「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が、19日午後、衆院法務委員会で可決された。
 すでに多くの人が反対の声を上げているが、私は精神科医としてこの法案に反対する。理由は次のふたつだ。
 
 精神医療の領域では、長年、疾病の性質上、病識(自分が病気だという意識、自覚)を持てない患者さんや症状のため自分や周囲の人たちの身体の安全を保てない患者さんをどう治療に導入するか、ということが大きなテーマであった。そして場合によっては、本人の同意が得られなくても入院の上、治療を受けてもらう、いわゆる“強制入院”が行われたり、さらには現時点ではまだ自分や他人を傷つけていなくても、その“おそれ”が濃厚な段階で強制的な入院に踏み切らざるをえなかったりすることもある。
 言うまでもなく、これらの措置は常に過度な人権の制限につながるおそれがあり、しばしば憲法13条の「個人の尊厳」や「幸福追求権」、私法の人格権、あるいは日本も批准している障害者権利条約に抵触しているのではないか、といった議論も起きていた。
 とりわけ、「自傷他害のおそれ」による強制的な入院は、一歩間違えば、保安処分のひとつである予防拘禁の濫用につながりかねない。
 これまで精神医療の関係者(医療や福祉関係者のみならず当事者や家族団体、マスコミも含めて)は、これらの措置が患者さん自身の利益が大きく、人権の侵害がなるべく小さくなるように、そして予防拘禁の濫用への道が開かれることがないように、細心の注意を払ってきた。
 もちろんこれは、現在の制度が完璧だということではない。今国会でもまさに措置入院のあり方を含む精神保健福祉法の改正が行われようとしており、それに対しても多くの反対意見がある。とはいえ、「とにかく予防的な拘禁だけはやってはいけない」という意識は、この問題にかかわるすべての者に共有されてきたと思う。
 
 今回の「共謀罪」は、「犯罪に着手し、結果が発生したら行為を処罰する」という既遂者をではなく、犯罪に着手した段階の未遂、その準備の予備、さらにその前の計画や話し合いである共謀の段階で処罰の対象とするものだ。
 精神医療が長いあいだ、「これだけはやめよう」と本人や周辺の安全とのギリギリの線を探し続けそこに手をつけないようにしてきた「予防拘禁」に、「共謀罪」は軽々と踏み込み、その権限を捜査機関に与えようとしているのだ。断じてこれを許すべきではないのは明らかだ。

 そして、もうひとつの理由は、「共謀罪」が人の「心の中」にまで踏み込む法律であることだ。
 言うまでもなく、「内心の自由」は私たちに保障された権利であるとともに、同時に「内心を言わない自由」も保障されている。
 しかし、「共謀罪」は、ことによると「計画しただろう、合意しただろう」と準備よりさらに前の“考え”“着想”を問うてきて、嫌疑の対象とされる場合もありうる。これは違憲であることに加えて、人間にとってはたいへんな心理的ストレスとなる状態だろう。
 
 話が飛ぶようだが、統合失調症の症状に、「自分の考えや秘密が周囲の人たちに漏れているように感じる」という「自我漏洩症状」や「自分の考えていることが周囲の人たちに広がっていると感じる」という「思考伝播」がある。もちろん、これは事実ではなく妄想の一種なのだが、本人にとってはまごうことなき現実として認識されている。そして、これを訴える人たちはすべて、それはたいへんに苦痛な状態だと言うのだ。
「私の考えることがことごとく、特殊警察にチェックされているのです。日記も見られているし、どこかに監視カメラがあるのも感じます。私は心の中に秘密を持つこともできない。どこかで多くの監視員が私の心の中を見て、怒ったり笑ったりしているのです。本当につらくて、もう生きているのもイヤだ…。」
 これは、ある統合失調症の患者さんの言葉である。
 もうおわかりのように、「共謀罪」はリアルの水準でこれを実現するものといえる。つまり、私たちは心の病でもないのに、人工的な「自我漏洩症状」を体験させられることになるのだ。常に「これは大丈夫だろうか」「いま考えて思わずSNSに書いてしまったことも当局に知られたのではないか」と警戒しおびえながら暮らすのは、私たちにとってどれほどのストレスになるだろうか。この法案が成立し施行されたら、この持続的なストレスが知らないあいだに私たち心の健康を損なうことになり、仕事、学業などの社会的活動、プライベートな生活などに深刻な影響が出る可能性もある。

 「予防拘禁」を許し、私たちに心理的ストレスを与え続けることになるこの「共謀罪」に、私は精神科医という職業的立場から強く反対を唱えたい。