月別アーカイブ / 2019年02月

月曜日は

少し憂鬱ぐらいでいい

月曜病は軽い気の病

それに逆らってヘンに張り切っても

余り結果は出ない


心の池に満月を浮かべると

おちつくよ



火曜日は

月曜の反動でダッシュが利いて

加速もつきやすい

ただ 

情熱に任せて暴走しやすい

感情も高ぶり

烈火のように怒るのを抑えづらい


コバルトブルーも含めて

深みのある水色のものを身に着けて

内面の火が燃え盛るのを牽制しよう

スーツ ネクタイ マフラー バッグなどに

ブルー系を用いてみよう



水曜日は

火曜日の反動で

万事に消極的になりがちである

バランスをとる意味で無理をしないで正解だが

極端に消極的だと後れをとることになる


暖色系のものを身に着けよう

ネクタイはオレンジ系が適している

火曜が水色系のストライブが入ったシャツだったら

この日はオレンジ系のストライブのものにする



木曜日は

穏やかな木目の手触りがほしくなる

心が寛容と余裕を求めている

オフィスに木製品が乏しかったら

昼食は木製のテーブル 椅子のところで

夜のつきあいも

調度に木製と和紙の多い和食の店で



金曜日は

なるべく金っけのものを避ける

疲れが溜まって

体も心も固くなっている


少し贅沢な気分になって

心身をほぐそう

紙のお金はあまり惜しまないでいい

ただし

はめを外し過ぎると

心身をほぐすどころか

重い疲労と共に金欠病になる


悔恨の土曜になり

そして

憂鬱に日曜を過ごし尾を引いて

月曜病につながる



28歳

真夏だったかどうかは定かでないが

陽気のいい時期だったことは間違いない。

そのとき

保険の調査員をしていた。

契約後間もなく死亡した

生命保険の被保険者の死亡状況を

詳細に調べる仕事だった。

月の殆どを出張で過ごした。


1週間ほどで

数件の北陸3県の調査案件を片づけ

残金を計算したら

県庁所在地の駅に近い

地方にしては格式の高い予約先のホテルに宿泊するには

大分不足だった。

毎夜

飲んでいたツケが回ってきた。

給料は出来高払いなので

交通費宿泊費は自腹になる。

上野駅までのティケットは往復で買ってあった。


ままよ

と僕は本線ではなくローカル線の3駅先の街まで歩きだした。

その駅のそばにビジネスホテルがある。

地方のローカル線だから3駅先と言っても

12,3キロはある。

歩くのは慣れていた。

予約を入れ

宵の口に歩きだしたのである。

道は出たとこ勝負。

線路沿いに歩けるところはそうして

線路から離れるところは

離れ過ぎない道を

離れ過ぎないよう選んで歩いた。

感じでは10キロは歩いたろうか。

車道のある ちゃんとした道は歩いていない。

途中で豆腐屋があったので

油揚げを数枚買ってすきっ腹をなだめた。

出会った店はその1軒だけだった。

雑木林の中の細道に右手の奥の方で

列車の通過音がしたので

線路からそれほど離れていない。

随分 紆余曲折して歩いてきたような感覚がある。

足が疲れてきた。

左手に小さな神社があった。

屋根付きの水場があったので

喉の渇きを癒すつもりで

境内に入り水を飲み

改めて見渡すと

祠に毛の生えた規模の不動尊だった。

僕は数段の階段がついた拝殿へ歩いた。

階段に腰を下ろして

少し休もうと思った。

観音開きの扉の鍵が開いているようだった。

手をかけると開いた。

僕は中へ入った。

広さは6畳間ぐらいだった。

その半分ほどを祭壇が占めていて

薄気味悪かったが

僕はボストンバッグを枕に横になった。


どのくらい寝ただろうか。

ヒタヒタという足音を聞いたような気がして目が覚めた。

観音開きの扉の隙間から外を見ると、

浴衣姿で足袋を履いた女性が

石畳の参道をこっち歩いてくる。

60代だろうか。

当時の60代だから

今の同年輩の女性と比べると

かなり老けている。


女性は階段の下で跪くと

合掌してゴニョゴニョ祈り始めた。

髪や 浴衣は濡れていた。

しばらくして立ち上がると

参道を速足で去り鳥居の外へ出た。

でも

すぐに戻り水場へ行って

手桶で頭から水をかけると

こっちへ速足で向かってきて

跪き合掌して祈った。


それを繰り返すので

水垢離を取ってのお百度参りだと気づいた。

それから僕は勝手に根競べのつもりになった。

ずっと女性から目を放さなかった。


長い時間がかかったようだった。

女性は姿を消した。

僕は20分ほどしてから拝殿を出た、

東の空が白んできた。


今もって

あのとき

あの60代と思われる女性は

何を祈願していたのかと思うことがある。


でも

その祈願は実を結んだはずである。

百度も拝まれた以上

絶対

その祈りは叶えさせてほしい

と僕は背後の神に願ったいたから。










 告げ口をする人間の気持ちは

 
 大まかに分けると 
 
 3通りになる。


 1つは告げ口という

 行為自体が好きな人。

 普通に言えば

 困った人です。

 きみにも

 相手側にも

 特に悪意はない。

 ただ

 告げ口をしたことによって

 どんな反応が起こるか

 には興味があるので

 針小棒大に

 告げ口をする傾向がある。

 本人から直接言われなければ

 信用しないので

 とやんわり釘を刺せば

 その人は 告げ口を止めるでしょう。


 2つは

 どちらか一方に

 悪意を抱いていて

 不和の間柄にしよう

 としての告げ口です。

 誤解に基づく場合も多いので

 告げ口があった

 と相手側に話し

 誤解を解いておくことです。


 3つめは

 きみにも相手側にも

 悪意を抱いてのケースで

 これがいちばん始末が悪い。

 相手側に直接確かめる

 ことが必要だけれど

 喧嘩腰で乗り込めば

 売りことばに買いことばで

 陰口を言った人の

 思う壺になる。

 いずれにしても

 陰口を額面通り

 受け取らないことである。


 きみの親友が

 きみのことを思って

 気をつけたほうがいい

 と言ってくるのは

 忠告 であって

 告げ口ではない。

忠告は邪心が入らないだけに

耳に痛いことが多い

痛ければ痛いほど

価値ある忠告と思っていい


しかし

告げ口は耳に痛くない代わりに

自分の悪口を言ったり

自分に不利益になる行為をした

とそれが告げる人間に対して

ストレートに怒りを募らせるはずだ

それはすでに告げ口をする人間の

術中にはまったことを意味する

告げ口の内容より

それをする人間の

人間性を重視しなければいけない


 
                       
 

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