月別アーカイブ / 2021年10月



それぞれの立場でしか捉えられない生死の実相を、
どの方も鋭く捉えて解りやすい言葉で話されている。
この書を読んで多くの親御さんが構えることなく、
生死についてお子さんと語りあえるようになると思う。
お子さんが小学中高学年だったら、
自分達が読んだあとに、
「これ、読んでみて」
と、さりげなく渡してほしい。
それだけでもいいし、
読んだ気配を感じたら生死についてフランクに語りあってほしい。

さて、
ここでの僕は本書に書いたことには触れずに、
子供の頃に死に対して抱いた恐怖と、
その恐怖がどのように変質していったかについて、
簡単に話してみたい。

僕は母から盛んに読み聞かせを受けて育った。
絵本はアンデルセンのものが多かったかな。
怖~いお話が多かった。
赤い靴の少女は天に昇り、
人魚姫は泡になるけれど、
どちらもいなくなっちゃうんだから、
死ぬってことだよね。
ただ死ぬより、
とても怖い気がしたのだと思う。
でも、両親の会話では、
「〇〇さんちのご長男が戦死したそうよ」
「あの息子、まだ20歳そこそこだろう」
などという会話がよく交わされた。
死は身近にあった。
ただ、その死は〇〇さんちの
ご長男を見たことがない僕には漠然としていた。
僕は母が読み聞かせしてくれた絵本を、
何度も何度も自分で読み返した。
15歳年長の兄という頼りがいのある師もいたから、
僕は満5歳になる前には、
カタカナも平仮名も一部を除いて読み書きできるようになっていた。
絵本の中の天に昇ってしまう死や、
泡になってしまう死には、
暗黒の地底に吸い込まれるような恐怖を覚えた。
「死ぬって何?」
あるとき母に訊いた。
母は首を強く振って黙り込んだ。
兄に訊こうとしてなかなか訊けなかった。
死についてよく教えてくれると思ったけれど、
それは本当に怖いことであった。
兄は終戦の年の8月下旬に、
旧満州、現在の中国東北部の荒野で戦死した。
まだ20歳だった。
兄がいた部隊は終戦を知らず戦い続けて、
全滅したと伝えられた。

中学1年で12歳の僕は、
8歳年長の姉と自宅へ戻る途中だった。
姉は白木の箱を抱えていた。
この数日前、
戦後7年近く経ってからになるが、
役場から兄の戦死公報が届けられた。
兄の戦死は確定的だったのに、
戦死の状況が不明で行方不明扱いだった。
しかし、
その年のシベリアからの帰還船に、
兄がいた部隊の生き残りの抑留者が複数乗船していて、
彼らの口から兄の戦死の状況が語られたことで、
兄の戦死が確定したのである。
厚生省の引揚援護局というところから、
お骨を取りにきてほしいということで、
僕と姉は取りにいった。
その帰途だった。
白木の箱はカタカタ音を発し続けた。
「重い?」
「とても軽いわよ」
姉は不機嫌そうに言った。
自宅に着くと父母が待っていた。
母が白い布を解いて白木の箱を開けた。
父、姉、僕が覗き込んだ。
小さく粗末な板木を2枚、
逆さTの字に組んだものが入っていた。
陸軍兵長 下田勇の霊、
と筆書きされていた。
「あまりにも粗末ではないか」
父は肩を落としてつぶやいた。
母が恭しく仏壇に飾った。

その粗末極まる位牌は、
やがて戒名の入った立派な位牌に取って代わった。
僕の死に対する言いしれぬ恐怖は、
お粗末そのものの兄の位牌を見たことで、
死ってこんなに簡単なことなんだな、
という思いの裏返しからきたのだろう。
当たり前だから仕方がないか、
という気持ちに置き換えられていった。
しかし、
その気持ちはいつか訪れる死というものに、
恥じないですむ自分でいたい、
という欲望に変質していったかもしれない。
その欲望は期待、希望、
向上心などで彩られていたのだろうか。

1つ、死の恐怖から生まれたものを言えば、
人との別れを強く惜しむ思いである。
中学性の頃、
僕が20歳になったとき、
父は61歳で母は60歳か、
とよくため息をついた。
60歳前後で多く人が亡くなる時代で、
そのときに父母がいるかいないか解らないことに、
死そのものへの恐怖と別の恐怖を味わった。

実際には、
父は僕が40歳のときに81歳で、
母は僕が54歳のときに94歳で他界している。
どちらもそのときの男性、
女性の平均寿命をかなり上回ってのことだった。

























