月別アーカイブ / 2021年08月




学校から帰ると、

近くの原っぱへ行けば、

もうみんな集まっている。

9人ずついなくても、

原っぱ野球だからいいんだよ。

軟球より柔らかいゴムまりだったから、

バットだけあればできたな。

9人しか集まらなかったら、

4人と5人に分かれて、

三角野球だった。

三塁はない。

4人チームは、

バッテリーと一塁手と二塁手だけ。

5人チームでは、

1人外野手が生まれた。

審判はいない。

ストライクとボールの区別はないから、

ファールと空振りだけカウントして、

三振をとる。

三振すると、

味方からドンマイ、ドンマイ、

と声がかかる。

守っていてエラーしても、

ドンマイ、ドンマイ。

気持ちが楽になって、

よし頑張るぞ。

次の回では外野へ抜けるヒットを打てた。


ドンマイは、

子供世界では完全な日常語となって使われた。

先生に叱られても、

小声でドンマイと声がかかる。

レントゲン検査で精密検査に回されても、

ドンマイ、ドンマイで見送られると、

不安が和らいだ。

大丈夫だよ、心配いらないよ、

と声をかけられるよりも、

もっと力強く慰められ励まされた。


このドンマイは、

僕が社会人になった頃は、

すでに廃れていた。

でも、

保険調査員時代に地方へ出張すると、

通りがかりの学校の校庭や、

お寺の境内から聞こえた。

懐かしいんだよなあ。

足を止めたもの。


平成に入る前に、

全国的に死語化したんじゃないかな。


Don't mind!



スペルから直訳すると、

心配いらないよ

って感じだけど、

これ、和製和訳だったんだよ。


僕の下の姉が、

アメリカ人と結婚することになって、

彼をわが家へ招いて夕食会をした。

彼が慣れない手つきで箸を使い、

吸い物をこぼしたのよ。

僕は気を利かせたつもりで、

「ドンマイ、ドンマイ!」

と、声をかけた。

ところが、

彼は納得いかない顔になって姉を見た。

姉が何か言うと、

安心したように笑顔でうなずいた。


ドンマイは、

僕には関わりないことだから気にしないよ、

と、冷たく突き放した

ニュアンスの言葉だったんだ。

日本的な意味で、

気にしないでという意味あいなら、


Don't worry!


と、優しく声をかければいい。

~ということだった。


死語同然になったのは、

勝手な和製和訳だったせいだろうか。

住宅街から遊び場にしていた

原っぱが消えて久しい。

焼け跡の名残だった原っぱも多かった。

そこは子供の世界だった。

僕らは野球や、相撲。

女の子達は縄跳びや、

ママゴトに興じた。

正月は凧揚げや、

羽根突きの楽園になった。

ドンマイと男の子と女の子の声が、

絡みあってあがった。


ドンマイは、

けして豊かではなかったが、

おおらかな時代の子供世界の言葉だった。


ドンマイ!!!






 


 

 あの日、

 失意が続いて

もうどうでもよくなって、

 睡眠薬ってどうなんだろうと

 2回分ぽっちを、

 ウイスキーで飲んでね。

 ぼうっと、

 知らない道を歩いていた。

 道が二手に分かれてね、

 左手には「生きる道」、

 右手には「生きない道」、

 と道標が立っていた。

 ためらいなく

 右手に入った。

 少し行くとね、

 「今からでも遅くないから戻れ」

 ってタテカンのように書かれていた。

 反発してね、

 蹴飛ばして なおも行くと、

 「これ以上はアウト」

 と書かれた紙が吊るされて、

 通せん棒になっている。

 その向こうで、

 すっぽりかぶって

 足首あたりまで覆う

 白覆面姿の者たちが、

 僕を手招きながら

 舞を舞っている。

 僕は通せん棒を持ち上げて、

 くぐろうとした。

 ゴーッ、

 と凄い竜巻のような音がして、

 足首まで覆う白覆面たちが

 一気に吹っ飛ばされた。

 僕は通せん棒にしがみついた。


 我に返った。

 僕は小さな踏切で、

 遮断機のバーにしがみついていた。

 貨物列車が通っていた。

 
 気持ちが切り替わった

 瞬間だった。

 いや、

 それまでの生きたくない魂が抜けて、

 生きたい魂に取って代わっていた。

 その魂は誰がくれたんだろう。


 

 





 

 夢中になれるものなんて

 ないんだよ。

 何ごとかに夢中になっている人に、

 訊いてごらん。

 ほかにやることがないから

 やっただけだよ

 とか、

 先輩に強くすすめられて

 嫌々始めただけだったのに

 とかの答えが返ってくる。

 そうなんだよ。

 みんな夢中になれることを

 見つけてやったわけじゃない。

 始めたことをしっかり

 やっているうちに、

 それぞれに

 夢中になれることに

 行きあたっただけなんだよ。

 夢中になれることが

 見つからないというのは、

 何もやらないことと同じなんだよ。





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