実験 2019/12/22 15:29 いえいえいえ、忙しくて更新出来ませんよ、でも一寸、実験してみたい事があって、新しく作ったホームページ、(このブログの内容とほぼ被ります)引用したら、ちゃんとサムネイルが表示されるかなって、ただそれだけなんですけどね…このブログが好きだと云う大変奇特な方は、興味深く読めるページだと思うんですけど、解りやすく云いますと、プログラムを使って、バリバリ動かしてるんですよ…習得した技術をどんどん流し込んで。 吃驚!偉人奇人伝 keisaido.com さて、写るかなっと、ぬ、サイドサムネイルしか写らん、まだ工夫が足りない…
幣立宮縁起② 2019/6/18 16:43 えー、インターネットメディアでは未だに幣立神社の事を「幣立神宮」と呼び、パワースポットとして紹介してますし、社内の由来表記も昔の侭なんですが…Wikipediaだけは流石に冷静に事実のみ簡潔に記載していますね。 幣立神社 - Wikipedia ja.wikipedia.org 現宮司は撤回してないみたいですね…どうも…ただ、社会は認めていないのです。私はフィールドワークしてブログ書いてる訳じゃないんで、すいません、間違いが多々あります。「幣立宮縁起」は成立が古いとされているので、「竹内文書」が真似したのか、「幣立宮縁起」が真似したのか解らなくなりますが…原田実先生の本を読む限り、「幣立宮縁起」が……春木秀映が真似したんですね。「竹内文書」の…特に「五色人」のくだりを…訂正します。ちゃんと読んでから書けって話ですね、それは兎も角続きです。「幣立宮縁起」は反響を呼び…やがて大きな「事件」に巻き込まれて行く事になります。前回書きました「高天ヶ原の乱」は…霊能者による霊視…に依って書かれたものでして…審神者(さにわ)なる霊能者を招き入れ、書かれていったのですが…どうも、秀映自身が「審神者」を務めて、訪ねてきた霊能者の真偽を判断したりしてたそうなので…「審神者」と云う霊能者は秀映本人だったのでは?と云う感じもしますね。「高天ヶ原の乱」を中核とする「幣立宮縁起」の霊示が行われたのは昭和13年12月23日だったと云います。翌年、印刷配布したところ、何度も特高警察に呼び出されたそうです…そりゃあ、内容が不敬ですからね。不敬罪で捕まったりしなかったんでしょうか?「五色人祭」は毎年8月23日に行われてる幣立神宮の祭りなんですが…五色の世界の人種に因んで行われています。祭り自体が始まったのは昭和22年です。当時は戦争で不発に終わった東京オリンピックを再び誘致しようと云う機運が高まっており、それに便乗した訳ですが…五輪に因んで…そもそも、五色人の発想自体、霊示とかなんとか云ってますが、上記の通り、「竹内文書」の牽強付会ですから、真似してるんですね、秀映さんが。因みに…「モーセの面」ですが、秀映さんは「赤人」の面だ、と云っていましたが…現宮司は「白人の面」だと仰ってるそうで…これは「竹内文書」のモーセが「赤人」だったので、秀映さんも「赤人だ」と主張してた訳ですが…現宮司さんは現代人の感覚で「モーセなら白人」だ…と主張してるらしいです。…うーん、黄人じゃないんでしょうか?と云うどうでも良い点は兎も角…「幣立宮縁起」では更にトンデモな事を云っておりまして…15.000年前に「原人のタネ」を乗せた隕石が九州に落下、それは…ムー大陸とアトランティス大陸の中間地点だったからだとか…はあ…幣立神宮の御神体は…神代文字が彫り込まれた石板だそうですが…昭和48年に世に出した「青年地球誕生」には登場していません。老年まで、秀映さん、「創作」し続けてたんでしょうか…一方で、秀映さんの晩年…ある、事件に巻き込まれていきます。幣立神宮の外郭団体に「大観宮」と云う宗教法人があったのですが…この団体の正体は…当時世間を騒がせていた…「天下一家の会」※昭和54年最後に建設されたピラミッド状の建築物と云う有名なねずみ講の会社でした。無限連鎖講とも云いますね。詐欺です。問題はその所在地で…「天下一家の会」及び「大観宮」は宗教法人として…熊本県阿蘇郡阿蘇町に…つまり、幣立神宮と全く同じ所在地に(事務所が)存在している…と云う事が問題視された訳です。天下一家の会は最後まで自らをねずみ講の会社だと認めませんでした…宗教法人「幣立宮」は昭和48年に設立され「日の宮」として神社本庁に所管されており、「大観宮」も全く同じ所在地に宗教法人として「水の宮」として存在している…これを如何考えるか…問題になった訳ですが…※今は見事に何もありませんそうこうしているウチに…「無限連鎖講の防止に関する法律」が昭和54年に施行され…「天下一家の会」そのものが解散してしまいましたので…この問題自体有耶無耶のウチに決着してしまったのでした。現在では上記の通り、宮司さんも変わり、別の組織として活動していますが…矢張り、最初に書いた通り、縁起由来を変更するつもりはないみたいです…多々、お見苦しい点があった事を、慎んで御詫び致します。
