月別アーカイブ / 2017年06月

音楽のお話し、と言ってもボクに音楽的素養がある訳でもなく、知識が深い訳でもないので、どうか肩のお力を抜いて徒然なるままに。

アイドルヲタクをやっているとTwitterやブログ上、そして何より現場でいろいろな方とお話しさせていただく機会が多いのですが、その言葉の端々に「アイドル以外の音楽ルーツ」が垣間見えることがあって、面白いなぁと常々思っています。

あー、その頃ボクと一緒だわ、とか、えーそこからそっち行ったの?とか。

なのでその辺りのことを今日は少し。
先に言っておくけど、ナウなヤングは置き去りにします。
特に前半。

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幼少期に両親にねだって買ってもらったウルトラマンのカセットテープなんかを除いて思い返すと、ボクの音楽鑑賞の原点は80年代のバンドブームと言えます。

特に熱心に聴いていたのはUNICORN。
今も活動中ですし、日本のロックシーンで確固たる地位にいますから、皆さん知ってますね。
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若い方たちには「イイ感じで肩の力が抜けた愉快なおじさんたち」というイメージかもしれませんが、ボクの彼らに対するイメージはこちらが強い。
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懐かしいなぁ。
同じ時代を生きてきた感ある。

UNICORNは楽曲の幅広さも魅力で、当時数多いたバンドの中でも一つ図抜けた存在だった。
今でも生き残っているのには理由があるし、さして驚きでもない。

メンバーの脱退からバンド解散という流れを経るのですが、その終わりかけの楽曲たちの煌めき。

他にもデーゲーム、抱けるあの娘、ペケペケ、パパは金持ち~君達は天使、自転車泥棒、PTA。。。
ああ懐かしい。


当時こちらもボクを夢中にさせた。
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筋肉少女帯。
田舎の何者でもない小学生だった当時のボクは、ある夏にUNICORNと筋肉少女帯をどうしても観てみたくてライブに行くという冒険を決行。
Stand by me。

筋少は「元祖高木ブー伝説」とかギャグみたいなタイトルの曲が多いけれど、実は詞が繊細だったりして。
振り返るとボクがサブカルらしきものに初めて出会った瞬間かもしれない。
暴いておやりよドルバッキー、くるくる少女、タイアップ、香菜 頭を良くしてあげよう。。。
ああ懐かしい。

この2バンドに共通しているのは「徹底的にバカをやる」というところで、ボクは「あ、大人でもちゃんとしなくてもイイんだ」というメッセージを敏感にキャッチしました。
その成れの果てが今のボクな訳です。
三つ子の魂、百までも。


バンドブームからもう1つ。
すかんち。
恋のマジックポーションはダウンタウンのごっつええ感じ初代テーマソング。
そもそもごっつええ感じを知らない人も多いのかな…。

ROLLY(当時はローリー寺西でしたね)の奇抜な服装や言動からキワモノ扱いされることが多かったけど、テクニックに裏打ちされた演奏技術はスゴかったんですよ。

そしてご存知の方も多いかと思いますが、すかんちは悲劇のバンドでもある。
なんとかこの目でもう一度観たいんだけど。


その後バンドブームは終息していき、新しいアーティストが台頭。
よく記憶に残っているところだと後にT.M.Revolutionに深く関わる浅倉大介率いるaccessあたりがありましたが、ボクはどうもこのあたりが苦手でして。


代わりに見つけたのが洋楽。
ボクはすでに中学生。
あ、訳あって今も中学生ですけど。

ある冬休みの日に、偶然にテレビで観たマイケル・ジャクソン。
ショートフィルムと呼ばれる手の込んだPVも衝撃的で、翌日になけなしのお年玉をありったけ掴んで街の小さなCD屋さんに駆け込んだっけ。

MJのPVを観ていると、「JAM」という曲にボクとあまり歳の変わらない男の子2人を発見。
当時はネットなんかないですから、苦労して調べると、どうやらクリス・クロスというユニットらしい。
ここを足掛かりにヒップホップの世界に入ります。
LL Cool J, Dr Dre, 2Pac, Public Enemy.......
ああ懐かしい。

なんとか高校生になったボクは、クラスでオガワ君という同級生に出逢います。
オガワ君もヒップホップが好きで、よく情報交換をしていたのだけれど、他にもいろいろな音楽があるよ、と。

