月別アーカイブ / 2018年10月

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リウマ君よ
なぜ のっけから花火なんだい?

僕は右の掌で右膝を叩きながら
訊きかけて

納得!

と叫んでいた。
わが身中の悪友リウマ君は
右膝の関節を居間同様にしている。
リウマ君には姿がない。
椅子から立ち上がるときの
激痛ではないが 不快な痛みに

ああリウマ君
合図しなくても
きみの存在はちゃんと解るよ

と なだめることになる。
右手首の関節などに
腱鞘炎風の痛みを起こせば

 締め切りのエッセイを執筆中なんだ
 あと1時間 我慢してよ

 と クレーム風に懇願する。

 リウマ君は 
 僕の体内に棲みついた
 姿なき病格なのである。

 加齢のせいか
 と 僕は渋々 認めようとしていた。
 右の膝痛
 肩の凝り
 腱鞘炎風の右手の痛み。
 その3つの症状が
 初めは代わる代わるやってきた
 次いで複合状態で
 ときに軽く
 ときに憎悪を伴いながらやってきた。

 ついに 昨年4月
 しつこい症状に根負けして受診した結果が
 膠原病の1つ 関節リウマチという診断だった。

 やはり と一瞬がっくりきたのは確かだった。
 ただ
 なかなか収まらない症状に
 どんな病気が当てはまるかは
 調べて検討していた。

 充分当てはまる病気の1つに
 関節リウマチは挙げてあったのである。
 そして このときに
 自分のこだわりで
 この病気と長くつきあい
 徐々に症状を軽減させていこう
 と心に決めたのである。

 なぜ 大学病院等の大病院での治療を拒んだのか。
 他の膠原病がそうであるように
 関節リウマチの発症のメカニズムは解明されていない。
 よって そのメカニズムに即した特効薬は
 開発されていない。

 細菌 ウイルスその他の外敵が侵入すれば
 免疫系が察知し侵入した外敵(異物)から体を守る。
 このことは広く知られている。
 ところが
 外敵の侵入もないのに
 免疫系が体内にもともと存在する
 組織を攻撃したらどうなるか。
 本来 身内である組織は
 たまらず音を上げる。
 免疫系が不全を起こし
 圧倒的な力で同士討ちを演じている状態である。

 これを解りやすい譬えで説明させていただこう。
 僕の体内には強力な免疫軍がいる。
 過去 幾多の外敵から僕を守ってきた。

 外敵が見当たらず長い平和が訪れた。
 強力な免疫軍はいらない状況になっている。
 免疫軍としては外敵がほしい。
その思いが免疫軍に不全という邪な行動を取らせ
 突如
 味方の組織に襲いかかった。

免疫不全はそんな状態だと理解できる。
 
これに現今の医学はどのように対応しているか。
抗がん剤と等しい抗リウマチ剤や、
関節リウマチに特化した生物学的製剤を用い
免疫軍を弱らせて同士討ちをなくさせる
治療法で対応している。
同志討ちの余裕がなくなるよう
強力な免疫軍をかなり解体する方法をとる。

 
はっきり言って
これはやや乱暴な治療法である。
外敵は滅んだわけではない。
虎視眈々とすきを窺っており
免疫軍が弱体化すれば
いっせいに攻め入ってくるはずである。

このリスクに対し
僕はどのように対処したか。
それは次号で明かすが
リウマ君に話を戻そう。
関節リウマチに病格を与え
リウマ君と命名した。


同士討ちの悲劇を演じている
リウマ君にその非を徐々に悟らせ
正常化した免疫軍を正しく統率させることを
僕は強く願っている。

そのリウマ君はまだまだ我儘で
花火を打ち上げるような派手さで
僕にその存在をアピールするのだ。

リウマ君よ
きみの存在はもう重々解っているからね

僕はリウマ君をなだめた。

リウマ君は

ウッフーン

と 関節を鳴らした。



        (以下次号)



 






 本当はね


 成功とか失敗とかで


 一喜一憂することはないんだよ


 成功に次ぐ成功で喜んでいれば


 失敗が待っている


 成功は失敗の因を作っているからなんだ


 何回か成功すれば


 1回分の失敗の因は溜まるものじゃないか


 逆に考えて


 何回か失敗すれば


 1回分の成功の因は溜まるだろう


 だから


 成功して喜んで終わり


 失敗して憂えて終わりじゃ


 何の成長もないんだよ


 つまり


 一喜一憂していてはつまらない


 10回成功を続けて


 やっと1回分の失敗の因が溜まる


 2回の失敗だけで


 1回分の成功の因が溜まる



 そうできるよう


 努力と創意工夫を続ける


 それが大事なんだよ


 つまり


 人生ではやったことで損をすることはない


 ということなんだ


 それをピシッと頭に刻み込め


  


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 絵本は表紙に

    その絵本の命がみなぎるね

    

   末っ子の僕に


 母は1歳の時から読み聞かせを行ったという


 理解できなくても


 母の愛情を感じて安心したのだろう


 途中から すやすや眠ったそうだ


 母は夕食の支度に台所へ向かう


 でも すぐに僕は目覚めて泣き出したという


 それからはすやすや眠りだしても


 読み終えるまで


 ときには2冊目も読み終えて台所へ立った


 1時間2時間と


 僕は目覚めなかったという


 3歳頃のことはよく覚えている


 「3びきのこぶた」は繰り返し聞いた


 僕がこれ読んでといつもせがんだからだという


 「あかいくつ」は怖かった


 足を切断される場面が特に



 小学生になったら


 我が家から絵本が消えた


 あれは3年か4年だったかなあ


 学校から帰ると誰もいないことが多かった


 母は夕食の買物


 姉達はお勤めや 学校


 僕は押し入れの上段を隠れ家にした


 ある日


 他の部屋の押し入れ上段に初めて上がった


 奥に真田ひもで結束された絵本の束を見つけた


 僕は奇怪な歓声をあげていた


 消えた絵本だった


 懐かしさのあまり


 僕は時間を忘れて読みふけった


 母に発見されたときは


 茶の間のちゃぶ台に


 家族がそろったあとだった



 絵本が僕の視界から消えたわけは


 小学生に絵本はいらない


 という理由からだった


 

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