばかにされて だから爆弾作った 幻想のプライドなんかに振り回されて 少年‬ 思春期なんかで終わらすなよ

  幼い頃、僕は母の機嫌をとるだけの為に生きていました。母の機嫌をとることばかり意識して過ごす毎日でした。父は子どもに興味がありませんので、母に頼まれた時に、何が問題なのかも知らず怒鳴り声で脅すだけでした。怖い父は母を怒らせなければ怒ることがありませんので 、母を怒らせなければ怖くなりません。父は関わらなければ無害でした。それに対して母は、子どもに執着していた様に思います。僕がおばあちゃんに懐いていますと、僕を無視し始め、やっと口を聞いてもらえたと思うとおばあちゃんの悪口や、お前はおばあちゃんの子になれなどと理不尽に怒るのです。正直何を考えているのか当時は分からず、急に抱きしめたり急に手をあげたりする母の事が怖かったです。
 捨てられないようにと機嫌をとることに精一杯でした。そして、僕は母に定期的に手紙を書くようにしました。きっかけは学校で、親に手紙で感謝の気持ちを伝えるという内容の授業でした。僕は相変わらず気を使いながら手紙を書き、母の様子を伺いながら手紙を渡しました。母がどんな反応をするのか分からないので内心ハラハラとしていました。しかし、母は純粋にとても喜んでくれました。僕は、手紙に感謝の言葉を綴れば、母が喜んでくれると思いました。機嫌が良ければ一日は、理不尽なことで無視されたり怒られたりしなくて済むと思いました。それから僕は定期的に母に手紙を書いて渡すのですが、その手紙は母への恐怖心から媚びる気持ちで書かれていたものだとは、今も母は知りません。
 今、僕は高校生で、母が全ての生活からはもうとっくに抜け出しています。母の顔色を伺って神経をすり減らす日々でなくても生きていけることが分かった僕など可愛くありませんので、母と上手く付き合っていくことが難しいです。ちゃんと自我で接していますので、喧嘩をすることもあります。母は思い出したかのように「幼い頃のお前はあんなに懐いていて可愛かった」と言います。

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