そこで教えてもらったのがこちら。
オリジナルラブ。
(メンバーは否定していますが)いわゆる「渋谷系」と呼ばれる洗練されたサウンドは、ボクの心をあっという間に拐っていった。

このバンドは音楽性の高さ故か、リミックスCDをこれでもかとリリースするのですが、真面目にバイトに勤しんでいたボクにとっては逆にありがたいくらいで、嬉々として買っては聴き込んでいましたね。

まぁ、つまりあれだ、当時から「積んで」いたということですねw

このあたりも聴きつつ、ボクは独自路線であるジャンルに辿り着いて。

メロコア。

よく、メロコアってどんな感じの音楽?と訊かれることも多いのですが、あれだよ、まぁパンクだよ、と答えています。
こちらからすると明確な違いがあるけど、メンドくさいのでw

メロコアはかなりのめり込みました。
もし、音楽的主現場はどこですか?と訊かれたら、「メロコアです」と答えます。
Bad Religion, Off Spring, Pennywise, Lag Wagon, NOFX.......
ああ懐かしい。
NOFXは厳密にいうと違いますけどね。
オガワ君にも何度かプレゼンしたけど、いまいちハマらなかったw

オガワ君、高校卒業してから逢ってないけどどうしてるかなぁ?
ボクはTOKYOでドルヲタやってるよ!

そしてメロコア界隈ですが、日本からモンスターバンドが誕生します。
Hi-STANDARD。
うーん。いま観てもカッコいい。
ピンとこない人にはCDジャケットの方が分かりやすいかな。
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↑名盤。

当時はスノーボードが流行りだした時期で、その手のビデオ作品のBGMとして多くのメロコア曲が使われていた。
Foo Fightersもその流れで知りました。


で、メロコアやらパンクを聴いているとメタルに行き着くのは当然の帰結でして。

Megadeath。
こちらもライブを観たくて横浜アリーナへ田舎少年が大冒険。
デイブとマーティのギターはサイコーだぜ。
RUST IN PEACEは聴きまくったなぁ。

もちろん平行してMetallica, Anthrax, SLAYERも。

順調に何の成長もないまま大人になったボクは、メロコア/メタル路線を継続。
ミクスチャーもだいぶ聴いたかな。
Linkin Park, Slipknotあたり。
もうジャンルを細分化するのは難しいし、意味ないけど。

サマソニ、フジロックも毎年行った。
今はファミえんやらTIFやらで行けなくなっちゃったw


いつだったかな。
一緒にロック系を聴いていた友人が、突然「サカナクションのライブに行こう」と言い出した。
サカナクションなんてアイデンティティのイメージしかなくて、とりあえずお決まりのYouTube巡り。
たぶん日本人アーティストをしっかり聴くのは10年ぶりとかだったと思う。

その時に目に入ったのがこちら。
POLYSICS。
とっくの昔から活動していたバンドだったけれど、I my me mineくらいしか知らなかった。
このバンドは、まずはライブの熱量。
そしてライブを楽しんでいるのが手に取るように分かって。
初めてUNICORNを観た時のような感覚。

サカナクションに行くのと引き換えに、友人をPOLYSICSのライブに引き連れて行ったんだっけ。
あー、AXだ。かしい。
いや、サカナクションも好きですよ。
何回かライブ行ってますし。


ずっと邦楽を離れていたので、なんかね、いろいろと新鮮に聴こえたっていうのもあるんですけど、やっぱりボクが知っている時代よりかはだいぶ洗練されていたんですよ。
それは今の邦楽シーンを見ていても分かる。
みんなカッコいいよ。


そんな感じでこちらも。
相対性理論。
もちろん出てきたところは全然違うんだけど、ボクの中では現代の渋谷系といったところ。
洗練されてる。


いま思い起こすと音楽の聴き方にも変化があって、サカナクションやPOLYSICS、相対性理論あたりになるとiPodで音楽を持ち歩くスタイルに。
だからCDを買う、ということは減ってCDを借りる、ということが多くなった。


フジロックは何年も続けて行きましたが、初めて行ったのは…調べたら2003年みたいです。
ヘッドライナーはUnderworld。
もともと聴いてはいましたが、初めて観る彼らのアクトは素晴らしくて。
ここからテクノ/ハウスというか簡単に言うとクラブミュージックですね、そのあたりも多く聴きだします。
Kraftwerk, Daft Punk, Justice, Skrillex.....

