月別アーカイブ / 2020年09月


 親は無理解で


 大学進学に反対したので


 奨学金を借り


 バイトにも精出して


 4年制を留年もせず卒業した。


 偉いねえ


 奨学金も


 目いっぱい借りたはずだから


 返済は大変だろうね。


 返済のために


 土日は家庭教師もやっているんだ。



 就職するまでは


 自分には青春はなかったって?


 青春は年齢じゃない


 これから取り戻しなよ。



 そういう気持ちもあったけど


 去年 失恋して傷ついたって?


 告白しようと思って


 3度 道で待っていたけれど


 3度目に


 ストーカーはやめてください


 って向こうから言われたのか。


 失恋以前の問題じゃないか



 会社に許せない同僚がいる?


 どういうことなの?


 奨学金を借りておきながら


 まだ1度も返済していないし


 返済するつもりもないというのか。


 自分は苦しい思いをして


 返しているのに


 という気持ちがあるんだね。


 上司にそれを言ったら


 本人の問題だよ


 といなされた。



 きみは真面目すぎるんだよ。


 悪いことではないけれど


 自分がこんなに真面目してるのに


 という気持ちは捨てないと


 社会では生きていけないよ。


 みんながきみみたいなら


 いいんだろうけれど


 人は1人1人みんな個性が違う


 自分の物差しで計って


 ああだこうだは意味ないんだよ。


 人は人 自分は自分を貫く


 そうでなきゃ。


 恋人も


 友達も


 理解者もいないというけれど


 自分を貫いて


 自分の真面目を通してごらん。



 冥の照覧


 という言葉がある。


 きみは意識できなくても


 きみのことを黙って冷静に


 照覧している人が


 どこかにいるんだよ。


 きみの生真面目さは


 今の世の中では


 希少価値がある。


 冥の照覧をしている人が


 きっと拾ってくれる。



 だから


 自信を持って


 自分を貫いていこうよ。

 


  


BTSの「ダイナマイト」が

米ビルボード・チャート「ホット100」に

2週連続で第1位に輝いた


それを狙ったところもあるのかな

ややレトロな舞台も

ジョージ・チャキリスが

ひょっこり歩いて現れても違和感はないし

ヤンキー好みだ


もっとも狙わなくても

この楽曲で7人のダンス表現を見れば

第1位は順当だったと言える


さて

BTSの「ダイナマイト」で

日本の2つの楽曲を思い出したよ

1つは小林旭さんの「ダイナマイトが百五十屯」だ


百五十屯に時代を感じるだろ

旭主演の1959年公開映画「二連銃の鉄」の

主題歌として歌われた


オイラが19歳のときよ

旭さんも22歳になったかならずの頃かな


ダイナマイトを満載したダンプを運転し

国道を爆走しながら


♪ ダイナマイトがヨ

 ダイナマイトが百五十屯


って歌うんだが

ド迫力でヤバかったぜ


ロックンロールナンバーとして

日本で最初にヒットしたもんな


でも

今聞くとのどかなもんよ

モ~ッ、て牛の鳴き声が入ってもおかしくはない


2つ目は

SMAPの「ダイナマイト」だよ


サビの部分の


♪ でもいいんじゃない 全部壊れても

 You are the Dynamaite oh…yeah!


