月別アーカイブ / 2020年05月


「イサム、しばらく」
僕は声の主を見た。
記憶から消したいのに、
消せない顔が笑っていた。
中学を卒業して、
僕は自分の強い希望で、
アメリカのイリノイ州にある
ハイスクールに留学した。
素朴な英語を身につけたい、
という思いからだった。

まさか日本人はいないだろう、
と思ったのに1人いた。
そのたった1人の日本人が今、
目の前で笑顔を見せている
真有だった。

「今、日本に住んでいるの?」
「ウウン、たまたまよ」
真有は首を振った。

真有は州都スプリングフィールド
に駐在している
農業研究員家庭の1人娘だった。

結婚は?
と、訊こうとして咄嗟に、
僕はその言葉を呑み込んだ。

向こうの大学に
入学するつもりだったが、
その予定は一気に崩れさった。
僕は心に深い傷を抱いて帰国し、
私立高の編入試験を受けて
3学年に編入し、
1年遅れて日本の大学に入り、
昨春に卒業した。

僕が少し言葉に詰まっていると、
彼女は、
「あなたの今の苦境を助けたいの」
と、笑顔を消して言った。
「苦境って?」
「あなたは自殺を企図しているわ。
 それも、かなり強い意思と願望で」
僕が(きらめく黒真珠)と名付けた
瞳をキラリと輝かせて、
真有は唇をほんの少し開いて微笑んだ。

その瞳も微笑も留学時代の
僕を魅惑させたものだった。

「州立イリノイ大の大学院で
 SNSにおける誹謗中傷の対処について
 研究しているの。私が言ったとおりにすれば、
 貴方は自殺を思い留まるわ」
真有はさり気なく、
そのように内心の自信を滲ませて言った。

近くの小公園のベンチに
僕と真有は並んでかけた。
彼女に見破られたように、
僕は自殺するつもりでいた。
2週間ほど前、
パワハラで23歳の女性が自ら命を絶った。
僕はツイッターで呟いた。

〈そういう上司なら僕の職場にもいる。
 でも、そいつのパワハラで自殺した者はいな         い。
 もっと強く生きてほしかった。〉

はじめ3つ4つのリプだった。
きつくて汚い言い回しで
僕を責めるものだったが、
これで終われば、
僕も殆ど傷つかないですんだろう。

でも、
誹謗中傷の呟きは、
日ごとに増えて炎上状態になった。
ごく大ざっぱなプロフィールと、
過去のツイートから、
僕と特定できる奴がいたらしい。
僕と僕の勤務先は、
ネット上にさらされた。

それからは、
電話も含めて、
職場を誹謗中傷抗議の嵐に巻き込んだ。
僕は退職に追い込まれた。

この数日は、
誹謗中傷のリプや、
書き込みを1つ1つ読むことが
日課になっている。
傷を際限なく深くするだけなのに、
なぜ読み続けるのだろう。
自殺したいという
気持ちを補強するだけなのに。

そっか、
僕はこの世の中には
要らない人間なんだ。
生きていてはいけないんだ。

「まずその気持ちを捨てることよ」
真有は僕の気持ちを読めるのだろうか。
「誹謗中傷から心を守るのは、
 そんなに難しいことじゃないのよ。
 リプの1つを繰り返し見て読むだけでいいの。
 次の日は2つ、その次の日は3つの
 リプをを繰り返し見て読むだけ。
 5つまでいったらどんな誹謗中傷にも
 平気になるわ」
「そんな簡単にいくかな」
「誹謗中傷に興味がなくなるの。
 もう1つのことを加えれば更にね」
「何?」
僕は初めて真有の横顔を見た。
「制限字数一杯に(死ね死ね死ね)を
 連ねたものがあったでしょ?」
「そんなの、やたらあったよ」
僕は少し投げやりに答えた。
「死ねをしろに変えて、好きなことを
 しろしろしろしろ、って繰り返し見て
 呟くのよ、声に出して」
そんなことで、
誹謗中傷に免疫ができるのか、
と僕は半信半疑だった。
でも、
真有の言うことだからやってみよう、
と心に決めた。
この世での僕の
最後のイベントにもなる。

真有が立ち上がった。
「あの…」
と僕はあわてて言いかけたが、
結婚したの、
と続けようとした言葉を抑えこんだ。
真有がとても苦しそうな
表情を見せたからだった。
あのときの表情とまったく同じじゃないか。