では一つ、こちら。
Basement Jaxx
バリバリの人たち。



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まぁ駆け足でいろいろと観ていただきましたが。
実際はこの何倍ものアーティストや楽曲と触れあってここまできました。

今回、このブログで触れたアーティストたち。
勘のイイみなさんならもうお分かりのハズ。
そうですね。スタダを中心としたアイドルたちと関わりのあるアーティストばかり。

UNICORNのキーボードABEDON(←この呼び方慣れない。阿部Bでしょ?)はエビ中に「ゼッテーアナーキー」という曲を提供。

ドラムの川西さんとギターのテッシーは、たこ虹ちゃんの「なにわンダーたこ虹バンド」としてツアーをサポート。
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そもそもUNICORN自体がベースのEBI生誕50年ライブでエビ中をイベントに呼んでくれました。
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筋肉少女帯の大槻ケンヂは、ご存知の通り ももクロさんの「労働讃歌」の作詞者。


ROLLYは同じく ももクロさんに「僕等のセンチュリー」を。


オリジナルラブの田島貴男はネギネギ姉さんことNegiccoさん。
これは年始のエビネギライブの予習で知ったんですけど。

まだまだいくよーw


Hi-STANDARDのドラム担当ツネこと恒岡章は、ばってん少女隊のアルバム「ますとばい!」収録の「おっしょい!」でレコーディングに参加
ますとばい!持ってないので誰かくださいw


Megadeathのギターだったマーティ・フリードマンは ももクロのライブに登場。
ちょっとうまいこと動画が見つからず…。
マーティはアイドルに詳しく、いろんなところで褒めてくれますね。


POLYSICSはエビ中の名曲「Another Day」。
これ、作曲がハヤシで作詞がフミなんですね。
これだけリンクじゃなくて直に貼ってます。
この動画を観ちゃうとね、作者より美怜ちゃんについて語りたくなるんですがw


相対性理論の やくしまるえつこは ももクロさんの「Z女戦争」。
名義はティカ・aですけどね。
2013年フジロックで相対性理論のZ女戦争を聴けたのは嬉しかったなぁ。


Basement Jaxxがチームしゃちほことコラボすると聞いたときは腰が抜けるかと思った。
動画もちゃんとあった。




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マーティ・フリードマン、田島貴男、Basement Jaxxの名前が出た時はびっくりしたなぁ。
この人たちが関わってたの?という。

他にアーティストと直接関係がなくても楽曲のパクリオマージュが入った曲もたくさんありますね。
エビ中だけでも「キングオブ学芸会のテーマ~Nu Skool Teenage Riot」「参枚目のタフガキ」「藍色のMonday」なんかですね。
タイトルからしてそうなんですが。

まぁこのようにして昔よく聴いていたアーティストとアイドルを通じて「解逅」することが多々あるんです。
そこには驚きや、時にはなにかこう気恥ずかしさのような感情もあったり。
まるで同窓会のような。
元気だったみたいね、元気だったよ。と。

同じ音楽というフィールドに乗っている以上、どこでどう繋がっているか分からない。

こういった感情を運んできてくれるアイドルって、やっぱりスゴいし面白い。
感謝です。


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石巻を後にし、塩竈へ向かう。
駅でいうと本塩釜ですね。
(表記は塩釜でも良いみたいだけど、固有名詞以外は塩竈で統一します)
ここは初めて行く場所だけれど、災害に関するニュースや動画サイトなんかで良く目にした街。
もう他人事とは思えなくなっていて。

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塩竈は港を中心とした街で、それ故に津波も酷くて。

マリンゲート塩釜という施設が街のランドマークになっているように感じますが、周辺はまだまだ、といった感じ。
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改めて海が近い。

とても印象に残っていることが一つ。
マリンゲート塩釜にどうやら以前に同施設を利用した人からのお手紙が掲示されていたのだけれど、

施設の方々、ひいては塩竈の方々をとても心配しているということ。
塩竈には良い思い出しかないこと。
いつかまた訪れるのでがんばってほしいということ。

そういったことが力強くしなやかに記されていた。

きっとみんなに読んでもらいたくて掲示したんだろうなぁ。
勇気をもらえるようなお手紙。
ボクでさえ力が出たんだから。
書いた人も貼り出した人も素敵だ。

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誰かが並べたCD。
どういう意図で並べたのかは知ることはできないけど、顔も知らぬ持ち主を思ってだとしたら…心が痛い。