幣立宮縁起 2019/6/18 14:46 えー、皆さんは所謂「パワースポット」ってもんに、今でも興味あります?一寸前に流行って廃れて…今では旅行が趣味の人ぐらいしか興味ないと思うんですが…根拠ないんですよ。最後に盛り上がった「白い御守り」とかね。態々行きませんよ。そう云う、根拠のない情報を取り上げるメディアも悪いですが、発信源は…大概著名人なので、余計タチが悪いです。えー、みなさん…船井幸雄って覚えてます?ビジネスマンが読むビジネス書。「プレジデント」とかに文章が掲載され…「ダイアモンド出版」とかから本がバンバン出版されてた、著名人です。ビジネス啓発書の権化みたいな人でしたね。亡くなりましたけど。その船井幸雄が自身のブログで紹介し、一躍パワースポットになったのが…熊本県上益城郡山都町にある…「幣立神宮」です。切っ掛けは船井幸雄がイベントの最中、訪れた事なんですが…有名な人ってすーぐ騙される…この神社、大層な縁起由来を持っている訳ですが、今現在は撤回されています。そもそも「神宮」なんて大したものじゃないんですね…阿蘇神社の末社で社各は郷社。どこにでもある、ふつーの神社なんです。それを大層なものにしてしまったのが…偽書…なんですね。「幣立宮縁起」(へいたてのみやえんぎ)と云います。15.000年前…宇宙の神霊より「高天ヶ原」として定められた聖地であると…神社の主祭神は大和民族の源神である…大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)であると…なんか凄い名前ですが…大宇宙と来たか…この神社の神域には曾て「神武天皇」「景行天皇」「神功皇后」の仮宮が置かれており…天智天皇は自らこの神域で御製を詠み、藤原鎌足にその歴史を調べさせたと…鎌足は「藤原姓」を賜ってすぐ死んだ筈ですが…まあ、良いでしょう。で、鎌足の子孫である、藤原定家が、この地で…「小倉百人一首」を編んだ…と…えー、「小倉」とは京都の小倉山ではなく、阿蘇山系の「お鞍山」の事だ…と云うんですね。苦しいですねえ…弘法大師空海や、日蓮上人も密かに参詣して足跡を残したと…????お坊さんが?まあ、、続けましょう。この神社では毎年「五色祭(いついろさい)」…と云う祭式を行っており…これは世界の五つの人種(白人・黒人・赤人・青人・黄人)それぞれの神を共に祀っているのだと…どっかで聞いた話だぞと、幣立神宮にはそれぞれの人種を表す五色人の面が伝わっていて…そのうちの一つは、モーセの面だと云う…………デジャヴります。この神社には、モーセが紅海を割ってエジプト軍から逃れた時に使った…「水の玉」と云うアイテム…ゴホンゴホン…御神宝もあると…この神社の神域、つまり高天ヶ原では、曾て…「高天ヶ原の乱」…と云う争乱があり、それは如何云うものだったかと云うと…神功皇后とその側近武内宿禰が所謂、「三韓征伐」から帰って来た後、暫く、この幣立神宮に滞在したそうな…で、神功皇后の夫の仲哀天皇は既に崩御されていたので…事もあろうに…神功皇后と武内宿禰は男女の間になり…「天君公(あまつきみこう)」と云う一子を賜ったと……罰当たりな…大体、その頃武内宿禰ってお爺さんじゃなかったっけ?お札にも描いてあるでしょ?まあ良いや…天皇として即位した仲哀天皇の皇子…応神天皇は自分の皇位を脅かす存在として「天君公」を恐れ、武内宿禰を刺殺し、兵を挙げて阿蘇を攻め、天君公は「叛乱」と云う在らぬ罪を着せられた事で「憤死」したと。これが「高天ヶ原の乱」なんですが…信じるだろうか…普通こんな話…信じちゃったんだろうな…武内巨麿も…だから「武内文書」の構造が「幣立宮縁起」にそっくりなんだ…しょうがないです、はい。現在は改められている、と書きましたが、先代の宮司さんが戦犯ですね。春木秀映と云う人です。神職になったのが昭和8年の事でして…宮司になったのがその翌年の昭和9年です。当時はまだ「幣立神社」と呼ばれていました。秀映さんは納得がいかんかったらしいのです。この時点での社伝「幣立宮縁起」はそれ程変なものではありませんでした。秀映さんが昭和48年に著した…「青年地球誕生」とか云う大層な本に、社伝の写しが掲載されています。江戸時代の寛文年間に書かれた「幣立宮縁起」の写しに依りますと…神武天皇の孫に当たる…「健磐竜命(たけいわたつのみこと)」が主祭神であると。この主祭神がこの地で幣帛を立てて、天神地祇を祀った事に始まり…10世紀延喜元年に阿蘇大宮司友成(ともなり)が社殿を建て伊勢両宮を祀り…12世紀天養元年に同じく阿蘇大宮司友隆(ともたか)が阿蘇神社を祀ったと…五色人も高天ヶ原も出てきません。まあ、ふつーの神社の由来です。どっから出て来た?大宇宙大和神…これ読みだけをオリジナルから引いてる訳です。オリジナルは「高天原縁起」と云う本で…「日乃宮(幣立神社)」が高天ヶ原にあり、天孫ニニギを始めとする神々がこの「日乃宮」から、日向・伊勢・筑紫・阿蘇等に派遣されていったと…この「高天原縁起」の作者は…「春木伊予守」と云う人物で、10世紀延喜元年に書かれたものです。主祭神は「大門能主大神」で読みは「おおとのちおおかみ」ですので、読みだけ「幣立宮縁起」は引いてる訳です。まあ、延喜年間と云えば平安時代ですので…「高天原縁起」も偽書と云うか…偽の由来だったのでしょうけど…秀映さんはこの「高天原縁起」を下敷きにイメージを膨らませて「青年地球誕生」を書いたんでしょうけど…その書き方がまた思いきったもので…まあ令和の現在の某宗教を彷彿とさせる書き方だったんです。霊示…霊媒ですね…続く…