月別アーカイブ / 2019年08月


ものにならないアイデアは

抱えてちゃ駄目なんだよ

 未練があったら

 新しい斬新なアイデアは浮かばない

 どんどん水に流すことだ

 つまり

 なかったことにする

 するとね

 頭の中の流れの上流から

 ドンブラコと

 いいアイデアが流れてくる

 アイデアはそういうものなんだよ


いずれは画期的なものを生み出す

核になるものがアイデアだから

駄目なものに未練を持って

脳のアイデア回路を塞いだら

優れたアイデアが入ってこれないんだよ


アート系の世界は

すべからくアイデア勝負なんだよ

勝手に僕の弟子を自認して

僕に作品を見てくれと言って

400字詰め原稿用紙で80枚ぐらいなものを

持ち込んできた人がいる

一読して箸にも棒にもかからない作品と解り

どこの懸賞小説に応募しても

1次予選にも残れないよ

と 言ったの

アイデアがないんだもの

テーマの斬新性がない

という言い方をしたほうが解りやすいかな

それがないと文体も幼稚で

筆力もお粗末

核がそこらの石ころだから

当然そうなる

まったくテーマ 発想を変えて

新しい作品を書くようアドバイスしたのに

その作品をいつも書き直したものを持ってきた。

はっきり引導を渡したよ

100年やったってものにならないから

別の道を探したら と


駄目なアイデアは

未練なくスパッと捨てられなきゃ

優れたアイデアは浮かばないの

そう

流れてこないんだ




解るんだよ
指折り数えているよな
後7日 6日 5日ってさ
段々
憂鬱になってさ
憂がなくなってさ
鬱だけに心が支配されていく
夏休み明けが1日近づくと
鬱が1個
確実に増えていくだろ
串に団子を1個ずつ刺していくみたいにさ
食欲もなくなり
部屋に閉じこもり
ロープの輪が脳裏に浮かぶかな

親は解ってくれねえだろ
宿題ためて焦ってんなとか
遊び疲れだろとか
あっちを向いたことを考えてな
そろそろ学校だろ
グダグダしてんじゃねえって

クソヤロー
ウゼエんだよ〜
テメー
テメーのガキの気持ちの
かけらも解んねえのか

虚しいよな
本当にロープの輪に
首入れって吊ってやるか

でも
できねえだろ
親が悲しみ親に迷惑かけるだけだから
あいつもこいつも
なんだ
あいつ死にやがって
と思うだけか

バカバカしくて死ねねえよな

その理性が残ってるんなら
大丈夫だぜ

俺の話を聞けよ
今より
学校生活は悠長だったぜ
クラスの悪ガキどものいじめにゃ
限度があってな
今みてえに陰湿じゃねえのよ
学年には番長グループもいたけれど
他校との喧嘩に忙しくってな
自校の弱いものいじめなんか
する余裕がなかったぜ

その間隙を縫って
底意地の悪いやつにいじめられた
いつも青タン赤タンだらけでな
悪ガキにいじめられていたんだな
その腹いせを俺にやりやがった
トイレで待ち構えて
アサガオという通商の
男子のションベン用便器に
俺の顔を押しつけたりな
学校帰りに後ろから
石蹴りをやりやがんの
石が背中へ飛んでくんだぜ
痛いのなんのって

いじめは夏休みの
2週間ほど前に始まったんだよ
夏休みが待ち遠しくってな
非常に切実に待ち遠しくってな

夏休みは楽園だったぜ
明けが近づくまではな
だんだん近づいてきて
追いつめられてさ
あいつんちに火ぃつけてやるかって
そんな騒ぎになりゃ
いじめどころじゃねえだろ
暗くなるのを待って
マッチに古新聞持って行ったんだよ
あいつんちは今で言えば
造園業さ
当時は鳶職って言ったな

