5月になって、
天皇陛下がお変わりになり、
元号も平成から令和になってから、
20日ほど過ぎようとしています。
史上初の長い長いゴールデンウィークも終わり、
平常運転な生活が戻ってきましたよね。
去年の終わりから、
とある人たちの集まりに参加するようになって、
自分の中で少しずつ変化しているものがあります。
恐らく、これまでにも似たような話や、
同じような勉強も見聞きしてきたはずで、
多分、そういった基礎があったからこそ、
今回、より理解しやすくなって私の中に入ってきたのかもしれません。
人が何か行動したり言葉にしたりするもののベースは、ほとんどが【愛】なんですね。
中には絶対に『愛なんかじゃない!』と思う言動もあるとは思いますが、
それとて、向ける【愛】の方向が違っているだけで、
やっぱり【愛】なんですよ。うん。
それが分かったら、
色んなモノゴトに対して、
一瞬は頭に血がのぼったり、
腸が煮えくり返ることがあっても、
喉元を過ぎて冷静になれば、
「それも愛か…」と分かる日がきます。
ただ、人はそれぞれに【欲しい愛】と【与える愛】が違っていて、
それが100%一致することはありません。
90%一致したら奇跡でしかなく、
概ね50%一致すれば良いんじゃないかと思うんです。
【与えられた愛】が自分が欲しいものでなければ、
拒否することは構わないと思うのです。
それは、大抵『意地悪』や『敵意』のような顔をしていると思うのですが、
それを額面通りに受け取って、
それを発した人物そのものを拒否することでもないのかもしれません。
人の存在そのものが【愛】の塊みたいなもの。
だけど、長い間かけて育ってきた環境や、
その環境を作った社会情勢や、
歴史の流れの中で、
人々はその【愛】の出し方を忘れてしまったり、
歪めてきてしまったんだと思います。
私が専門にしている『性教育』だって、
【性的なこと】への【愛】のかけ方の勉強だったりするのです。
【愛】をもって【和】と成す
表現が漠然としてますけど、
最近、実感したことでした。
大人のための性共育インストラクター
加凜 あさ美 (あさみん)
性教育をまともに受けて来なかった大人世代の性知識をアップデートしていただくための発信をしています😺