だったかな 

これが気に入ったよ


これ

1997年2月26日に

SMAP24作目のシングルとして発売されている

2・26事件発生の日でもあるし

雪の日に似合う過激な歌詞かと思ったら

甘く切ないんだよな


それはともかく

AMAPが20代なかばのときの楽曲だよ


当時の20代なかばは

とんがってる感じがあって

全体的に男っぽかったのよ


でも

SMAPは違った

羽毛布団のように柔らかい感じで

どこかに少年ぽさの名残を滲ませつつ

色気のオーラを放っていた


そこがアイドルとしてのゆえんかな



BTSの話に戻るけれど

「ダイナマイト」を歌っていたときの

SMAPを思い出したよ

オイラには1部重なって見える


ところで

(ダイナマイト」の英語版の歌詞の

和訳は難しいぜ

直訳じゃ駄目かな


名訳ができるのを待つ


MVとティザーをみた限りだが

ダンスの息がピッタリあってるし

みんな表情が豊かだ

クネクネって柔らかくクネるし

カクッカクッて方向転換がセクシーだ


離れてクローズアップのときも

他の6人の心とつながってんな


ジョングクの牛乳飲んで手で拭うところ

幼く色っぽいな


ジンくんは多くは後方にいる

でも

前へ出てくるときの

あのフンワリとした存在感の重さは何だろ


そういうとき

BTSを引っ張ってんな

と思い知らされるんだよ


ティザーのジンくん

ピンク系の衣装で

カックンカックンやってたな

深部にしなやかなバネを持ってんだな

何だかしまらねえことを書いた

許せよ







 

小学1年の運動会でな
50メートル競争だったのよ

10人ぐらいずつ
駆けさせられたんだよな
僕らの番がきて
スタートから遅れて走った
競馬で言えば僕以外は
馬群で走っている

でも
僕は走れば走るほど遅れるの
終戦の翌年の年で
みんな貧しかったけれど
解放感があったから
どこの家もゴザを敷いて
家族総出で見物にきている

拍手や
頑張れと励ましてくれる
人もいたけれど
嘲笑や
罵声もあったぜ

僕以外はゴールインしたのに
僕はまだ
20メートル先のゴールへ
惨めながら
一見 天馬空を翔るように
悠々と駆けていた

「3月25日生まれだからな。
 そのうち みんなに追いつくさ」
父は慰めてくれたけれど
卒業するまで
天馬空を翔ける如しの
状態に改善はなかった

中学に入学前
僕は一念発起して
早朝の人気のない道で
繰り返しダッシュを試み
100メートルほどの距離を全速で駆けた

根性はそれなりにあったのよ
2週間も続けて手応えを感じた
ところが
中1の秋季運動会の
100メートル競争で
ああやんぬるかな
はるかビリで天馬空を翔ける
ではないか

足の速さは天性だな
とそれ以降は悟ったよ

大学を2年留年して就職した僕は
すぐに職を転々とするようになった。
いずれも営業畑

僕の営業成績は
どこへ行っても常にはるかビリ

頭を下げることができないんだ
威張っていたわけじゃね〜の
末っ子で甘やかされて育ったんで
極度の人見知りになった

近所のおばさんに
こんにちは
と声をかけられただけで
恥ずかしくてうつむいたものよ

大人になってからも
それは変わらなかった
セールスをしてここぞというときに
頭を下げられないのよ
羞恥心に襲われてな

それでも営業畑を続けたのは
克服しようと思ったんだろうね
でも
叶わなかった

それから
調査関係の仕事に変えてね
これは好奇心をそそられて
続いたのよ
頭を下げる必要もなかったしさ

出張の夜汽車で
たまたま広げた
小説雑誌のページが
新人賞受賞作品の冒頭だった

一読してね
直感が働いた
こんなんなら僕にも書けるぜって

新人賞をもらうまで7年かかった
それから直木賞受賞までは4年

気がついたら流行作家になっていた

向いた道なら
努力は苦しくても
はっきり言うと陶酔的だな
だから 続くし
必ず報われる

向いてねえ道へ行くと
どんなに努力したって茨の道だぜ

向いた道を見つけろ

ただしだ
向いてねえ道でも
逆張りで報われることもあるよ

僕は幼時に耳を悪くして音痴になった
音程もメロディも聴きとれなかった
歌えば蚊の鳴き声だ

カラオケ時代がきて
これじゃいけないと発奮したんだよ
清水の舞台から飛び降りるつもりで
精一杯の大声で好きに歌った

それが受けたんだな
面白いと認められた

劣等感を放り出し
これが俺よ
と開き直った結果だ
向いてねえ道でも自分をさらけ出すことで
凄えパワーが出るんだよ

逆張りをうまく張れれば
死中に活はあるぜ






↑このページのトップへ