ハイスクール最終学年の新学期の日、
僕は1年以上も温めていた
真有への気持ちを、
真有に伝えた。

元クラスメートとの噂が
流れてきたことはあった。
そのときは動揺したけれど、
それ以上に、
僕と真有は心が通いあっている
という幻想を信じていた。

だから、
満を持して告白した。
真有は言葉を出せずに、
とても苦しそうな表情を見せた。

それも僕への優しい気遣いだったのか。
その優しささえも、
そのときの
僕には非情の仕打ちに思えた。

「騙されたと思って、
 今、言ったことをやってね」
僕に背中を見せて、
そのまま出口へ向かいかけた真有に、
うんと僕は答えてうつむいた。

顔を上げたときには、
真有の姿はなかった。

僕は言われたとおりにやった。
最初に目に入ったリプである
〈テメーの頭、腐ってるぞ〉
を(お前の頭、冴えてるぞ〉
に置き換えて、
4,5時間、繰り返し呟いた。

2日目は、
〈車に轢かれろ!〉と、
〈死に神かよ、アンタ〉の2つだった。
前の言葉は、
(みんなに好かれろ!)
後の言葉は、
(女神様かよ、あなた)に言い換えて、
朝から晩まで呟き続けた。

3日目、
その作業をやる気がなくなった。
誹謗中傷のリプをいくら見ても、
エゴサして
僕に対する誹謗中傷の
書き込みを見つけても、
僕の心の傷は疼かなかった。

どうしてこんな
ただのゴミに過ぎない言葉に、
今までの僕は過剰に反応して
グサグサ傷つき、
自殺まで覚悟していたのだろうか。

真有が言ったことは本当だった。
正味2日で、
僕は誹謗中傷の言葉に免疫を得た。
凄い、凄いぞイサム。
凄い凄い凄いぞ真有。

この翌日、
僕は真有に報告し、
感謝の気持ちを伝えようと思った。
すべてを一からやり直そう、
という新しい覚悟も生まれていた。

真有の連絡先を聞いていなかった
ことを悔やんだ。
イリノイ大の大学院に問い合わせたが、
そのような研究室も、
研究サークルも存在しない、
とうことだった。
名前がマユウという院生もいない、
と。

僕は途方に暮れた。
気を取り直し、
ハイスクール時代に
仲よくしていたダニエル
と連絡をとることにした。

その実家に問い合わせたら、
ダニエルのケータイの
番号を教えてくれた。

ダニエルは
シアトルで中学校の教師をやっていた。

「ヘーイ、イサムかよ。懐かしいな」
「真有の消息を知りたいんだ」
「マユウだって? おい、知らないのか」
「えっ・・・」
僕は真有に関する重大なことを
知らないでいるらしい、
と緊張した。
「彼女はミネソタの州立大に進んだ。
 卒業の年に、バイトをやっていた地元局の
 番組スタッフにスカウトされて、
 あれよあれよという間に、
   人気レポーターになったんだよ。
 でも、間もなく、
    ちょっとした発言が差別として取られて、
 マユウのSNSは炎上した」
「それで?」
僕の声はかすれていた。
「自殺したんだよ。
 そこまで追いつめられていたとはなあ」
僕はもう言葉が出なかった。
「きみはなぜ彼女に告白しただけで、
 すぐに帰国したんだ?」
ダニエルの口調には咎める響きがあった。
「あの前日に、マユウは、ほら、あいつに
 告白されOKしたんだ。本命のきみが
 いつまで経ってもはっきりしなかったからな」
僕は言葉を発せないまま、
電話を切りかけていた。
「きみのやっとの告白に、
  彼女はあいつに断ってから
  きみに返事をしようと思っていたんだよ。
  逃げたきみのことをずっと想っていたぜ」
僕は震える指で電話を切った。


あのときの
とても苦しそうな表情は、
喜びを噛みしめてのことだったのか。

同じ表情を見せ、
その意味を僕に悟らせるようにして、
真有はまだ当分は
僕には手が届かない
世界へ還っていった。



 

















 






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文面を以下に再録した

拝啓
春暖の候と相成りました
北満も日中は雪解けする様に
暖かくなりました
銃後皆様方の御苦労
感謝致して居ります
初めて書面にて會ふ自分は
当家御子息の内務班長であります
下田も純真な気持素直に伸び
飽迄も元気でやって居ります故
御安心下さり本人に対しては
心配無用です
郷土皆様方の便りが
唯一の慰安であります故
御願いする次第であります
                            早々               

