月別アーカイブ / 2019年06月


 なぜ棒に振ったと思うんだい?


 有意義な1日であった3か条


 というのを決めているんだ。


 きみ版五か条のご誓文か


 内容を訊こう。



 その1が…


 1日に1回は誰かに認められる


 その2が…


 今日1日の自分が納得できる


 その3が…


 明日に希望を持つ



 その3か条がみなこけたんだね。


 もう何日もその状態が続いてるって~



 そんな3か条はすぐさま廃棄することだよ。


 そんなものに固執して


 人生を狭めるな!



 人に認められようが


 認められまいがいいじゃないか。


 

 毎日が自分で納得できるものだったら


 もはや恍惚の世界だよ。


 納得できないから


 向上しようとするんだよ。



 明日に希望が持てない


 そういう日も必要なんだよ。


 凹んで沈んで


 そうして精神の平衡を保つ


 そういう時間も必要なんだ。


 

 もしも


 3か条がほしいんなら 


 その1は…


 ご苦労様と自分を労わろうか。


 きっと誰かがきみのことを


 認めているかもしれないんだから


 自分を労わんなきゃね



 その2は…


 納得できなくても


 探せば見つかる


 小さなことでね


 昨日よりも前に行ったことを褒める。



 それが大化けの芽になるんだよ。



 その3は…


 やはり


 小さなことでいい


 必ずできることかな。


 それを必ず


 明日やると誓うことだ。



 その3か条なら守れる。


 そして


 1年ではっきりした効果が実感できるよ。




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被爆地 長崎で米軍の従軍カメラマンのジュー・オダネル氏が撮ったもので
被爆の悲惨さがひしひしと胸に迫るリアリティーに富んでいる。
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その意味で優れた写真で後世に伝えたいものになっている。

ただ撮影場所が明記されておらず
被爆直後 長崎市内の各所で被爆死体が焼かれていたときで
少年は息だえた背中の弟が焼かれる順番を待っている。
僕の感じではそのときに撮影を頼まれ
直立不動の姿勢をとったように思える。

少年は国民学校(今の小学校)の高学年に見える。
僕は終戦時5歳で当時6,7歳年長の人は
随分大きく見えたものである。

占領軍のカメラマンから頼まれれば
当時の少年は直立不動の姿勢をとったに違いない。

この写真を初めて見たとき
子守をしている最中に眠った幼い弟かな
という風に思った。

この時期の家庭は子だくさんのところが多く
上の子が幼い下の子をおんぶして子守するのは普通のこと。

背中で眠るとのけぞった感じになることが多く
こういう光景はどこでも見られた。

終戦直後の庶民の子どもは
どこか悲惨の雰囲気を滲ませていた。
背中の弟は死んでおり
焼き場でその順番を待っている少年と知って初めて
その悲惨さが迫る。

オダネル氏は廃墟の中を歩いて被写体を探していたわけで
たまたま焼き場の1つでこの少年を見出したのであろう。

この焼き場の住所を知ろうとするところまで
気を回す余裕はなかったはずで
場所は長崎で充分だったと思う。


ところで不思議なのは
戦後74年経った今にいたっても
この少年の身許が解らないことである。

横顔だが親親戚ならずとも知る人が見ればすぐに解る。
本人が名乗りでなくても必ず知られるはずである。
長崎以外の地で被災し放浪し
弟が息だえたので通りがかりの焼き場で
焼いてもらおうとしたものか。

それでも住んでいた地域で知る人が見れば解る。
痛ましい推理になるが
親親戚も知る人も全滅状態で
この少年自体も弟を焼いて貰ったあと
被曝と飢えで衰弱死し
行き倒れの人として最寄りの焼き場で焼かれたのかもしれない。

すべてが混乱の真っ最中だった。

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オダネル氏も2007年8月に米国で生涯を閉じている。

新しいミステリーが始まった。
このほど
この写真が左右反転のもの

俗に裏焼きと言われるものである可能性が強まったのである。
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その根拠は2点。

男ものは左前なのに写真は右前になっている。

この少年の世代なら上衣の左胸につけている名札が見当たらない。

僕は末っ子なので兄や、姉たちが左胸に
氏名のほか学校名学年クラスなどを白い布に明示した
ものを縫いつけていたことをよく覚えている。
義務づけられていたのである。

公開された写真は少年が東を向いているように見える。
絶望的な悲しみの中でも厳粛な気配を滲ませているのは
日が昇る方角だからであろう。

この写真が裏焼きだとして
元の写真に戻せば西向きになる。
どこか少年なのに諦観がただよう。
人は日が落ちる方角では
無意識のうちに悄然とした雰囲気を放つのかもしれない。


ところで

この場所は本当に焼き場の前なのか。

裏焼きが意図的にされたものなら
ますますミステリーの世界である。

そのようにミステリアスな写真でもあるが
戦争は嫌だ という少年の痛切な叫びを聞いた気がして
僕の耳朶は震えた。





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 解んないよ

 そんなこと言われたって

 足に訊いてくれよ

 いや

 それも無駄だ

 別に目標なんかないんだから

 走っているうちに考える

 いや

 走っているうちに浮かんでくる

 初めから目指すことが明確なら

 スタートから

 肩に力を入れてさ

 全力疾走もいいだろ

 でも

 ないんだから

 とりあえずスタートについて

 とりあえず走りだすのよ

 明確な目標が生まれるまで

 スタートできないんなら

 おれの人生終わっちゃうよ

 だから

 どこへ行くかなんて訊くなよ

 悪いかそれで

 おれはおれでおれだ

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