誰かの言葉は、知らなかった人と人をも、繋ぐ。

あなたの一言は、思っているより影響力があり、責任がある。

その覚悟を持って、発言し続けるなんて、あまりに重すぎて、普段は忘れがちではあるけども、臆病さから、現実の責任から逃げて、誰かのせいにする生き方よりは、自分で責任を引き受ける生き方の方が自由度は高くなり、自分で自分のことを決めたという満足は高まる。

ただ、どんな生き方を選ぶとしても、それはあなたの自由であり、私の自由であるわけで。

だから、最終的には、自分で考えるしかないんだよね。

たとえ、どんな結果が待ち受けていたとしてもね。

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夏の海は、キラキラしてますね。

暑い日は、クーラーかかった部屋にこもりたいものですが、息子の外へ行きたい欲求が半端ないので、外へ連れ出しては、ダウンしてしまいます。

もっと体力がほしいものですね。

あるいは、投げれる人。

しかし、無料ほどこわいものはない、とはよく言うもので、育児を無料で投げれる間柄の人物というのは、それなりに面倒くさい付き合いも必要となるものなのです。

そう、お盆休みに帰省したり、サービスしたりするような、そういうこととか。

人間、そうそう都合のよいことばかりではない。

お盆の帰省先での親戚関係は、悩む人は、めっちゃ悩むことですが、今後一切助けも何もいらないが、もう関わらないと腹を決めて、帰省しないと決めちゃえたら、その悩みからは開放される。

しかし、それを実行にうつせば、かわいい子供が犠牲者になる………だったら、我慢すべきとわかっていても、我慢なんて出来ない………とまぁ、悩み、というものは、実は本人も解決法はわかっていても、実行にうつせない状況であったりすることが多いものなのですよね。

腹を決めてしまうにしても、なんにしても、考える時間は必要です。

そして、考える時間を持っているうちに、いつの間にか、時間そのものが解決させていたケースもあります。

子供がいつまでも子供ではなく、大人になるように、大人だっていつまでも若くはなく、老人になり、いつかは死んでしまうのです。

死んでしまうと、もう仲直りも関わることも出来ませんし、死んでしまうということが、ひとまずの解決となることもあるものです。

まぁ、そこまでは極端ではないにしても、子供が独立すれば、自分が帰っていくのではなく、自分が帰りを待つ側になりますし、親が老いて、面倒をみるか、施設へ投げるかのシビアな判断をせざるを得ない人も増えます。
時間が人間関係の状況そのものを変えることは、よくあることなのです。

だから、時間を待つのもいいし、あえて今、変えようと足掻いてみてもいいのです。

後悔しない生き方自体がないから、そのとき、自分がやりたい生き方をしてみるのです。

ただし、人間の一生は、待つにはながくて、成すには短いものです。

待つことに辛くなったなら、動いてみるのも、たまにはいいものですよ。

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