暗い庭で
あいつが父親に殴られ蹴飛ばされていた
あいつ必死に耐えて
叫ばねえのよ
泣かねえのよ

俺の中で何かが終わったぜ

勇気が出たんだ
学期始めに
あいつと目が会うなり言ったんだ

お父さんに殴られたんか
青タン赤タンだらけだぜ

もしも夏休み明けに
どうしても行きたくなかったら
不登校やんな
親も担任も泡を食うだろ
ほんとのことを言ってやれよ
きみが開き直れば
大きく事態は動くぜ

今は方法がいっぱいあるだろう
ここには書けねえけどな

勇気を出しゃ
かたがつくぜ

出せ

いいか



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14歳という年齢は

水泳競技に限らず

世界記録のレベルに届くかどうかはともかく

記録がぐいぐい伸びる年頃かもしれない。


ただ やはり 完成への節目の1つに過ぎない。


この年に誰もが仰天する大記録で

五輪競泳の掉尾を飾る

1500メートル自由形で優勝したら

その後の人生に

どのような影響を及ぼすだろうか。


14歳は昔も今も

メンタルなものに自分では制御できないほどに

大きく支配される。


少年の名は北村久寿雄。

それまでのオリンピック記録を

一気に40秒近くも縮める19分12秒4で優勝した。

無論

五輪競泳世界最年少金メダリストでもあった。



ちなみに

同五輪の日本競泳チームは

全6種目制覇が合言葉であったように

史上最強チームだった。

400メートル自由形の優勝だけは逃したが

残り5種目は完勝だった。


日本は軍部ファシズムに向かい始めていた。

日本競泳陣の大活躍は

まさに国威発揚の模範となった。


そういう十字架を背負わされながら

どこへ行っても賞賛の的になる一方で

妬み嫉みの矢も飛んでくる。

世間とはそういうもの。

                                                                                                                

14歳の北村少年のメンタルはどう対応したか。


北村少年は1浪したものの

難関の第3高等学校に進学した。

そして

競泳の世界から足を洗った。

これは実に賢明な選択だった。

本来の学業で将来を築く。


競泳を続ければ

更に記録を伸ばしたかもしれない。

14歳での活躍が頂点だったかもしれない。


それよりの学業で実を立てよう

と 難関の旧制高校に合格したのである。


どこからも異議が出ない選択だった。


北村少年のメンタルは大変強かった

ということに他ならない。


さらに

東京帝国大学に学び

卒業して労働省に入省した。


その後の履歴も輝かしいが

このブログのテーマとは関係ないので割愛する。


かっての北村少年は

14歳というメンタルの壁を

難なく乗り越えた。


このことには

素晴らしい価値がある。


岩崎恭子さんは

1992年のバルセロナ五輪で

女子200メートル自由形で優勝した。

言うまでもなく

今でも競泳史上最年少金メダリストである。


まだ14歳の誕生日を迎えて6日目のことだった。


北村少年は1500メートル自由形での優勝を

大きく期待されていたが

岩崎さんは入賞さえすれば

期待に応えることになった。

予選は2位。


ところが本番の決勝では

まさかの世界記録での優勝。

岩崎さんにとって世界が一変し

帰国してからの称賛の嵐は

傷つきやすい少女にとって戸惑うだけだったろう。

全種目制覇がかかった史上最強のチームの一員

というのならまだしも

岩崎さんは日本チームの英雄になってしまったのである。


金メダルなんか貰わなければよかった。


そんな気持ちになっていた頃

心ない妬み嫉みの狙い撃ちにあった。


今までで最高の幸せです!


受賞の喜びの言葉を逆手に取り

14歳で何が解るの

と いったとげとげした言葉があちこちから飛んでくる。


岩崎さんのメンタルは

荒波に翻弄されるように揺さぶられ続けた。


岩崎さんは傷ついた心を

丸くなって抱きかかえるようにして閉ざす

長い日々を経験しなければならなかった。

その間に五輪は2大会を経験したが

共にメダルとは無縁だった。


しかし やはり

岩崎さんは不屈のメンタルを養っていた。

20歳で競泳から引退して学業に勤しみ

2002年 アメリカのミッションビエホに海外指導

者研究者として留学した。


今では一児の母でもある。

大きな壁を乗り越えてきた

岩崎さんの今後に大いに期待したい。






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