気がついた点がもう一つ。
塩竈は海も近いけれど、その反対側には丘というか高低差がある地形。
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で、やはり昔からある神社なんかは、この高台にあったりする。
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普段だと「眺めが良いなぁ」で済ませてしまいそうだけれど、これってなかなか侮れないことだと思う。
神社仏閣が昔から「そこにある理由」というのは確実にある。
その街に暮らしている人々には当然のことかもしれないけれど、初めて訪れた場所でそのような災害に見舞われたら神社なんかを探すのも手段の一つだろう。(もちろん絶対なんてことはないだろうけど)




ちょっと、現地のお話しはこれで終わりにします。

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すみません。ここからは少し力を抜いて、今ボクがいろいろと感じていることなどを。

◇写真や映像
文中にある通り、震災が起きてボクは「学ぶ」必要があると思った。
そこでまず始めたのはYouTube等の動画サイトでの映像閲覧。
ニュースなんかも観ていたけれど、それよりも生々しい映像の数々。(今では消されたものも多くあると思う)

時間さえあればこの手の映像をずっと観ていた。
そうしたらいつの間にか映像を観ると動悸がしたり、精神的にしんどくなるようになってしまった。
診察を受けなかったから病名が出ないだけで、きっと「震災うつ」のような状態だったのだろうと思う。
これはまずいと思ったボクは映像の一切の閲覧を自分に禁じた。
このブログを書くにあたり、一つだけ動画へのリンクが貼ってありますが、これだけで未だにドキドキしたり変な汗が出たり。

写真も同じで、被災地から帰ってきて写真データは外付けHDに入れて、全く開かなかった。
今回、久しぶりに写真を見ると当時の気持ちや現地で見聞きしたことが一気に甦ってきて。
ブログで使った写真は、これでもまだソフトなものをチョイスしています。
もっと胸が締め付けられるような写真も…。
そして現地で撮れなかった写真もあった。
それを素人が写真に収めるのは常識的に、というかモラルに反するというか。

現地でのお話しが唐突に終わったのはそういった理由からです。
辛くなっちゃった。
苦しい。

ボクでさえこうなのだから、直接被害に遭われた方々の心境を思うと言葉がありません。

◇ボランティア
日数が経ち、だんだんと被災地の状況が分かると「ボランティアが必要」「復興には莫大な金額が必要」といった情報が盛んに入ってきました。

ボクが現地へ行く、行ってきた、という話をすると何人かの友人に「不謹慎だ」と言われました。
ボランティア作業に参加せず、昼間からビールを煽り、けしからん、と。

本当に不謹慎ですかね?けしからんですか?
ランチとビールをいただいたお店の人は喜んでいたけど。
お土産もたくさん買って、少しは貢献したつもりなんだけど。

バスや電車が満席で、人を押し退けてまで乗っちゃ駄目ですよ。
ランチのビールで酔っ払って、避難所見物に行ったら駄目ですよ。
そういったことに細心の注意を払って行動したことは、本当に駄目なのでしょうか?

「莫大な金額が必要」と書きましたが、国民全員がボランティア作業をしたとすると、税金を納める人がいなくなってしまう。
すると復興費が捻出できない。
極論ですよ。
ボランティアできない人も、普段通り仕事をして、しっかりと納税することがボランティアになり得ると考えます。

被災地に寄り添う気持ちがあれば、貢献する方法はいろいろあるし、そこに優劣はないのです。

◇伝えたいこと
「学ぶ」必要があると述べましたが、それだけだとボク一人で完結するだけ。
次は「知ってもらう」というのが目標でした。
つまりブログなんかで発信しようというわけです。
そういったことを考えながら現地から戻ってきたわけですが、精神的になかなか難しい状態になってしまい、ずっと蓋をしていた。
逃げていたんです。
しかしそれはボクの肚の底にずっとひんやりと存在していて、「書かなきゃなぁ」と感じていた。

気がついたら6年経っていました。

東京で暮らすボクでさえこんなにかかるんです。
まだまだいろんな想いを抱えている人はたくさんいるはず。
こんなブログ、誰が読んでいるんでしょう。
東北の人はいるでしょうか?
でも、いるかどうかなんて些末なことなんです。
あの日以来、ボクの心は東北と共にあります。
どうかゆっくりとでも前を向けますように。

