月別アーカイブ / 2007年08月

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写真の整理をしながらフと思い浮かんだ俺の心に残るセリフ。

『』。

<高校生編>




中学3年の夏。


俺ゎいくつか推薦の話を くれた高校の中で、どこに行くか、かれこれ数ヶ月家族と決めかねていた。


ある日。



家族で甲子園予選の神奈川県大会をテレビで見ていた。



大会はすでに準決勝。



横浜高校VS横浜商工高校(当時)



横浜スタジアムは外野席も開放して超満員。



横浜商工高校には中学時代の先輩がたくさん出ていたので、うちの家族は横浜高校より横浜商工高校を応援していた。



緊迫した試合だった。



そんな中、横浜高校は終盤。




ピッチャー交代。




出てきたのはモデルみたいなスタイルをした、

背番号「11」の




☆男前☆



男前は横浜商工高校のバッターから次々と三振をとり、横浜高校のピンチを救った。


男前は次の回も、またその次の回もすごいピッチングを見せた。





俺ゎ試合なんてどうでも良く思ってきていた。


この人のボール、受けたらどんな感触なんだろう?(俺はキャッチャー)


いつの間にか、頭の中でそればかり考えていた。



うちの家族は「ヨッシャー!」とか「ああー」とか騒いでたけど。


俺は胸が騒いでいた。




そして途中テレビ解説の人が言った事に自分の耳を疑った。






☆男前☆は一年生だった。


テレビ画面の男前は、一年生にもかかわらず、名門横浜高校であの大舞台のマウンドでバッタバッタと三振をとっていく。





試合終了後。





何の迷いもなく言った。




「俺、横浜高校に行く。」

何校か絞っていた高校の中に横浜高校は外していたから親はビックリしていたが
(^^;)




そして横浜高校入学。





横浜高校には学年に1クラス、「体育クラス」というのがある。

本当にマンガみたいなクラスだ。

全国からスポーツまたは格闘技だけはできる筋金入りの悪がそのクラスに集結する。(校風が変わって今は違うよ(^^;))


入学式も、そのクラスだけでガンのくれ合い。


他のクラスは見て見ぬフリ。


そりゃそうだ。


ほとんどスキンヘッドで細い眉毛のバカデカい男だらけ。


だから他の高校の男子生徒も、うちらにはまったく近寄ってくれなかった。
(=_=;)

今も同級生に忘年会とかでバカにされるが入学式の時、名前順で前の方に座っていた俺ゎ、おもいっきり背中をそって、イナバウアーみたいにガンを飛ばしてたらしい(笑)




