月別アーカイブ / 2021年02月


cAm7JIAmOC.jpg

1962年に飼育されていた施設から逃げ出した
個体が野生化し、
今日の状態に至ったらしい。

東京都内でもハクビシンや、
タヌキほどではないが
たまに目撃情報がある。

ハクビシンや、
タヌキは日本で普通に野生する動物だが、
アライグマは特定外来生物で、
駆除の対象である。

アライグマは1度に5匹前後生まれ、
ほっとけばねずみ算式に増える。

タヌキや、ハクビシンより強そうだし、
キツネとも互角以上に渡りあうだろう。
雑食性で生命力はしぶとい。

記事中の専門家のコメントを引用すると、

「集中的に捕獲しても、よそから来て住み着く。
 かといって放置すれば、繁殖し放題。初期段階で
 対処しないと、結果的に駆除する命が増える」

とのこと。

新型コロナも第1波で完全に収束させておけば、
第2波、第3波はこなかったのではないか。
欧米に比べずとも、
アジアには台湾や、ベトナムのように、
入念にして強力な水際対策をとって
成功している国がある。

もともと緩い網の目を、
もっと緩めていいことは何もない。

変異株を魁にした第4波が怖い。











_var_mobile_Media_DCIM_104APPLE_IMG_4226.JPG

「ミッドナイトスワン」は、

俳優草なぎ剛の隠れた一面を引き出したかも知れない。

内田英治監督によるオリジナル 脚本を読んで、

感動が大きかった、と語っている。

きっと、その感動は草なぎ剛の人間性を表している。


誤解しないでほしい。

草なぎ剛にトランスジェンダーの気がある、

と言っているのではない。

差別感にとらわれず、

その人間をあるがままに理解しよう、

受け入れようといった素直でこだわりのない

草なぎの人間性に合致した脚本という意味である。


いずれにしても難しい役どころだ。

草なぎはその主人公凪沙を自己主張でも弁護でもなく、

観客に(これが私よ)と投げ出すように演じて

嫌味がない。

郷里から出てきた姪の中学生一果の叔父凪沙に対する

驚きと戸惑いと、

やがて、素直に受け入れていく経緯が微笑ましい。


アメリカ映画でトランすジェンダーを描いた

「チョコレートドーナツ」は、

主人公が育児放棄された障害児の男の子を

我が子のように愛して育てる物語だった。

あの母性の目覚めは感動的だった。


凪沙もまた一果を我が娘のように思えてきて、

性転換手術のために貯めていた貯金を

一果のバレェ修行のために取り崩していく。

まだ観ていない人もいると思うので、

もうスト-リーには触れない。


草なぎ剛という映画役者の演技に、

どうか喜怒哀楽を全開してほしい。


第63回のブルーリボン賞で主演男優賞に輝いたが、

これは至極当然の結果だろう。


話変わって、

香取慎吾が白石和彌監督と初タッグを組んだ作品の

「凪待ち」は後々まで印象が濃く残る。

19年夏公開だが、

作中に出てくる石巻の風景は18年のものだろう。

懐かしくではなくて、

えっ、こんなに変わっちゃったの、

という驚きがあった。

3・11東北大震災の翌4月から、

僕は仲間を連れて被災各地を読み聞かせで慰問して回った。

石巻へは2回訪れたたが、

2回とも読み聞かせ慰問ではなく、

1回は高台にあって

被災者を収容したことでも知られる

石巻専修大学で行われたイベントのためで、

もう1回は教職員と児童に多くの犠牲者を出した

石巻市立大川小学校へ、

モンゴルの子どもたちが同校の犠牲者や、

生き残った子どもたちに宛てた鎮魂や、

激励の画や、文章を届けるためだった。

大川小学校は近くの市立小学校に間借りしていた。


2回にわたって見た石巻市内は、

まだ瓦礫の山が連なり、半壊や、部分壊した

無人の住宅が随所に残り、

荒廃無惨なありさまだった。


映画では復興してるんだよなあ。

でも、それは見せかけだったことが、

物語が展開していくに従い解ってきたよ。


ギャンブル依存症の主人公は恋人と、

その娘の3人で、

恋人の故郷石巻で再生を図る。

しかし、身に染みついた

ギャンブルへの依存を断ち切ることができず、

恋人の父親や、その友人まで巻き込んでいく。

恋人が殺害されてのミステリー色もあるが、

圧巻は香取の表情による演技だろう。

抜け出そうとしても抜け出せず、

ギャンブル依存の底なしの沼にはまり、

人間性が破壊されていく足跡そのものの表情は、