そして被災地以外で暮らす方々。
海沿いの街にはよく見ると「地震が起きたらこちらへ避難」といった看板が出ていたりします。
もしこのブログのことを思い出して、啓蒙に繋がれば、こんなに嬉しいことはありません。

◇これから
実は6年前から現地へは行けていません。
滅茶苦茶だった街並みも、きっと整備されているでしょう。
前述の通り、逃げていたボクはもう一度行くべきなのだろう。
もう一度この目で見て、初めてこの旅が終われるような気がします。

震災直後の被災地では、人の死はすぐそこにあるものだった。

友人と並んで椅子に座る。
右に座るか左に座るか。
これだけのことが生死を分けたりしただろう。

少し具合が悪いので学校を休んだ。
すると偶然にも助かったり。
また、逆もあったり。

今ボクらが生きているのは少しだけ可能性の高い偶然の連続なだけであって、決して必然なんかじゃない。

地球上に人類がいるのって、
腕時計の蓋を外して空中に放り投げて、落ちてきた部品がうまいこと腕時計に収まって再び動き出すくらい奇跡。
って聞いたことがある。
そしてその奇跡みたいな確率のあとに、地震やら津波やらがやってきて、でもボクらは生きている。

そんな奇跡、全うしなければ損じゃないですか。
自ら放り出すなんてもったいない。
辛いことも苦しいことも、生きていなければ味わえない。
どうせだったら好きなことをできる範囲で思い切り楽しみたい。
例え他人に馬鹿にされようとも。








以上、ボクがずっと考えていたことでした。





以下、少し追記。
とても良質な記事。
啓蒙だけでなく、日頃の備えの重要性や被災時のサバイバルに対するヒントが記されている。(2017年6月14日追記)

※タイトルから分かるかと思いますが、今回は東日本大震災について書きます。
被災地の写真も出てくるので、苦手な方はお控えください。
また、この震災での被害は千葉や長野でも出ているのは重々承知ですが、今回は東北について絞って記述します。
不確かな当時の記憶から書き出すので、間違い等があるかもしれませんが何卒ご容赦を。
アイドルの話しは一切出てきません。

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あの日の午後、都内のボクの職場も激しく揺れた。
この国で生まれ、長年過ごしてきたボクらは何回の地震を経験したか分からないけど、それにしても長く、恐ろしい揺れだった。

揺れが収まるとボクの職場は蜂の巣を突ついたかのような大騒ぎになり、30分だっただろうか、1時間だっただろうか。
一段落して同僚をテレビのある休憩室へ行かせると、血相を変えて戻ってきた。

「東北ヤバいです」

入れ替わるように休憩室へ行くと、画面に映し出されていたのはー

大地を舐めるように走る波。
港から溢れ、車をひっくり返す真っ黒な水。
バラバラになった家屋から立ち上る炎。
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あの日から遡ることさらに数年前。
ボクは仙台市に隣接する名取市に住む友人を頻繁に訪ねていた。
友人は本当にいろいろな場所に連れて行ってくれた。
仙台市街、松島、石巻。

その思い出の地が滅茶苦茶になっている。

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夜になると、もっと恐ろしい言葉がテレビから放たれる。

「◯◯海岸に200前後の死体」
「□□地区は、ほぼ壊滅」

ここは本当に日本なのか?

そして、友人の安否は?

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結果から言うと、友人は生きていた。
ご家族も無事で家も壊れなかったとのこと。
胸を撫で下ろしたのは当然だけど、これらの連絡がついたのは発災2週間後くらいだったと思う。

その連絡のつかない2週間、ボクは名取市や各避難所が配信する名簿に友人の名がないか確認していた。

亡くなった方々の名簿を。
友人の名がないかを。

名前がそこに載ってしまうということは友人の死を意味するこの確認作業は必要だったけれど、とても嫌な作業だった。
もし肉親でそういった作業をしている方がいらしたら…その心境、心痛は推して知るべし。

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雪国の山あいで生まれ育ったボクにとって、「津波」というのはどこか漫画や映画の中のことだと思っていた。

しかし、ボクが実際に歩いた街が津波に飲み込まれた。

もし偶然にボクが訪ねた時に地震が起きていたら?

