月別アーカイブ / 2022年08月



闘病中なのでパソコンで仕事をする以外の時間は、
ラジオを聴くか、それより短い時間だがテレビを視ている。
それでも知らない間に、
7人の名前を覚えちゃったぜ。
ネットでも歌い踊っているところを見たよ。
ははーん、関西圏ではいいが、
東京圏ではクドいと思う人も多そうだよな。
その理由の1つは、みんなカワイイ系で、
知らず「見て見て」になっちゃうのかな。
よく1人1人を見るとみんな一生懸命なのよ。
けど、WEStみたいに、フアンが兄貴や、弟、
話せる仲間などに見立てての親近感がイマイチ湧きにくいか。
でも、1人1人のキャラは立ってんな。
みっちー、こと道枝駿佑くんは、
歌も歯切れがよいし、ダンスがキレッキレだよね。当たり前にやっていそうで、惹きつける。
ほっとけないのかな。艶があって母性愛くすぐるほうのカワイイ系だ。
大橋和也くんは心地よい空気を放っている。
誰かが部屋にぽつんと1人でいて、
アレッて心地よい空気を感じて振り返ると、
大橋くんがぬいぐるみのようにニコニコして座っているような。
人の毒気を抜くようなところがある。
それとなくみんなに気を配ってる。
他の6人はみんな関西圏の出身なのに、
彼だけは福岡県出身のせいもあるのか。
大西流星くんには、
20世紀もそろそろ終わりそうだった頃の若者のような堅牢さがあるぜ。
ダンスの切れ味はみっちーと1、2を争うだろ。
高橋恭平くんは遠目でもかっこいいなぁ。
近くで見ると照れてるようなところがある。
藤原丈一郎くんは、
みんなを引き立てて面白がらせることが好きか。最年長で下積み経験もあるから、メンバーからはみれば心強いんじゃないか。
でも、もしかしてマザコン?
西畑大吾くんはカワイイけれど、
いい面魂とも言える。懐が深そうだ。
人の上に立ちそうなタイプなんだろうね。
長尾謙杜くんはどこにでもいそうな普通ぽさがいいな。
でも、周りに気づかれずに深いところを見ていそうだ。
1人1人はキャラが立っているのにさぁ、
グループ総体となると、
うっせえなと思う。
このグループ、何とB型が4人もいるんだよ。 AB型が1人。
これじゃ見て見てって感じでノリ過ぎのこともあるだろう。
残りの2人がO型で、B系に合わせていく形になっちゃう。
抑え役のA型が1人もいないんだぜ。
 2021年11月にCDデビュー。
まだ浅いのに、これだけメディアに浸透している。
いずれいい意味で角が取れてもっとフアンを増やしそうだ。

ところで、ファッション感覚はみっちーが優れているんじゃないかな。
自分の心の赴くままのファッションをすると良い。トラジャのまつくはさりげないファッション、WESTの神山くんは柄柄柄ン的なファッションも似合ってパワーがある。
僕のファッションも大阪のおばちゃん的だと言う奴もいるが、ちょっと違うと思うぜ。
最後だからカッコつけさしてくれよ。




そろそろ30歳になろうという頃ね、
次年度版の紳士録の予約を取っていた。
絶望の底から這い上がって一代を築いた人に、
何人か会った。 
「絶望の淵に突き落とさいて1時は死のう
と思ったけれどね、一縷の希望を持ったんだ。
それでもダメなら仕方ないと自分に言い聞かせたものだよ」
何人かのうち、
1人を除く人は大体似たり寄ったりの言い方をした。
ところが、1人の人はこう言ったのだ。
「みんな絶望絶望と言うけれど、生死の瀬戸際に立たされても生きている以上は望みを絶たないもんだよ」
「えっ、どうしてですか?」
そう訊いた僕に、その人はこう答えた。
「本当に多額の借金を背負ってね、金融機関は無論、親友と思っていた人たちもみんなツレなかった。背負った借金から言えば、
お見舞いのような形でハシタ金を出した奴もいるけれど、こっちは断ったね」
意地があったからね、とその人は言った。
「要するに意地があるということは、
このままではすまされないということじゃないか。つまり、絶望していないということなんだ。ガス管もくわえてみたよ、列車に飛び込もうとも思ったよ。でも、できなかった。
勇気がなかったからじゃない。
ただ、生きたかったんだ。生きようと思えば一縷の希望は見つかるもんなんだ」
その人の例え話が心に染みた。
「みんな絶望の底というけれどね、本当に絶望の底かどうかはわからない。
というより違うんじゃないかね。
私も絶望の淵に突き落とされたと思ったけれど、死ぬ気はなかった。何とかして再起しようと思っても死ぬ気はなかった。
何とかして再起しようと思えば0からやればいいんだろう。
そう思ったらこれは絶望の底ではない。本物の絶望の底は、この底が割れた下にある。
本物の底でないのならゼロからやればいいんだろう。
人間、本物の絶望の底に突き落とされたら生きてはいないと思うよ。
実際に死んだ人は多いと思うんだ。死ぬ気がなければ何でもやれる。そういう考えでゼロからやり始めたが、遠いヨーロッパの国にいる元親友がどこかから聞きつけたらしく、良い仕事先を紹介してくれた。
後は死んだつもりで頑張っただけなんだよ」
絶望の底と思い込んだことをチャンスと捉えて奮起、成功を収めた人の話である。
人はそう簡単に絶望できない、
と教えてもらった。