恐ろしいほどのリアリティーで観客に迫る。

瞳孔だけが眼球に残り、

その他の機能をすべて失ったような目の

虚妄ぶりは生きている人間のものではない。


爆発している、と思った。

絵への才能の噴出もその一つだが、

香取にはいくつもの噴火口があるに違いない。

その半ば以上はまだ噴火していない。

これからだ。


稲垣吾郎の「半世界」については、

以前、このブログで書いた。

黙々と備長炭を焼く炭焼き職人の紘は、

そのまま黙々と一生を終えて不自然ではない。

だが、

その生活と固まりきったような思考は、

自衛官だった友人や、

同級生だった友人などとの関わりで

徐々に変貌を遂げていく。

狂おしいほど坦々とした演技の

内奥にこもる地熱のようなエネルギーが、

ときに稲垣の全身でフツフツとたぎる。

その内と外のコントラストに凄みを感じた。


以上の3本の映画は、

いずれも16年のSMAP解散で

仕事的には厳しい状況に置かれた3人が、

映画で試練を乗り越えアイドルを超越したところで

演技に開花したことを物語っている。


この実績は、

まもなくテレビのドラマ界でも、

ものを言ってくるだろう。

僕は機会あるごとに新しい地図の3人の

テレビでの巻き返しを説いてきたが、

すでに本格的な船出を待つばかりだ。


草なぎ剛、稲垣吾郎、香取慎吾の3人は、

アイドルを超越したアイドルとして

芸能界では稀な席を占めるだろう。




(敬称略)






コロナ禍は大洋を隔てた肉親との絆を裂く。
米国においては特に深刻で、宇枝田ハコさんの身辺にも、
そのことで悩んでいる人達がいる。

【コロナ感染拡大が始まってもう1年になりますが、私の周囲では「親族の体調が思わしくないので母国に帰国しました」とか 「これから帰国予定で良い時期を見極めています」という人が数人います。そのような理由の海外渡航は行って良いことになってはいますが、今の状況ではクリアしなければならないことが多すぎて、本当に大変そうで皆さん苦労なさっています。

 まず飛行機の本数が少ない上に目的地が地方(首都圏以外)だったら直行便はは更に限られてしまい、東京に到着したら一定期間の自己隔離が必要になります。その間 は公共交通機関を使えないため、タクシー移動だったら実家まで何十万円もかかる可能性があります。経由地(乗換)が水際対策強化の対象になっている場合(ハワイなど) 日本への入国が面倒なので避けて計画を立てることになり、さらに選択肢が狭まります。到着前72時間以内にコロナ検査し 証明書を発行してもらう必要あるため、検査場を探し、予約し、検査に行き、証明書を貰う。その全てがこちらの都合通りに行くのだろうか?

親族の入院先病院に問合せしたら 「アメリカからの方のお見舞いはちょっと。。。」みたいなことを言われてしまい、帰国しても会うのが難しいなら 帰っても無駄か、、と心が揺らぐ。やっと予定を決めても 日本の家族から 「帰って来ないほうがいいい!こっちも危ないから!」と必死で止められる。そのたびに心が揺らぐし、予定も一時中断になる。

アメリカに戻る時にはアメリカ側の入国規制が更に厳しくなっている可能性がある。両国の隔離期間を加えると かなり長い休みを取らないといけない。帰国の予定が決まらないと 他の予定も決まらない等など。

 

これはほんの一例ですが、とても多くのことを解決する必要があるので、時期を見極めるのが非常に難しいのです。会う度に、電話する度に そのことで悩んでいて、本当に気の毒です。先日、アジアの某国出身の友達と久しぶりに電話しました。「実は、夫の父の容態がすぐれなくて、しばらく国に帰ってたの。一昨日こちらに帰って来たよ。なんとか行って来れたけど、ほんとうーーーに 大変だったわ!」と、疲れた声をしていました。ああ、彼女はこれら全てをクリアして、行ってきたんだなあ。しかも 子供を2人連れて!

 

似たようなことで困ってる人って、世界中にたくさんいると思います。このような理由で看取りが出来なかったらどんなに悔しいだろうと思います。

 

身近な人々が苦労している姿を見て、コロナ禍の陰にこのような深刻な問題が潜んでいることがでわかりました。やはり、多くの人が考えているように オリンピックよりコロナの終息が早急の課題であることは間違いありません。】

コロナは国際政治とは別の意味で国際社会に非情な分断化をもたらしているようです。
1日も早いパンデミックの終息を願わずに入られません。

 

↑このページのトップへ