月別アーカイブ / 2019年08月


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この写真は被爆地 長崎で
米軍の従軍カメラマンのジュー・オダネル氏が撮ったもので
被爆の悲惨さがひしひしと胸に迫るリアリティーに富んでいる。
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その意味で優れた写真で後世に伝えたいものになっている。

ただ撮影場所が明記されておらず
終戦直後 まだ長崎市内の各所で被爆死体が焼かれていたときで
少年は息だえた背中の弟が焼かれる順番を待っている。
僕の感じではそのときに撮影を頼まれ
直立不動の姿勢をとったように思える。

少年は国民学校(今の小学校)の高学年に見える。
僕は終戦時5歳で当時6,7歳年長の人は
随分大きく見えたものである。

占領軍のカメラマンから頼まれれば
当時の少年は直立不動の姿勢をとったに違いない。

この写真を初めて見たとき
子守をしている最中に眠った幼い弟かな
という風に思った。

この時期の家庭は子だくさんのところが多く
上の子が幼い下の子をおんぶして子守するのは普通のこと。

背中で眠るとのけぞった感じになることが多く
こういう光景はどこでも見られた。

終戦直後の庶民の子どもは
どこか悲惨の雰囲気を滲ませていた。
背中の弟は死んでおり
焼き場でその順番を待っている少年と知って初めて
その悲惨さが迫る。

オダネル氏は廃墟の中を歩いて被写体を探していたわけで
たまたま焼き場の1つでこの少年を見出したのであろう。

この焼き場の住所を知ろうとするところまで
気を回す余裕はなかったはずで
場所は長崎で充分だったと思う。

それだけで納得がいくが
あえて疑問を呈すならば
なぜ少年の名前と年齢ぐらいメモをしておかなかったのか。

弟らしい幼子をおぶった少年を見かけて呼び止め
ここに立って胸を張って
と やらせで撮ったのではなかったか。


ところでもっと不思議なのは
戦後74年経った今にいたっても
この少年の身許が解らないことである。

横顔だが親親戚ならずとも知る人が見ればすぐに解る。
本人が名乗りでなくても必ず知られるはずである。
長崎以外の地で被災し放浪し
弟が息だえたので通りがかりの焼き場で
焼いてもらおうとしたものか。

それでも住んでいた地域で知る人が見れば解る。
痛ましい推理になるが
親親戚も知る人も全滅状態で
この少年自体も弟を焼いて貰ったあと
被曝と飢えで衰弱死し
行き倒れの人として最寄りの焼き場で焼かれたのかもしれない。

これが1つ目の推理

すべてが混乱の真っ最中だった。

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オダネル氏も2007年8月に米国で生涯を閉じている。

テーマと関係なく寄り道になるが
新しいミステリーも始まった。
このほど
この写真が左右反転のもの
俗に裏焼きと言われるものである可能性が強まったのである。
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その根拠は2点。

男ものは左前なのに写真は右前になっている。

この少年の世代なら上衣の左胸につけている名札が見当たらない。

僕は末っ子なので兄や、姉たちが左胸に
氏名のほか学校名学年クラスなどを白い布に明示した
ものを縫いつけていたことをよく覚えている。
義務づけられていたのである。

公開された写真は少年が東を向いているように見える。
絶望的な悲しみの中でも厳粛な気配を滲ませているのは
日が昇る方角だからであろう。

この写真が裏焼きだとして
元の写真に戻せば西向きになる。
どこか少年なのに諦観がただよう。
人は日が落ちる方角では
無意識のうちに悄然とした雰囲気を放つのかもしれない。


ところで

この場所は本当に焼き場の前なのか。

裏焼きが意図的にされたものなら
やらせ写真かもしれないという僕の疑問とも絡むことになり
ますますミステリーの世界である。

ところで2つ目の推理。
肉親身寄りのすべてを失ったとしても
少年だけは戦後を長崎以外の地で健在に生きて
たまたま自分が映った写真を見たとして
なぜ名乗り出ないままなのか。
あまりにも辛い過去なので
ひっそりと生きているためか。
そうであれば
妻子でもいればなおさらのこと
わざわざ名乗り出ることはないだろう。

健在なら85歳前後になるはずで
妻には他言無用として経緯を話しているかもしれない。
死後 遺族が真相を明かして
身許が明らかになる可能性がある。

3つ目の推理。
本人が自分を撮ったこの写真の存在を知らず
戦後再開された南米移民として南米に渡った。
移民先で現地の人と結婚し子をもうけ
今も健在で開拓したコーヒー農園で悠々と余生を送っている。
南米はカトリック国が多く
法王庁が配布したカードに載っている写真を見て
名乗り出る気持ちになるかもしれない。

そのように数奇な想像力をかきたてる
ミステリアスな写真でもあるが
戦争は嫌だ という少年の痛切な叫びを聞いた気がして
僕の耳朶は震えた。

そのうち 小説化してみたい。





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小泉進次郎さんと

滝川クリステルさんの婚約発表は

電撃的だったなあ。

首相官邸前というのが何か匂うけれど

まっ目出度いからいいや。


引き続いて

清水もこみちさんと平山あやさんの

カップルも婚約を発表した。


これで消費税が上がる前の

駆け込み婚が続出するぞ。

永すぎた春のカップルも

出会ってピタッのカップルも

続け続けと駆け込み婚に走る。


別に消費税10%は関係なくても

流れが生まれるのはそういうものだ。


今年の秋は久々に

挙式のオンパレード。になりそうだ。


 友から裏切られた人の傷は

 一生癒えないよ

 裏切ったやつはどうだろう

 自分を責めるだろうか

 責めないやつなら

 ここで取り上げる理由はない

 友達のふりをしていただけだ

 下心を秘めてね

 裏切られた友も

 そいつが本当の友でないことには

 多少は気づいていただろうね

 ということは

 自分たちは

 本物の友同士ではない

 と意識していたと思うよ

 裏切ったやつに比べれば

 善良だったから

 裏切られるほうに

 回っただけさ


 ここで言いたいのは

 固い絆で結ばれた

 真の友同士の場合だ

 その友を裏切る場合は

 どういうときだろう

 一方が立てば他方が立たなくなる場合だ

 例えば

 名門大学の学長選挙に

 有力候補が2人立つ

 共に40代という若手で

 その大学が誇る頭脳だ

 全学部の准教授以上の投票で決まるが

 2人の有力候補は甲乙つけ難く

 票は真っ二つに割れる情勢だ

 候補の2人は無二の親友同士だ

 どっちも学長になりたい

 このまま投票に入れば

 白熱した票集めが行われ

 無二の友情にひびが入る

 そうまでして多数派工作に血道をあげ

 親友を裏切りたくない

 その場合

 学長になりたいという

 野心をたぎらす

 自分を裏切るしかない

 それで立候補を取り下げた

 友情にひびが入らずにすんだ

 この潔さは遠からず必ず報われる

 自分を裏切ってまで

 友を裏切らないという行為は

 最高位の友情だからだ

 

 

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