知識のないボクは、あっという間に波に飲まれるだろう。
そして被災した方の中にはたまたま訪れていて巻き込まれた方もいただろう。

ボクは「現地を見て、学ぶ」必要があると思った。
野次馬と言われれば、そうかもしれない。
けど、日程的にボランティアは無理でも、現地でお金をいっぱい使って、少しでも役にたてれば。
そして何の知識もないボクが防災や減災について何か感じ、誰かに伝えられることがあれば。
それだけで行く価値があると思ったんだ。

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2連休のチャンスは6月にやってきた。
それまでも行こうと思えば行けたけれど、さすがに限られたインフラをボクが使うのは憚れて、しばらく大人しくしていたんだ。

確かネットでかき集めた当時の現地の状況はこんな感じだったと思う。
・仙台駅周辺は直接の津波被害はなく、割りと通常通り。東京から新幹線で行ける。
・仙石線は仙台~松島海岸駅はなんとか営業。その先は臨時バスが出ている。
・宿泊施設の空きは流動的。被災者親族やボランティアの方が使っていたりもする。

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ボクは仙台から松島海岸駅まで仙石線で移動し、バスによる石巻行きを決断。
宿はその日のうちに仙台まで戻り、ネットカフェを使うことにした。
ネットカフェが満室だったら…仙台駅で寝てりゃ良いでしょ。ボクがホテルを使うわけにはいかないのだから。

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松島行きの電車はとてもスムーズで。
仙台の駅も前に来たときと変わってなくて。
松島は風光明媚なところだから早く着かないかなぁ、なんて。

仙台を発って数十分。
とんでもなかった。
いきなり現実を叩きつけられる。


電車が進むごとに色濃くなる被害の様子。
道端に突然ヨットが転がっていたりする。
そう。ボクがいるのは間違いなく被災地なんだ。
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松島海岸駅に到着。
以前は観光で歩いたけれど、今回はどうしても「震災」というフィルターを通して街を見てしまう。
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松島はとても海が近い街だけれど、湾内のいくつもの小島が津波から護り、さほど被害は大きくならなかったとのこと。
とはいえ他と比べて人数が少ないだけで、亡くなってしまった方はもちろんいる。

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遊びで訪れた時はこれっぽっちも目に入らなかったけど、ちゃんとこういう看板もあって。
旅行中でもこういうものに事前に気がつけるだけで、生存率は格段に上がると思う。

「生存率」って大袈裟に聞こえるかもしれないけど、被災地には「死」がすぐそこにあった。
そしてこの日、それを嫌というほど味あわされる。

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バスで松島を後にし、石巻を目指す。
乗車率は7割くらいだっただろうか。

覚えているのはヨレヨレのジャージ姿の高校生くらいの女の子。とても疲れた様子で座席に座ると同時にもの凄い勢いでケータイを操作していた。

都会から来たと思しき若い男性二人。大学生くらいだろうか。漏れ聞こえる会話だと、今回の震災をきっかけに一時帰郷する様子。
車内にはこの二人の場違いな会話と笑い声だけ。やたら楽しそう。
でも、不謹慎とかじゃないんだ。彼らだって実家が被災し、初めてそこに向かっているのだから。騒がしくしていないと不安なんだろう。

その証拠に。

バスが野蒜という地区に入った時。

ボクと大学生二人は息を飲んだ。

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バスの車窓越しに見えたのは、この世の地獄だった。

いや、被災しながらもしっかりとそこで踏ん張っていた方も多くいたので、そんなことを言ってはいけないのは理解しているけどー。

疲れた女子高生はチラッとケータイから車外へ目をやると、すぐに小さな画面の中に戻っていった。
彼女にとって、これが現実で現在、日常。
常にここでサバイバルをしていて、異分子はボクらの方だった。


本当に「生き残っている人がいる」、というのが不思議に思えるほどの光景。絶句。

野蒜で一旦下車しようかとも思ったけど仙台に戻れなくなると困るので、とりあえず先を急ぐ。

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バスは石巻に到着。

バスを降りてまず気づいたのは街を覆う「臭い」。
生臭く、いかにも不衛生といった臭い。
ハエも飛んでいる。
CIMG0751.JPG正体はヘドロ。
海から巻き上げられたものが市街地に届き、それらが排水溝なんかに入り込んでしまっていた。
一生懸命に掃除するボランティアさん。
本当に頭が下がるし、申し訳ない気持ち。

