月別アーカイブ / 2019年03月


 自殺未遂を3度やった人間がいて

 3度目は1週間以上

 昏睡を続けたの

 
 後年 自分の人生に

 こんなに伸びしろがある

 とは思わなかったと述懐した

 
きみも3回だろ

死ぬことばかり考えていたときは

 すぐ目の前に

 真っ黒い壁が立ちはだかっていたって

 絶望の壁だよね

 もう駄目だと思うんだよね

 
 でも

 その真っ黒い壁は

 妄想が作った壁なんだよ

 生きていくことに決めてからも

 妄想の壁は

 度々現れたそうだ

 わーっと叫んで壁に突進すると

 するっと抜ける

 前方はぼやけていたが

 先の先まで伸びている


 ああこれが俺の人生なんだ

 築いていけってことだ

 と納得したという

 すると 真剣になるんだよ

 やらなきゃ

 って力が出るんだよ


 
 周りにいるだろ

 働き盛りなのに

 俺の人生もこんなもんか

 と決めちゃう人

 すると 壁が現れるんだよね

 まだまだ

 これからひと花もふた花も咲かせるぞ

 と思う人には壁は現れない


 自分の人生に

 壁を作っちゃ駄目だよ

 進めば展開する

 人生の仕掛けは

 そうなってるんだ

 

 

 

 

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読み聞かせ活動を開始して
21年目に入った。

「よい子に読み聞かせ隊」を結成してからでも
今年の8月で満20周年を迎える。

アップ写真をとくとご覧いただきたい。

子供達がそれぞれに自分を解放して
本当に自分の自由を楽しんでいる。
それでいて耳はピアノの演奏を
しっかり捉えているのだ。
写真には見えないが
椅子席にはお母さんを中心とする
大人達が椅子にかけて
ピアノの演奏を楽しみ
子供達の自由を見守っている。

お母さん方の3分の1は
膝に乳幼児を乗せている。
そのおさなご達の多くはスヤスヤ寝入っている。

これぞ 僕がいつも理想としている
大人も子供もそれぞれの自由が触手を広げ
寛いでいる在り方なのである。

読み聞かせが生んだ理想の状態と思ってほしい。

小学校へ読み聞かせで訪れると
体育館に全学年の児童が待っていてくれる。
読み聞かせに入る前
大体どこでも校長先生が挨拶を行い
「〜ということですから、皆さん、お行儀よく聞きましょうね」
などと言う。

子供は知らず惹き込まれれば集中して聞いてくれるものである。
つまらなくて集中できなければ
ざわついてくる。
この小学校では児童が集中できる
イベントをやってないな
などと思ってしまう。

自由はこれだという風に
演じられないものなのだよ。
願ったって叶えられない。
在るがままで素直な心の働きに任せて
きみから何の構えも無くなったとき
きみは自由が寛ぐ時間を持てる。

それはきみの人生を
豊かにしてくれるはずだ。
そういう時間をなるべく多く持つことで
きみの人生はより有意義なものになる。


 きみが男でも女でもいい


 誰かに容姿のことで中傷されて


 傷ついたのだったら


 当たりと思う気持ちが


 どこかにあるからなんだよ


 それまでも


 自分の容姿はよくない


 という自己暗示があって


 中傷されたことで


 さらにそれを増幅させて


 自分の容姿は大変悪い


 と思い込む


 これはよくないなあ


 すべてに自信を持てなくなるもの



 人の容姿にいい悪いの基準はないの


 お雛様なら目鼻立ちにも着衣にも


 規格があるだろうね


 でも 人の容姿は人それぞれなんだよ


 それぞれの容姿がそれぞれ1番なの


 ミスコンだとかミスターコンだとか


 軽々しいイベントがあってね


 これが美人 これがイケメンなんて


 規格作りに精出しているから


 惑わされちゃうかもしれない



 何かで名を成した人たちに


 まとめて会えば解る


 みんなそれぞれの容姿で


 みんなオーラを放ってる


 みんながみんな一番なんだよ



 解ってくれたかな


 きみは一番なんだ


 誹謗中傷は


 きみの秘めたオーラに対する


 やっかみに過ぎない


 さあ 


 一番よ 頑張ろうじゃないか


 鬼に金棒の金棒を持とうか


 何か一芸に秀でようや


 これは研鑽しなきゃ駄目だけどね


 自信を持て


 鬼に金棒になろうや 


  

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