本題に入る前に、
少し脇道に入って道草を食うよ。
小学校のときに、いつのクラスにもとても聞き分けがよく勉強もよくできた同級生がいたのよ。
担任の先生の信頼を一身に背負っただけではなく、保護者たちからも評判がよかった。
でも、社会に出て社会人の経験を20年30年積んで、
小学生時代のもはんせいを振り返ると、
今はどこで何をしているんだろう、と心配になるやつのほうが多かったんだ。
むしろ、少々ワンパク気味だったやつのほうが、社会では堂々と活躍している。
そう思わないか。
ワンパクだったやつはよく叱られていた。
担任の先生にも自分の親にも、そして、同級生の親たちにも批判された。
はじめは傷ついて凹んだはずだけれど、
凹まなくなったんだと思うよ。
子供は未来を担う人間だから、
そういう本能を持っているから、
はじめは傷ついても、
そのうち鍛えられて凹まなくなる。
叱られるのは励ましとはっきり受け取っていたわけではないだろうが、
ワンパクな子供の心は意外と割り切って、
そういう受け取り方をするようになる。
ワンパクでヤンチャな同級生の多くが、
社会に巣立ってからどんどん伸びていく例は、
このブログを読んでいただいている人たちにも覚えがあるに違いない。
聞き分けのいい勉強もよくできたやつは、
そういう試練を受けていない。
つまり、知らず温室育ちになってしまうのよ。
だから社会に出てこんなはずではなかった、
とうろたえて傷つきやすい。
社会は聞き分けがいい、頭も良さそうだ、じゃ評価してくれない。
何かに取り組んでそれに打ち克って初めて評価してくれる。
ワンパクだった連中は、
子供のときに傷だらけになりながら、
それに負けずに強くなってきている。
これこそ社会に必要な素質なんだと思う。
社会の最前線にいるんだから、
傷つくことはいくらでもある。
傷ついていいと思うんだよ。
批判されても悪口を言われても、
それは励ましなのだ、叱咤激励をしてくれているんだ、
と割り切って受け取れるだけの強さを身につけよう。
ちょっとだけ強くなればいいのよ。
傷つけられても、そうか励ましか、
とノー天気に受け取ればすぐに癒すことができる。
傷つけられるから前向きになれるのだと思う。SNSをやっていれば、
初めから悪意のある誹謗中傷が突然に飛んでくる。
安全圏という匿名地帯から矢を放ってくる。
これだけで卑怯だろう。
だから、弱い弱い連中なんだよ。傷ついたら馬鹿らしいじゃないか。
その連中からほんのちょっと強くなろうよ。
それだけで痛くも痒くもなくなる。
見ず知らずの自分をこうして気にしてくれて励ましてくれるのか、
と軽く受け取っておけばいいのよ。
いずれにしろ、褒められたら気をつけろ。
ただのお世辞か、何かの下心があるんじゃないか。
そのくらいに思っていい。
批判や、忠告は少しの悪意があったとしても、
カチンときながらでも受け取っておこう。
褒め言葉と違って本音の部分が大きいんだよ。妬まれ憎まれて悪口を言われるぐらいでないと、社会では生きていけない。
褒められて嬉しがっていたら社会に潜む魔物に食われるぞ。
批判されて、ときには誹謗中傷されて、
やっとナンボの世界が社会だぞ。