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街中に打ち上げられた魚の死骸。
3ヶ月経ってもこの状態なので、いかに混乱した生活か分かると思う。

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街を進む。
当たり前だけど、信号なんて点灯していない。
もちろん普段ならお店から流れてくるであろうBGMも聴こえない。

人々が足早に歩く音。
車が走る音。

災害に遭うということは、街から音と色が失われるということでもあった。

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石巻中心部を流れる川。
海から遡上した津波は川から溢れ、全てを押し流してしまった。
川面と橋の高さに注目してもらいたい。
この高さを越える津波が押し寄せ、橋の手摺を壊してしまった。
その場に居合わせたら、どうやって生き残れば良いんだ。

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現実感のない景色。

戦争が起こるとこんな感じなのかな。

そんな意味のないことをぼんやり考えていた。

CIMG0802.JPG震災発生から3ヶ月。
ここに記されている「行方不明者」とは「亡くなっている方」とほぼ同義と捉えるのが自然だし、「家屋所有者」の方も亡くなっている可能性が高いだろう。

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CIMG0792.JPG倒壊を免れたお宅。
しかし1階の天井、2階の床にあたる外壁部分に泥の痕がある。
ここまで水が達したということだ。

そして忘れてはいけないのが、3月の東北ということ。
水は身を切るような冷たさだっただろう。
運良く倒壊しなかった建物の上階に避難できたとしてもー。
灯りも火もない場所で濡れた身体で一晩過ごすというのは、それだけで命が危険に曝されることを意味する。

もう自分でも何を撮っているのか分からない。
見づらい映像で申し訳ない。

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石巻は漫画家 石ノ森章太郎さん所縁の地でもあり、街中には氏のキャラクター図案のポスターが所々に。

そして石巻には石ノ森萬画館というミュージアムがあり、ボクはそちらを訪ねることに。
数年前にも訪問していた場所。
実は震災発生時、真っ先に頭に浮かんだのはこのミュージアムだった。
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MAPを見れば一目瞭然。
海に近い川の中洲にある立地。
当時は「素敵な場所にあるな」なんて思っていたけれど。

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もちろん閉館中だったけど、「けっぱれ」という幕に希望を感じた。
ここは誰かにとって心の拠り所で、負けずに立ち上がる意思を感じたから。

ネットで当時の様子を探ると、こちらのミュージアムでは人的被害がなかったばかりか、被災者を受け入れてもいたとのこと。

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こちらは震災発生から1ヶ月の中洲の様子。
白くて丸い建物が石ノ森萬画館。
やはり周りの建物はかなりの被害。

実際に中洲を歩く。
ちょうど中洲の真中辺りに見える教会とその周辺
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教会の傍らにヨットが打ち上がっている光景。
こんなこと想像もできないよ。
そしてこちらの教会は、あの日以来閉鎖中とのこと。
どこかに移転しているのかな?
誰かの拠り所になっていますように。

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壊れてしまった自由の女神は一時、復興のシンボルとなっていた。


街へと戻る。
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やはり信じられない光景の連続。

そしてこの光景に少しずつ慣れてきている自分の心境にも気づいてゾッとする。

そんな街の中で見つけた居酒屋さん。
どうやら昼はランチ営業もしているらしい。
ここでたらふく食べて、経済活動に協力するぞ、と意気込んで入店したのだけれど…
「けっぱれ石巻!応援ランチ!」やら
「負けねえぞ!ボリュームとんかつ!」といった惹句の数々…。
地元やボランティアの方々にはこの価格で良いけれど、ボクみたいな者からは普通に金を巻き上げてほしい。
オーダーをとりにきたおばちゃんにやんわり伝えると、「せっかく来てくれたんだから、兄ちゃんも腹いっぱいになってってよ!ガハハ!」とのこと。
地元の美味しい魚のフライ定食と別皿のものと、せめてもの気持ちで飲みたくもない瓶ビールをいただき、1,000円ちょっと。
定食が450円とかなんだもん。そりゃそうだ。
(お金を落とすという意味では仙台から東京へ戻る前に、お土産という形で自分なりに貢献させてもらいました)

おばちゃんが元気なのは、たまたまそういう人だったのかもしれない。
辛いことがあっても表に出さない人だったのかもしれない。
それでも良いんだ。
お腹と心が少しだけ温かくなり、ボクは移動を始めたんだ。

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