そんなトゲトゲしたクラスも教室に戻ると、他の部活のヤツらもみんな、☆丹波さん☆の話で持ちきりだった。



そう。


☆男前☆の名前は

☆丹波慎也☆



入学してから俺の中の丹波さんは俺の想像を超えてカッコ良かった。


初めて会った時。
「おぅ!お前が上地か。よろしくな♪」



スーパースターが俺を知っててくれた。



小便がもれそうだった。



ピッチャーとキャッチャーという事もあり、それからは丹波さんと一緒にいる機会が多かった。だからいろんな事を教わった。


いつも練習後のトレーニングも2人でやっていて、周りの人に
「兄弟みたいだね(^^)」
とよく言われた。



俺が一年でいきなり練習試合に出させられた時のピッチャーも丹波さんだった。


しかも相手は半年前にテレビで見ていた準決勝の相手。


横浜商工高校。


相手ピッチャーはなんと中学時代、俺とバッテリーを組んでた鈴木健。


お互い一年生で同じ日にデビュー。


テレビで見た事が、目標にしてた事が今リアルタイムで俺がやっている。


しかも相手ピッチャーは健。

俺が受けるピッチャーは丹波さん。


夢を見てるみたいだった。


試合は勝ったけど、9回が終わるまで記憶がない。



試合後、丹波さんが
「すごい良かったぞ♪(^-^)」



と頭をクシャクシャにされた時、




大便がもれそうだった。



丹波さんは本っっっ当に優しかった。

俺が一年生の頃、まだ上下関係があった。

先輩達によくしてもらっていたが、中でも丹波さんは本当に優しかった。

そしてカッコ良かった。


毎日女子に「キャーキャー」言われても黙々と練習をし。


マスコミに「パシャパシャ」撮られても、騒がれても淡々と受け答えをする。

成績は常にトップクラス。


モデルみたいな体系で顔は男前。


野球はスペシャルうまい。


俺が女ならどんだけ遊ばれてもいいからそばに置いてほしいと思ったろう
(^^;)


そんな丹波兄ちゃんの間近にいれて俺はいつも誇らしかった。



うちの渡辺監督はよく選手に
『目標がその日その日を支配する!』
と言っていた。



丹波さんは支配しまくりだった。


毎日ストイックに黙々と目標に向かって走ってた。




新チーム。

エースで4番。

チームの大黒柱になっていた丹波さん。


春の甲子園予選ではノーヒットノーランという偉業も成し遂げた。



その2日後。






丹波さんが、

















死んだ。




急死だった。



急性心筋梗塞で寝ながら逝った。



グラウンドから合宿所に選手全員が呼び戻され、監督からそれを宣告された日。

俺は前の日に
「ちょっと預かってて♪」
と言われたピッチャーが一人一人一個づつ持っているピッチングボールを(今もかたみに持っている)持って最後の方に合宿所の食堂に入った。


先輩達はウキウキして言っていた。

「この前あんな良い試合したから今日は練習やすみか(笑)?」

「ないない(笑)」

「あら?そういえば丹波は?」

「あいつ調子に乗って寝坊じゃね(笑)?」


すると涙目の監督と部長、コーチが入ってきて、全員
「?」という空気になった。


監督は途切れ途切れ言った。

「今‥連絡が来て‥丹波が‥亡くなった‥」




「‥‥‥」



ざわついた空気が氷ついた。


いや。


「はい?」



という感じだった。




合宿所の食堂は長生きしてるセミの鳴き声だけが鳴り響いていた。




しばらくして3塁コーチャーをやっていた斉藤タケシ先輩が

「ぅ、ウソだ。」

「ウソだぁぁああ!!!」


と泣き崩れた。



それからは早かった。




みんな次々に泣き崩れてった。






よくドラマとかでいきなり悲しい事があると物を落としたりするでしょ?


あれ本当だよ。



俺は合宿所で丹波さんに返そうとしてたボールを

「‥ボトッ」


と落とした。





ヤバぃ。


ちょっと待った

今マジ俺泣きそぅ








おし。





でもその時俺ゎ泣き崩れなかった。

一番後ろで一人呆然と立ち尽くした。
(あの光景は一生忘れない)


何が何だか分からなかった。


俺のスーパースターが、丹波さんが、お兄ちゃんが‥






消えちゃった。


つい数時間前まで笑いあってた。


俺、寝て起きただけ。








消えちゃった‥





そんな感じだった。





その年、うちは背番号「1」なしで春の甲子園に行った。(俺ゎケガしてベンチにいなかったけど)

丹波さんのユニフォームの布で丹波さんのお母さんが作ってくれたお守りを持って。




丹波さんの変わりにピッチャーになったセンターの松井さんは今もヤクルトスワローズでピッチャーとして頑張っている。
丹波さんのケガをして野球を引退してたお兄さんも、それからリハビリをして何年後かにプロに入った。
(もぅ解雇されました)


