月別アーカイブ / 2022年09月




文春砲もたまには小粋なことをやるな。
それにしても凄えじゃねえか。
2022年10月28日、
寅年寅日にキャピトルレコードからだぜ。
全世界ストリーミング配信デビューだぞ。
何と249カ国と地域で配信になる。
国連なんかメじゃねえな。
無論、ジャニーズ初の快挙よ。
留学してから、僕はこのブログでいつも、
目標は世界だ、と主張した。
その通りに地球をトラジャが駆け巡る第1歩を決めた。
クラクラするほど、カッコいいぜ。
タキシードが全員で似合っていたな。

辛かったときを糧にしてるな、
トラジャってのはよ、そうなのよ。
Six TONESとSnow Manが同時CDデビューしたときは、
かわいそうだったよな。
川島如恵留と松田元太は泣いたってな。
七五三掛龍也も声を震わせていたって。
繊細な吉澤閑也はケアにまわったか。
気遣いの若者だな。
泣くのは引退のときだけだ、と中村海人は剛毅なところを見せた。
まだ足りないのかな、と松倉海斗は謙虚に反省し前を見た。
残酷なのもエンターテインメントだ、と宮近海斗は自虐的に冷静だった。
みんなそれぞれにライバルの2グループに先を越されたことを、
それぞれの感性と人間性で捉えた。
でも、みんなで不屈のバネを共有したんだろうなぁ。
CDデビューを達成する前に、
アメリカ留学が決まったとき、
これはいずれ何かあるな、と思ったよ。
トラジャのオリジナル曲に「夢のHollywood」てのがあるだろ。
歌詞がいいんだ歌詞がよ。

♪ 掴み取れ 駆け上がれ Allnight Dancing
 夢のHollywood タキシード決め Line Dance
 踊り続けよう キラメク世界

ハリウッドでやるって歌って、
世界でやるってことやん。
キラメク世界へトラジャは駆け上がる。
まとめて言うけどな、
トラジャ7人で数十人規模の多様性を持っている。
7人で固まんないのよ。
何かフワッとそのまま膨らんでいく。
こんな多様性と柔軟な膨らみを持っているのは、
トラジャの真骨頂だ、
と僕は思うのよ。
今回は1人1人名を挙げないないけれどね、
みんな1人1人が他の6人にはない
淡色ながら不思議な味わいを持ってるんだよ。
それでいてバランスがいい。
膨らむのよ。
それに向こうが目をつけたのよ。
トラジャの多様性と膨らみに、
まずは乾杯しておこう。


 


零細な企業にも勤めたよ。
社員数が少ないから、
職場の人間関係が透けて見える。
教育図書の出版をやっている会社に入った。
主に直販でやっているところで、
その営業部に回された。
言うまでもなく、
こういうところは編集部と営業部が二本柱でね。
社員数は30人余り、
出版が恵まれた時代だったから業績も良かった。
結構、人材が集まっているじゃないか。
と思ったのは勤めてすぐの僕の印象だった。
編集長のKは30代半ば過ぎ、
創業者で社長のスカウトにより大手出版社を辞めて入社している。
営業部長のRは40歳で、
こっちはチエーン書店を途中で辞めて、
この出版社に入ってきた。
営業部次長のGは44、5歳、生え抜きの社員だった。
入社して1ヵ月近く経った頃かな。
退社して駅に向かっていると、
僕を追い抜きざまGが声をかけてきた。
「1杯、付き合わないか?」
別に急いで帰る理由もなかったので、
僕はついていった。
やや品の良い居酒屋で、Gはよくしゃべった。
まだ会社に慣れていない僕に、
会社の内情をあえて少し打ち明けているようだった。
そして、会社幹部の人物評価になり、
上司のRを褒めちぎった。
「きっと、あの人はそんなに遠くない将来会社を背負って立つよ。
 言っちゃなんだが、掃き溜めに舞い降りたツル。目をかけてもらえよ」
僕は黙ってうなずくだけにした。
職を転々としている中で僕なりに身に付けた処世術からすると、
上司や、ライバルを褒めちぎる人には要注意だったからだ。
ただ、直販のシリーズ本などを
企業団体などに売り込むコツには耳を傾けた。
小さいながら叩き上げてきた人特有の
実感がこもったアドバイスだった。
僕より1ヶ月ほど早く入社したNという社員がいた。
そのNと2人だけで飲む機会があって、
飲むうちに僕は愚痴の聞き役になった。
まだ結婚して1年ほどだったが、自分の妻について不安を抱いていた。
Rに声をかけられて、
妻と一緒にその自宅を訪れてご馳走になったことがあった。
それから間もなくして、
どうも妻の様子がおかしい。
Rとカラオケにでも行っている気配がある。
そんな不安だったが、
途中で喋りたくなくなったのか口をつぐんだ。
 2ヶ月ほど経って師走に入った。
そんなときに、
社長が脳梗塞で出社できなくなった。
お飾りに近かったが、専務取締役を務めていた社長の妻が社長代理を務めるようになった。
社内で異変が起きた。
RとNの妻が不倫関係にあることが明るみに出て、
社長の妻がヒステリックにRを責めたので、
Rは退職してしまった。
業部長にはGが昇格した。
して、なんとNが係長に抜擢されて、
僕の直属の上司になった。
NはRと妻とのことをGに相談したらしい。
GはRが接待費を自分の私的な飲食費に回している事実をよく知っていた。
そのことも含めて、Rの足をここぞとばかりに引っ張ったのである。
Rや、Nを上司にしたくない僕は、
年末に退職届けを出した。

