月別アーカイブ / 2018年11月


 時間切れ寸前は


 人生ではダイヤモンドタイムだ


 自分が体験したケースで


 解りやすい例を挙げよう


 何かの試験で苦しんで


 どう自分で甘く考えても


 合格ラインには届かないな


 と覚悟した


 時間切れ寸前 どうでもいいやと思いながら


 答案の見直しをしたら


 ちゃんとわかっている問題の見落としがあった


 慌ててそれに解答した時点で鐘が鳴った


 

 数年後


 たまたま試験官の1人と仕事を組んだ


 僕のことを覚えていて


 1問✖が増えていたら不合格だった


 と打ち明けた



 小説雑誌の新人賞に応募していた時代のこと


 候補作に連続してあげられて


 次こそと自信の作品が候補作止まりだった


 腐ってもうやめようと思ったが


 応募締切間近に


 追い立ててくるような意欲に襲われ書きだした


 当時はすべて郵送で


 締め切り当日の消印があれば有効だった


 その締め切り当日


 郵便局が閉まる直前


 タクシーに乗って駆けつけ


 車内で最後の10行を書き終えた



 その作品も候補作止まりだったが


 意欲は持続して次の作品で受賞した



 そういうことはその後も2,3回あった


 時間切れ寸前は


 きみの人生を決めるダイヤモンドタイムなのだ


 意欲と執念が結実する


 ゴールデンゾーンでもある




 
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    前日のブログでも触れましたが

 渋谷の街のハロウィンの熱狂の夜に

 昭和の1時期

 イブの夜の新宿を

 暴動前夜のような

 らんちき騒ぎに追い込んだ

 群衆の狂気を思い出しました。

 

 イブの新宿の夜に

 人々が押しかけるようになって

 まず眉をひそめるようになったのは

 人出お目当ての飲食店は別にして

 昼間で営業を終えて

 早々とシャッターを下ろして

 店を不慮の事態から守りました。

 そんな状況に逆に刺激を受けて

 翌年のイブの夜は

 イブの意味さえ知らない

 ただ騒ぐための人達が集まり

 酒に酔って騒ぎ乱闘を起こし

 騒乱状態にになりました。

 新宿の街の人々は怒り

 世論も批判一色になり

 新宿のイブの夜は次第に落ち着きを取り戻し

 賑わっても節度が見られるものになりました。


 かってのイブの夜の新宿を想起させるのが

 数年前からのハロウィンの夜の渋谷です。

 昨年のハロウィンあたりから

 嫌な気配を感じましたが

 今年はすでに度を超したものになっていました。

 まだハロウィンの夜でもないのに

 仮装した人達 それを見にくる人達で騒然となり

 ついには軽トラックをひっくり返す

 という事件まで起こりました。


 おそらくこの事件は

 渋谷のハロウィンを悪いイメージで覆い尽くし

 渋谷の人々や 世論の強い反発と非難を呼び起こし

 改善 鎮静化への引き金になるでしょう。


 これまでの渋谷の誤ったハロウィンの夜は

 事実上

 今年で終焉を迎えた と言えるかもしれません。


 そんな思いを胸に 渋谷から離れた街で

 騒がなくても胸がときめく

 ハロウィンを楽しんだのでした。

 

 

 

 商店の人達でした。



 きみは絶望したことがあるか


 年齢に関係ないから


 若くても1度ぐらいはあるかもしれない


 今までなくても


 これからの人生の中で必ず味わうぞ


 人間なら絶望と縁なく生涯を終える


 ということはあり得ない


 絶望の淵から這い上がった経験を持つ人は


 探せばきみの周りにも1人2人はいる


 その人に話を聞けば解る


 絶望した人に絶望はない


 何もないように見えて


 ポツンとはかなく灯っている希望があるだけなんだ



 若いときに絶望を味わった友の話をしよう


 彼は東北の裕福な米穀商の家に生まれた


 父が相場に手を出して


 彼が大学生のとき 財産の一切を失った


 彼には高校生の弟がいた


 元々病弱だった母親が


 その持病の1つを悪化させて亡くなった


 母親に亡くなられて


 それでなくてもナイーブで


 我が家を見舞った倒産の嵐に悲観していた弟は


 母親の死の3日後 発作的に自殺した


 そのことにドミノ倒しのように衝撃を受けたのは彼だった


 弟よりは気が強かったから


 それだけで絶望することはなかった


 卒業したら結婚を考えていた恋人がいて


 その彼女に愚痴を聞いて貰おう


 とデートの約束をしようとしたときに


 別れ話を持ち出された


 彼は絶望した


 飛び込み自殺をしようと


 住んでいた私鉄沿線を何日もさすらったが


 飛び込む寸前に恐怖に襲われた


 今日こそは飛び込もう


 とそれまでより遠くの沿線をさすらった


 沿線沿いにあるアパートの前の空き地で


 若い父親が4,5歳の男の子を肩車にしていた


 彼は立ちどまってその父子に視線を注いだ


 男の子は電車がくると歓声をあげ


 通過しおわるまで手を振り続けた


 彼は父親に肩車をして貰った記憶を重ねていた


  どうかされたんですか?


 若い父親が訊いてきた


 この声かけで 彼の思考が現実のものに戻った


  歓声をあげた肩車の子供が僕には希望に映ったんだよ・・・


 だいぶ後になって彼は僕にそう語った



 絶望に絶望がないということはね


 絶望した人間が求めているのは希望だってこと


 その人それぞれによって


 希望のかたちは違うけれど


 必ず見つけて絶望の淵から這い上がる



 でも 自殺する人がいるじゃないか


 その人の弟だって自殺しただろ


 ときみは言いたいだろ


 悲しく酷な言い方だけど


 絶望の淵で希望を見つけられず


 絶望に絶望した人が自分で命を絶っている


 その人達にどのように希望を見つけさせるかは


 これからの社会の課題だよ


 

 それはともかく


 普通は絶望の淵で希望を見いだし這い上がる


 このことを忘れないでくれ

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