悲劇性に充ちた生涯と結末を持つスターは、

そのフアンの心にそれが深く刻まれてしまう。

その死が突然で理解しがたいものであればあるほど、

それは受け入れがたいものになり、

生きているというほうへ、

生きていて貰いたいというほうへ心理が働いて、

生存伝説が立ち上がりやすい。


三浦春馬は生きていると信じている人は、

確かに一定数いるようである。

どこかで生きていてほしいと願っている人は、

もっといるに違いない。


このフアン層の人達にとって、

三浦春馬の複雑な生い立ちは、

その悲劇性の証として納得しやすいものであった。

甘い感じのマスクには、

常にどこかに憂愁を湛えたところがあり、

そういう役どころも多くこなして、

女性フアンであれば母性愛をかき立てられた。

そして、

金字塔として末永く人口に膾炙されるような決定的作品がまだなく、

三浦春馬の黄金時代はこれからだ、

というフアンの強い認識と期待が突然、奪われてしまった。

更に、

正式な遺書もなく、

検視だけで自殺と判断された。

早朝の事件として報道されたとまで話題になっていたのに、

死亡確認は午後3時だったという時系列の不自然さ。

所属事務所の対応の鈍さ。

大多数のフアンにとっては、

真相が曖昧糢糊なものとして映った。

一部メディアの他殺説報道に対する

根拠に富んだ明快な否定もなされず、

この事件を早く過去のものにしたい、

という雰囲気も感じとれた。


他殺説を信じるフアンが中心になってのことだろうか、

一部フアンが警視庁に説明と再調査を求める署名活動を始めて、

すでに1万通近い署名が集まっているという。

自殺も他殺も納得できないというフアンは、

もともと永遠のフアンになる素地を持っており、

フアンの中のコアとしてのフアンと言える。

もしも、

三浦春馬がはっきりした病死であったら、

悲しみの涙をあふれさせながらその死を受け入れ、

心に移して生かし続け永遠に憧憬の対象としただろう。

自死であっても、

何の疑いもなく受け入れられるものだったら、

永遠のフアンになるために心の中で生かし続けたろう。

しかし、

コアのフアンの一部は納得できないままに、

生身の三浦春馬を生かし続けることで、

つまり、生存説を信じることで心の平衡を保とうとした。

このようなフアンから生まれた、

あるいはこのようなフアン対象にした

生存目撃情報がこれからは増えるかもしれない。

海外発のものが多数を占めてもおかしくない。

ニューヨークのタイムズスクウェアの歩道で

Tシャツを売っていたとか、

パリ郊外の外人部隊の訓練所で訓練を受けていたとか、

カイロでタクシー運転手をやっていたとか、

多様で意表を突かれるものほど、

生存を信じるフアンの胸にしみる。

意外に思うかもしれないが、

そういう生存目撃情報に接する度に、

生存を信じるフアンの心理は、

その死を納得しようというほうへ働いていく。

やがて、

自分の心の中で、

三浦春馬が生きていることに気づいて納得する。

更にしばらくの年月が経って、

生存目撃情報は自然消滅的に絶える。


そのときこそ、

三浦春馬は永遠のスターとして伝説の中で甦る。



(敬称略)








 




振り返るのも辛い事件だよな。

もう2年と3ヶ月になるのか。

アニメ界にとって得難い才能集団のきらめきが、

あっというまに還らぬものとなった。 

癒やしきれない傷を負った才能が現場に戻り、

新たなきらめきを放っているという話も耳にした。

そっと遠くから応援したくなるな。


さて、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、

深夜帯で他局が放送したよな。

僕はチョイチョイ覗き見的に、

映像に見とれていたんだよ。

美しい映像で場面が変わるときに、

ほんのつかの間、

残像が重なったっけ。

明日の金曜ロードショーは、

そのテレビシリーズを再構成した特別編集版だという。

きっと、僕の網膜の中で素敵な映像が乱舞するぞ。

その次の金曜ロードショーでは、

2019年の秋に劇場公開された

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝ー永遠と自動手記人形-」

を本編ノーカットでやるってな。

この年の5月に、

僕は腰椎を圧迫骨折して関節リウマチを悪化させ、

車いすユーザーになるのを余儀なくされたのよ。

劇場版が公開されてヒットし話題になった頃には、

間質性肺炎で2度にわたり入院し死にかけた。

実は、その春先に公開されたら観にいこう、

と年若い友に誘われていたのよ。

それからしばらくして、

僕の運命も暗転するとは思わなかったな。


美しい映像に充たされているんだろうな。

主人公のヴァイオレットが自動手記人形になり、

さまざまな人の内面に向きあううちに、

人の心を理解していく過程の人物描写は、

圧倒的に僕の心を打ちのめすんじゃないか。

圧倒的な才能集団の優しい心が紡いだ美しい映像と、

繊細な人物造型の両輪に支えられたストーリーを

涙の味付けで食べるように堪能してみたい。







↑このページのトップへ