ウーマンラッシュアワーの村本くんが最近はネタになっている。
マスコミが避けていた政治ネタを漫才でやったと言う事からだ。


マスコミ、それもテレビ番組の製作がそんなに政治や宗教のネタを嫌がっているとは思ってもみなかった。
もちろん各社でそれぞれの言い分があって片寄った報道などがされている程度のことは思っていたが。

村本くんが言うように、と言うかこの日本が少しおかしいと言うだけで、他の国は芸人が政治などの時事ネタをやることは当たり前のこと。
芸人をホワイトハウスに呼んで、大統領の目の前でボロカス言うなんて言う事もあったりするという話もある。
それだけ芸人は、そこは外せない領域でもあるはずなのだが・・・・


手前味噌だが、ボクも最近耳にする「栗原くんはもう少しFacebookやブログに書くことを気をつけた方がいい」。
はぁ?
まぁ、汚い言葉を選んで書くことがあるので、読む人の耳に優しくないかもしれないが、
ボクは自分の信じてる事しか書かないし、わからないことがあったら聞くし、間違ったことを書いたら素直に書き直したり、謝ったりしている。
謝って済むような程度の発言しかしていないと言うこともある。
人によって、そのホントのことも、見方によっていろいろのカタチや色に見えることもあるかもしれない。

だからウーマンラッシュアワーの漫才には、賛成も反対もあり、みんなで議論の場を与えたという利点もあるから、すごくいいことだと僕は思っている。

ボクの書く文章は賛否を求めて書いているものではない。
これが正しいと思って書いているから、始末に負えないこともあるかもしれないが、間違ったことは書くまいと思っている。
文章は怖いもので残るものである。
ボクは長年執筆活動を続けているし、新聞の時評も12.3年に渡って書いていた時期もある。
だからそんなことは言われなくても分かっているつもりだ。
書くときは、覚悟を決めて書いている。
自分の商売とかはあんまり考えない。
それもこんな小さな人間だから何を書いても大した影響もないのだが、大河の一滴にもならないかも知れないホントのことを、何度も迷いながら書く事もある。
友達がいなくなるかも知れないなどと思う事はあっても、言わなくてはいけないと思ったらやはり書くしかないだろう?

それはボクも芸人。というか芸術家を志したいし、できれば教育者としての志も持ちたいなと思っている。
だからなおさらホントのことは作品にしたり、口にしたり、文字にしたりすることは当たり前のことであって、そういう立場の人がそれを怠ったらこの社会はおかしくなってしまうのではないか?
保身だけで、金儲けや商売が云々言う前に、「義を見てせざるは勇無きなり」と言うではないか?
人は立場の事も言うが、その立場は自分でつくっているのではなくて、人から与えられたものではないのか?
それなら人をできるだけ愛して、社会を愛して、人のため社会のために尽くした結果が立場となって人も認めてくれる。
勝手に築いた地位とか立場は、そんなの不誠実の前には何の意味も無い。

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ま、かっこいいことを書いているがボクほどろくでもない奴はいないと思う。
間違ったことは書いてはいないと思うが、そういう僕自身が間違ったことを沢山している人間である。
だからボクの言葉や行動に大きな力などは無いし、人の上に立ってリーダーになる事もままならない。
しかし、だからこそしっかり前を見て、高い志と、大きな夢を持って歩いて行きたいと思っている。

まとめ
芸術科と教育者が胸を張ってホントのことを言わないでどうする!!
という話でした。


今もたまにはあるが、昔はよく学園ドラマをやっていた(^^)
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物語の中では中学生や高校生の時代にあったドラマが繰り広げられ、社会にも問題提起されていたんだと思う。
未成年の性と妊娠、出産の問題、暴力や万引きなどの犯罪、いじめはもちろん、自殺などなど、子どもたちの心と身体、社会への対応など、ドラマを作るにあたってはいろんな議論がされて来たんだろうなぁとも思う。
現代だって大して昔と変わらない問題はあるし、もっと悲惨な形にすらなってるかもしれない。

最近もたまにはあるが学園ドラマも昔みたいにはダイレクトではなく、どこなくちゃらけたり、ファンタジーだったり、漫画だったりの形をとって放送されたりしている。

そんな昔からある青春ドラマをただリアルに書いただけの前回のブログが、やたらと刺激的とか過激だと言われるのは、若干リアルだから?