もしかしたら、
年若い人でも寄せ書き日章旗を見たことがあるかもしれない。
江田島など各地にある 旧日本軍施設跡に建てられた記念館に展示されていることがある。
僕もあちこちで見たが、
いちばん印象に残っている寄せ書き日章旗は、
山手線五反田駅近くにあった大きな居酒屋さんの2階の大座敷に展示されていた大きな日の丸のものだった。
強者ぞろいだったことで知られる旧海軍第〇〇戦闘機隊所属の人たちによる寄せ書きで、
ひときわ僕の目に染みた。
店の人に聞いたところでは、
この戦闘機隊の生き残りの人たちが、
毎年この広間で戦友会を開いているのだという。貸切の座敷ではないので、
たまに足を運ぶうちに、偶然、
その戦友会に居合わせることになった。
僕は連れとともに、
その戦友会のすぐ近くに席を取った。
12、3人の集まりだったと記憶しているが、
みんな静かに話をしていた。
でも、ほどよく酔いが回ると、
抑え気味ながら軍歌が出た。
トイレに立ち上がった様子の1人に、
「皆さん、歴戦の勇士だったんでしょうね?」
と、訊いた。
「いや私は生き残りの弱者でして」
その人は謙そんして苦笑いした。
その人が留守の間に、別の人が僕らの短い会話を聞きつけて、こう言った。
「あの人は個人撃墜10機以上の凄腕でしたよ」
壁の寄せ書き日章旗は前線に派遣されてから、戦闘機隊全員で書いたものだという。
寄せ書きした人たちの半ば以上が戦没し、
帰還できたものも既に何人か鬼籍入っている。
酔っても皆さんの表情には寂しい感じがにじんでいた。
 1980年代半ばのことだった。
戦友会を開いていた人たちは60代の人が多かったように思う。
それから 40年近い歳月が流れている。
あの大きな居酒屋さんは今も健在で、
2階の大広間の壁に、
あの大きな寄せ書き日章旗は掲げられているだろうか。
寄せ書き日章旗にもいろいろある。
同じ所属の隊の人たちが記念に寄せ書きしたもの。
出征するときに肉親や、
親しくしていた人たちが武運長久を祈って寄せ書きしてくれたもの。
この2つのケースが多いと思う。
今回返還された4旗の寄せ書きに日章旗は、
すべて後者のものではないか。
この日章旗を腹に巻いて出撃した人たちが多かった。返還を受けた遺族は改めて涙を流し関わりの深かった人たちを呼んで供養会を催している。
戦没者の遺骨の回収も思うようにはかどっていない。
戦没者や、遺族にとって太平洋戦争はまだ終わっていないのだ。
僕も15歳年長の兄を旧満州、現在の中国東北部で失っている。
中学生のときに8歳上の姉とともに厚生省引揚援護局に赴いて、
兄の遺骨が入った箱を受け取りに行った。
無論、本物の遺骨など入っていない。
中には粗末な木片で作ったらしい位牌もどきが入っていた。
兄の遺骨は今でも旧満州の荒野に放置されているのだろうか、
と中学生の僕は歯噛みしながら思った。
姉にとっても僕にとっても、
まだ太平洋戦争は終わっていない。

※ 冒頭に掲載した画像は一般財団法人日本遺族会発行の日本遺族通信8月号の記事のものです。


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