丹波さんは今も横浜高校のグラウンドに銅像?たて?みたいのがある。


愛甲選手や鈴木選手、全日本の多村選手、メジャーリーガーの松坂でさえない。



丹波さんが亡くなった後に松坂が入学してきた時も
「丹波みたいになればいいな」
と言われたくらいのピッチャー。丹波慎也。

良い思い出だけ残してどっか行っちゃったズルいお兄ちゃん。

永遠の俺のアイドル丹波先輩。



一個上に丹波さん、一個下に松坂。


試合で2人の球を受けた事があるキャッチャーは世界中探しても俺しかいない。

幸か不幸か分からないが、野球人としてすごい事をしたのかもしれない。




感謝してる。



本当に感謝してます。

丹波さん。







昔、練習のあと2人で一緒に帰ってる途中、マスコミとかファンがやんや言ってて
「うるさいなぁー」
とマネージャーみたいに丹波さんをボディーガードみたいに守り、イライラして歩いてた時。


丹波さんが言った。

『人の意見を気にしてたらキリがないぞ?俺達は人に感動させたり何かを感じさせたり元気にさせられる特別な立場にいるんだから、人にどう思われるかなんてどーでもいいんだよ。ただ感謝して自分のできる事をするしかないんだよ(^-^)』



「はぁー。やっぱカッケーっすね~(T_T)難しくてよく分かんねーけど俺、絶対丹波さんみたいになります!!」



丹波さん
『ははっ♪下を見たらキリがないし上を見たらはてしないし。自分以上でも以下にもなれないんだから、お前はお前らしく頑張りな(^-^)♪』




「いつも言う事が難しいっす(=_=;)このままでいろって事?丹波さんになれねーじゃん。」


丹波さんはハハッと笑ってその会話は終わっちゃった。




そんな感じ。




あと覚えてるの大事は思い出は、前にも書いた肘をケガした時、枕元に置いてあったオカンの手紙かな♪(^-^)


そんな高校生でした。

10番上地雄輔






丹波兄ちゃんへ。


今あの頃想像もしなかった仕事をしてます。


あれから友達もたくさん増えました。

これを読んでくれるなまかもいっぱいいます。


今の仕事も人に感動させたり、何かを感じさせたり、元気にさせたりできる仕事です。


感謝してます。


でも今丹波さんのちょうど10コ上になって気付いた事。


どんな人でも、どんな職業の人に感動させたり、何かを感じさせたり、元気にさせたりできますよ♪


丹波さんから見た今の俺はどんな感じですか?

丹波さんから見て大人になりましたか?


カッコ良くなりましたか?


人からどう思われるかなんて考えちゃいけないって言われても、あなたからどう見られてるかだけゎ気になります。


それを気にならないような男にいつかなるように頑張ります。




じゃー今日も元気に行ってきます
(^-^)/




ゆーすけょり。

最新情報


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●C X『ヘキサゴン2』 9/5 、9/12

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〈中学生編〉

写真の整理をしながらフと思い浮かんだ俺の心に残るセリフ。

『』。



中学時代。


小学校では年上と仲良く普通に遊んでいても、中学に入ると小さい上下関係ができるお年頃。


でもその矛盾に俺は反発しまくった。


つーか面倒臭かった(笑)


だから先輩にも敬語なんて使った事がなかった。


でもなぜか許された。


上の人に本当に可愛いがってもらった♪


類は友を呼ぶ。

俺の周りの先輩も変わってたから可愛いがってくれた。


いや。


多分みんな諦めてただけだ。
(^_^;)