身近に起こったことだから?
それなら、我々はどんなに人の不幸を他人事として捉えてるか⁇がわかってしまう。
自然災害で多くの人が死んだり、怪我をする。交通事故や火災なども毎日のようにニュースで流れる。
それはテレビ局の妄想ではなく事実であり、亡くなったり怪我をしたりした人には家族がいて仲間がいて、同僚やクラスメイトがいる。
なんとも悲しい事実がそこにはあるのだ。
でも自分の周りで起こってないと、ついつい他人事になり、若干の心の痛みがあればいい方で、ほとんどは日常の中にかき消されてしまう。
今回の僕の書いたブログは大した話ではない。
ボクがこれから気をつけて、もっと愛情を持って仕事をすればいいのだということだけで、内容は昔の青春ドラマ、学園ドラマだ。
子どもたちに「お前らそれでいいのか⁉️」熱血教師が吠えてるだけの、話なのだ。
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過激というならそれはリアルな現実を見てないんじゃないのかなぁと思うんだけどどうだろう?
現実は過激で刺激的なんだよ。
金八先生役の武田鉄矢氏が言っていた。
「動く大地に驚いて、動かぬ大地に何故驚かぬ?」
ほんとは大地はいつも動いてるんですけどね。

先日合唱ミュージカル「図書館で会いましょう」というミュージカルの公演をしました。

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その物語ではいじめにあっている子ども、それを助ける子ども、もちろんいじめっ子、そんなことも盛り込まれていました。
ミュージカルを通して、みんなで創り出す事への楽しさを知って、いじめ・・・いや自分の弱さに立ち向かう事を知って、実践する子どもの姿を描いていた。

今回その役を演じた子ども達もリアルにそんな現場にいる子ども達。

しかし、現実は物語のようにはいかず、結局、いじめられたり、いじめっ子の仲間に入れられたりしている後輩達を置き去りにしてさっさと辞めてしまうと言うなんともお粗末な結果を残してしまったようだ。

もちろんいじめっ子は自分がいじめているなんて思ってもいないだろうし、いい事をしていると思っているんだろうと言うことは察しが付く。

やめていった子は、年長でも有りながら何も言葉にせず、注意すらせず、自ら背を向けて逃げることを選んだのだ。

ま、それも一つの自分を守るための方法かも知れない。

しかし、そんなに世の中は甘くはない。
同じ事は自分がそれに気づいてそこから脱出しようと思った、物語の主人公と同じように、気づかないと一生同じ事を繰り返すのだ。

もし繰り返していないのなら、それは自分の弱さから逃げる方法を知ったと言うだけで、成長ではなくただの退化である。

これは俺の反省点でもある。

子どもに結局何も教えきれなかったのだ。

せっかくの物語もいかせてないし、気づかせても上げられてなかったと言うこと。

あまりにも身近なリアルな現場がそこにあるにも関わらず、子ども達は平気な顔で、最後は敵とも抱き合って涙して別れていく。

そんな現実があるのか?
情けなくはないのか?
自分の心はどこに行ったのだろう。
いなくなった場所はどうなってもいいのだろうか?
振り返ったときに、暗い過去として想い出が残るだけではないのか?

残されたのは2つ下や3つしたとかではなく、五つも六つも年下の子どもを、悪いと思って去って行けるという事実は、ホントに情けない場所になったとしか言いようがないし、そんな場所を作ってしまったと言うことが情けない!

勇気を出して友達を、仲間を守るという芝居を演じたのではなかったのか??
自分が長い間いじめられてきた事実を事実として、自分の世界と、心を守るために灰になった図書館を復活させたのではなかったのか?

ホント!上辺だけのただのバカどもにだまされたとしか言いようがない。

俺はだまされても、だまされた方が悪いと思っている。
自分がもっともっと賢くなって、もっと集まって来る子ども達が、ホントにステキな大人になってくれることを心から祈り、ステキな団体にしたいと思っている。
まだまだ、その気持ちが伝わっていなかったのだと、思うしかない。

バカどもはイヌがおしっこをした場所だけをよけて、のうのうと夢を追いかけているなどと嘯きながら毎日を楽しく過ごすのだろう。
おしっこをした場所が臭いだし、腐り出しても知らぬ顔して、見て見ぬ振りをして通り過ぎるのだろう。

マジで情けない!

自分も含めて、ただのバカだ!
できれば大人とか子どもではなくステキな場所を作っていきたいという共通の気持ちを持って頑張りたいものである。


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