孤独死の記事について何気なく呟いたらツイッター始めて以来最大のインプレッションになった。一番ウケたTweetが孤独死ネタというなんか哀しい現実…
孤独死に対する不安は全くないが、他人に迷惑をかけるのは忍びない。「縁」を作りたくないから孤独なのであって、必要なのは縁ではなくテクノロジーだと思う / 30~40代がいずれ迎える「大量孤独死」の未来 (東洋経済オンライン) #NewsPicks https://t.co/GapmX9hirw
— ミジンコ@たぶん孤独死する (@KDS_49) December 25, 2018
記事の内容は単純なものである。
社会と断絶された単身シニアが孤独死すると世間に迷惑をかけますよ。寂しさからの単身シニア多頭飼いも問題なってますよ。
むしろゆとり世代や団塊ジュニアがこれから大量孤独死の主役ですよ。あなたどうしますか。
という、メインの読者層である30、40代の不安を煽るだけの内容で、これ自体はどうということはない。
僕が驚いたのは、同じような境遇で、同じような意見を持つツイッタラーがとても多かったということだ。
普通に生きてると、40歳で家庭もなく彼女もおらず資産もなにも持たずひとりで慎ましく気ままに生きているという人間はそこそこのマイノリティではある。
周りからは若干白い目で見られるし、「お前はいいよな」「お前は家族いないからわからないだろうけど」というよくわからないネガティブな感情を投げつけられることも少なくはない。実際にこの記事も「孤独死予備軍」を社会不適合者の行く末として若干ディスって来ている。
自分で選んだ生き方なので他人にどうこう言われる筋合いもないんだけど、まあいわゆる正統派な人生ではないという自覚はあるし、少子化の加速に加担していることは事実なので、今までは何を言われても慎ましく受け流して来ていた。マイノリティとしてひっそりと佇んでいた。
でもこの同志の反応を見るに、決してマイノリティとも言い切れなくなってきているということがわかるし、そもそも孤独死予備軍の何が悪いのか?という今まで押し込んできた感情がにじみ出て来ている自分がいる。
一連のツイートにもあるように、孤独死予備軍は孤独死自体を全く恐れていない。それどころか、自ら選んで孤独死を迎えようとしているのだ。昭和的人間関係に違和感を覚えて拒絶して来たから今ひとりなのであって、「孤独死しないようにコミュニティに属するべき」というのは全く孤独死予備軍のことを理解していないお門違いの忠告だ。
要は、孤独死予備軍にとっては孤独なことが問題なのではなく、孤独死の発見が遅れると腐臭で周囲に迷惑をかけてしまうことが問題なのだ。
もっと言うと、それすら建前的に一応危惧しているふりをしているだけである。
孤独死予備軍は正直なところ、「死んだら終わりで誰が困ろうが知ったこっちゃない」と思っている。
死んだら終わり。無に還る。それだけ。
自分が死んだ後に後始末と腐臭で生きてる人がどれだけ困ろうが、本音を言えば、本当にどうでもいいと思ってる。
だから、そういう孤独死予備軍からは「孤独死補償金」を生前に徴収し、生体反応を監視するウェアラブルやチップやGPSを体内に埋め込めばいいと思う。
そういう社会に僕は生きて死にたい。