当時。小学校に引き続き本当にわんぱくだった。

人には言えないような悪さもいっぱいした。


本っ当に反省している。



そんな俺だけど、中3にはまた野球でキャプテンになった。


俺は努力するのが嫌いだった。

努力を人に見せるのはもっと嫌いだった。


勉強も授業中聞かないで家で勉強してたタイプ。

信じてもらえないかもしれないけど、中学までクラスでは絶対にトップ5に入っていた。


だから今地元のみんなは、最近俺がクイズ番組に出てるのを見るといつも驚いてる。




話がズレた。



野球。

俺は居残り練習もしなかった。

絶対に。

でも練習の時は本当に本当に頑張った。

練習前も早めに来てグラウンドの周りを多めに走ったり‥

してたつもり。



でも居残り練習は絶対にしなかった。



家に帰ってしてたから。


そーゆーのがまたカッコいいとも思ってた。

カリスマ的なキャプテンでいたかった。

当時流行ってた漫画〈スラムダンク〉の流川みたいになりたかった。

キャラでもねーのに。




「とにかく試合の俺を見ろい!」
「その背中について来い!」

そう思ってた。





中3の6月。

俺は不振にあえいでいた。

情けなかった。

居心地が悪かった。



そんな俺にチーム1の練習好き、
2番でサード☆シンジ☆
が練習の後に駆け寄って来て

シンジ
「俺、最近不振だから今日だけ練習付き合ってくれね?」


「お、おう。」



「しょうがねーなぁ(-_-)」
とばかりな顔をしてその日、居残り練習をした。


意外と居残り練習をしてる選手がいた。驚いた。


キャプテン。

チームの全てを知り、まとめなきゃいけない人間。



知らなかった。




そして俺はキャッチャー。
9人のプレーヤーの中で1人だけ逆を向いて、周りを冷静に見渡さないといけないポジション。



見渡せてなかった。

冷静にはなれなかった。

裸の王様ならぬ裸のキャプテン。




その日、居残り練習のシンジはスゴかった。


汗まみれ泥まみれ。

お互いにノックして、素振りて、その後に200メートルダッシュを何十本。

シンジは俺より足が遅い。

走ってる途中振り返るとゴリラみたいな顔をしたシンジが目をつぶって、歯を食いしばり、汗を飛ばしながら首と腕をブンブン不細工に振りながら俺を追ってくる。


俺は爆笑した。




笑った後、


笑いが止まった。






カッコ良かった。



本当にカッコ良かった。





居残り練習後の帰り。

シンジと、帰り道が一緒で俺達の居残り練習を手伝ってくれた☆巨漢サモハン☆と☆チビスケ岩崎☆の後輩2人。

シンジはジュースを飲みながら言った。
『別にカッコつけなくて良いんじゃね?お前はお前のままで絶対みんな付いて来るんだから。』




「‥」

後輩2人がいて恥ずかしかったけど胸に響いた。




俺はシンジのケツを蹴りあげ一言。
「お前がカッコつけんなバカ!」


それから俺を先頭に4人はほぼ無言のまま帰った。


俺ゎよくバットに汗ビショのシャツを巻き付けて帰ってたから、はたから見たら桃太郎の鬼退治に見えたろう。
(^_^;)



でも

俺ゎその日から毎日居残り練習をした。

居残り練習する選手も増えまくった。

今まで俺と一緒に帰ってた反居残り練習組もやり始めた。


俺ゎさらに帰っても自主練習をした。


だから人の3倍は練習したと思う。




しばらくして

効果抜群。

打ちまくった。



ある日チームの本萱監督が俺に言った。(最後に「ヨっ」ていう口癖の監督)

「やっと自覚が出てきたな。『今何すれば良いか考えるしかないんだヨっ』『努力は人を裏切らないヨっ』」

大きく頷いた。

が。

自覚が出たなんて俺にはもったいなかった。

シンジと他の全てのメンバーに作られたキャプテンだ。

だからくすぐったかった。




その年、俺は首位打者になった。
チームは初の全国大会出場。
関東大会優勝。
オマケに俺は全日本選抜にも選ばれた。



プチ自慢('-^*)



高校も全国から38校も推薦がきた。


どこの高校に行こうか迷った。

本当に迷った。



結局、横浜高校に決めた。

横浜高校にしか行きたくなくなった。





あの男を見てから‥

(高校編に男が出てきます(^^;))






そして



一つだけみんなに言いたい。






指が痛ぇ(=_=;)。

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