大卒後
職を転々としてきたけどね
ここで清水の舞台から飛び降りた気になりゃ
一打逆転かなあ
と思うことが何度かあった
1度
当時 首都圏私鉄の沿線で
サラ金をチエーン展開していた経営者の娘の
家庭教師をしたことがあって
娘に凄く気に入られた
と言っても小学高学年だ
艶っぽいことではない
ただ エキセントリックな性格で
今まで6,7人も家庭教師を取り替えたが
1ヶ月と勤まらなかったという
あんたと娘は本当に相性がいい
とまもなく2ヶ月になろうという頃
なに相性がいいというより
ただ遊び相手になっていただけで
勉強が本当に嫌いな子だった
僕も勉強を教えるより
その子とアヤトリをしているほうが楽しかったのだ
いくらいくらだそう
だから フル勤務にならないか
と水を向けられた
いや 迫られた
28歳半ばの一流会社社員の給料の
倍額はあった
それまで吹きだまりのような
小企業の勤務が多く
給料も相場の3分の2足らずの
ところばかりだったので
心は動いたよ
でもねえ
その父親
毎日幹部社員を自宅に呼びつけて締めあげるの
暴力団そこのけの怒声罵声を響かせて
娘の部屋までがんがん聞こえる
それに家庭教師は副業で
別の勤めがあったし断ることにした
そんな奴に娘の家庭教師は任せられない
今日限りやめろ
と首になった
一打逆転のチャンスに三球三振だったかなあ
と思ったが
2,3ヶ月後
その社長は脱税か何かの容疑で逮捕された
こんな1打逆転のチャンスのケースを
いくら話してもしょうがないか
僕の場合は三球三振で正解だったんだから
まともな一打逆転のチャンスを話して終わろう
29歳で不摂生が祟り
虫垂炎をこじらせ腹膜炎を併発し
何日か視線をさまよった
元気になっても入院が長引いて
学生時代 他大学の哲学科の学生に
何気なく書いた文章を褒められた記憶が蘇った
きみ 小説を書けるぞ
その一言を思い出して
生まれて初めて小説を書き
小説雑誌の新人賞に応募した
それが2次予選を通った
それから直木賞までは11年かかったが
初応募は一打逆転を呼び込む
貴重な出塁になった