兄下田勇は
昭和20年3月下旬に召集され
4月には北満のソ満国境近くの
部隊に配属された

差出人住所にある
第485軍事郵便所は
第485師団の郵便受付所
のことで
師団内郵便局のようなもの

村上部隊の部隊は
正式には大隊
連隊を構成する単位

中村隊の隊は
大隊を構成する単位である
中隊のこと

一瀬さんは中村中隊内の
内務班班長だった

内務班は
新兵教育に当たる部署

兵隊歴の長い古兵が多く
暴力による制裁も
日常茶飯事だったので
泣く子も黙る内務班
と 怖れられた

このハガキは
新兵教育が一段落ついた頃に
中村中隊所属の
全新兵の親許に送られた
1枚ということになる

この後
新兵と親許との郵便の
やりとりが盛んになる

太平洋戦争は終末期で
本土への空襲も激しさを増したが
日ソ不可侵条約下の満洲の地は
食物も豊かで
平和の雰囲気を残していた

この時期から3ヶ月足らずで
ソ連軍が雪崩を打って
侵攻してきて
満洲の地は一転して
地獄絵図になる

しかし
それまでの間
兄は東京都下の実家との
郵便のやりとりに勤しんだ

といっても
10通前後のやりとりで
終わっている

その1通が
当時 5歳だった僕との
やりとりのもので
その内容はこのブログで
紹介したことがある

僕は出征前の兄が
結露した窓ガラスに
指で書いて教えてくれた
カタカナで
兄にハガキを書いた

その返書だった
母から渡されたとき

元気にしているか

という兄の声が
耳を通さずに響き渡った


強く記憶に刻まれている
光景がある

父や
近所のおじさんたちと
僕は最寄りの駅で兄を見送った
バンザイの連呼を背に受けて
兄は電車に乗り込んだ

閉まったドアのガラスを
手で叩くようにして
兄は見送りの人たちに
別れを告げた

その直後
僕と目が合い
僕はその目に
自分の目を凝らした

兄はガラスを短くなでて
僕に別れを告げた
手を振り返そうとしたが
僕の手はこわばり動かなかった

その瞬間の兄の目は
大人たちには見せられない
何かを訴える目だった

村上大隊は数人を残して
全滅したという

一瀬さんも戦死したのだろうか

新兵たちの親許に
1通1通ハガキを認める
30代半ば(僕の推測)の
実直な男の姿が浮かぶ











    


延期された2020年東京五輪が
来夏開催できない場合
中止せざるを得ないのは理解できる

BBCとのインタビューで
IOCのバッハ会長は
そう述べている

東京五輪が延期になる寸前の
状況はどうだっか

ヨーロッパでは
パンデミックが始まり
すぐに
アメリカに飛び火した

日本でも蔓延の兆が顕著だった

本当は世界的に
もう五輪どころではない
状況に追い込まれていた

しかし
バッハ氏も
安部首相も 小池都知事も
開催に向けて全力を尽くす
と 前向きだった

実を言うと この頃には
世界の著名な元アスリートたちからも
延期論 中止論が挙がっていた

トランプ大統領は
東京五輪は1年延期すればいい
と 日本に助け舟を出していた

もの書き的に勝手に推測させていただけば

バッハはその気で
日本が鈴を付けにくるのを待っているぞ

ということだったのではないか


いよいよリミットがきて
安部首相は開催国のリーダーとして
IOCに延期を提案した

つまり
バッハ氏の首に鈴をつけたのである

延期が決まるや
安部首相も 小池都知事も
脱兎の勢いで
コロナ禍対策にまい進した

これは悪いことではない

ただ
もっと早い時期に延期が決まるよう
手を打ってほしかった

東京五輪を目指す世界のアスリートたちは
身近に迫るコロナ禍に
これで一体開催できるのか
と 不安に思いながらも
IOC 開催国日本 開催都市東京の
トップたちが
開催に全力を挙げる
という力強い言葉に期待して
必死のトレーニングを続けてきた

延期の報に
愕然と肩を落としたことは
想像に難くない

来夏の開催を見据えて
今の状況はどうか

世界的には来夏までの終息は
大変難しい と言われている

とりあえずの
収束状態になった日本でも
第2波 第3波が懸念されている

欧米のパンデミックは
ピークを越したとはいえ
感染者数 死者数の日々の増加には
なお油断できないものがある

これから
アフリカ 南米が懸念される
と WHOは
繰り返し警告している

たとえ
日本だけが完全に
感染を終息し終えたとしても
それだけで
世界の祭典であるオリンピックを
開催することは不可能だろう

感染拡大防止に懸命になっている
国々は選手を派遣するどころではない

経済的にも甚大な被害を被った
国々はコロナの封じ込みに
ほぼ成功しても
経済の立て直しが先決だろう

来夏の東京五輪開催は
どう見ても大きな困難がつきまとう

バッハ会長は

「全世界が再び初めて集い
コロナウイルスへの勝利を祝う
連帯のメッセージ」
を発するものとなるよう期待する

と 含みのある言い方をしている

安部首相も延期直後の弁では
完全な形での開催
を 語気を強めて強調していた

もしも
先に中止を口にするのは誰か
で バッハ会長と
沈黙の綱引き演じているのだったら
そんな綱引きは姑息で無用

開催国 開催都市都市として
バッハ氏の首に
堂々と鈴をつけてほしい

勇気がいることだが
後にその勇気を全世界から賞賛される

完全な形での開催を口にして
土壇場にきての中止決定では
全世界に測り知れない迷惑が及ぶ

五輪を目指す
全世界のアスリートたちを
不安定な状態に置いて
土壇場で落胆させる愚を
繰り返さないでほしい

五輪開催は
全世界がコロナウイルスとの戦いを
完全に勝利に導いて
また
国力の疲弊と
経済の立て直しに成功を収めて
心から笑えるときまで
待とうではないか

たとえ
そのときが5年さきでも


















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