「飲み会は労働時間に含まれないのですか」
「自由参加にして欲しい」
部下からそう切り出され、戸惑った。うちの会社では定期的に「飲み会議」というのをやっている。会議だとなかなか意見が出ない人が多く、飲み会だと仕事の話が盛り上がらないため、その折衷案として生み出されたものだった。会場は会社。食費は会社持ち。ホワイトボードを使って飲みながらブレストやディスカッションを行う。お酒を飲むため夜に行なうのが慣例となっていた。もちろん飲めない社員はソフトドリンクで構わない。
お酒の力もあり、普段なかなか聞けない意見や斬新なアイデアが出るため、良い取り組みだと思っていた。僕自身、部下を誘って飲みに行くのが苦手というか好きではないので、これはうってつけだとこのフレームを頻繁に使っていた。
冒頭の意見は「会社の労働環境改善について語る会」で出たものだ。すごく滑稽な話なのだが、会社の労働環境改善について語る会自体が負担と感じていた社員が少なくなかったのだ。これには苦笑したと同時に、よかれと思って勝手に盛り上がっていた自分を恥じた。
即刻社長と協議し、「飲み会議」の廃止を決定した。このフレームは仕切る側のマネージャー研修の一環でもあると思っていたが、一般従業員にとっては会社への提言のチャンスとも有意義とも捉えられてなかったのだ。ノイジーマイノリティの意見なのかもしれないが、無視できない。
「自由参加にすればいいじゃん」「残業代出して参加させればいいじゃん」という話なのだが、なんか、そこまで会社がお膳立てしてあげないといけないことなのかな、と思ってしまい完全に気が抜けた。意欲のある人はそんなことしなくても自分から飲みに誘ってくれるし、いろいろ提案もしてくるし。
電通をはじめとして労働環境の浄化が社会問題化しているが、どこまでの会社が綺麗さっぱりホワイトになれるのだろう。きっと僕のように、キレイ過ぎる水は住みづらいと感じる魚も出てくるに違いない。そして環境が純化されていくと、今まで逆に多めに見てもらってた自己責任がより浮き彫りになると思うし、今は権利を主張していても、いざそうなったら後悔する人も多いだろう。
でも確実に、世界は純化に向かっている。「昔は違った」などと昭和の脳筋サラリーマンが愚痴っても仕方ない。時代遅れの仕事観、会社制度はどんどん脱ぎ捨ててアップデートしていかないと、生き残りすら危うい。