足を引っ張るやつはきみのすぐそばにいて。
きみを支えているようなふりを平気で何年も続けることができる。
宮仕えの人たちは、
こういう人に気をつけたほうがいい。



愛人と入水心中をした太宰治の葬儀で師匠筋の井伏鱒二は、
太宰の苦悩をこのように解き明かしてみせました。

「太宰君は自分で絶えず悩みを生み出して自分で苦しんでゐた人だと私は思ひます。
 四十才で生涯を終つたが、生み出した悩みの量は自分でも計り知ることが出来なかつたでせう。
 ちょうどそれは、たとへば岡の麓の泉の深さは計り知り得るが
 湧き出る水の量は計り知れないのと同じことでせう」


胸をヒタヒタ打たれて、
今もヒタヒタ打たれるような思いになる弔辞があります。
その場で聴いたわけではなく、
何かの記事で読んだだけなのに。
それはタモリさんが肉親以上の関係だった、
と断言する赤塚不二夫さんを送った際の弔辞です。


「私はあなたに生前お世話になりながら
 一言もお礼を言ったことがありません。
 それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
 お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです…

 いま、お礼を言わせていただきます。
 赤塚先生、本当に有り難うございました



ブルーハーツの甲本ヒロトさんは、
忌野清志郎さんを普段の人間性あふれる言葉で見送っています。
ここに紹介するのは後半の部分です。

「一番最近会ったのは、去年の11月、
 それはザ・フーの来日公演で武道館の、その時はあなたは客席の人でした。
 ステージの上の清志郎じゃなくて、客席の人でした。
 たくさんの人が清志郎にあこがれるように、
 あなたはロックンロールにあこがれていました。
 僕もそうです。
 そんな一観客同士の共感を感じ、とても身近に感じた直後、
 あなたはポケットから何かを出されて、
 それは業界のコネをフルに生かした戦利品とでもいいましょうか、
 ピート・タウンゼントの使用するギターのピックでした。
 ちっともあなたは観客席の一人でなかった。
 僕があまりにうらやましそうにしているので、
 二枚あったそのうちの一つを僕にくれました。
 (ポケットを探り)こっちじゃねえや、これだ。
 ピート・タウンゼントが使っていたピックです。
 これはもう、返さなくていいね。収めます。ありがとう。
 一生忘れないよ。短いかもしれないけど、一生忘れない。

 そんで、ありがとうを言いに来たんです。
 数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。きょうもそうだよ。
 ひどいよ、この冗談は。そんでね、ありがとうを言いにきました。
 清志郎ありがとう。
 それから後ろ向きになっちゃってるけど、
 清志郎を支えてくれたスタッフの皆さん、
 それから家族の皆さん、親族の皆さん、友人の皆さん、
 最高のロックンロールを支えてくれた皆さん、
 どうもありがとう。どうもありがとう。
 で、あと一つ残るのは、
 きょうもたくさん外で待っているあなたのファンです。
 彼らにありがとうは、僕は言いません。
 僕もその一人だからです。それはあなたが言ってください」

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