月別アーカイブ / 2018年09月


 
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 昼寝は気持ちがいい

 空調が程よく効いた部屋の

 ベッドでの昼寝に

  一瞬 至福を感じる

 
  だが 待てよ

 もっと至福のときがあったぞ

 そうだ

 真夏の開放された日本家屋だ

 子どものときだ

 暑い日盛りに

 風通しのいい縁側での昼寝のひととき

 時間時間によって

 いちばん心地よい

 自然のポーズをとっている

 これこそ

 至福のときと言わずして

 何が至福か

 
 今は周りを意識しすぎ

 カッコや

 ポーズを作りすぎる

 本音をぶつけるときや

 寛ぐときぐらい

 行儀悪くても

 カッコ悪くてもいいじゃないか

 そんなことよりも
  
 無防備で
  
 疑うことを知らない昼寝を
   
 大人の今 やってみたい
   
 できないだろうね

 大人はみんな
   
 屈託を心に置いたまま
   
 眠っている
   
 それを抜いた昼寝を
  
 たとえ 1時間でも持つことができたら

 人生をもっと楽に

 心地よく送れるはずだ
   
  


 ◉ 写真は奄美パークで見かけた人形です




 僕の後輩の話をしよう


 優秀なやつだったよ


 創業して10年そこそこだったが、


 時代の先端を行く企業に入社した


 同期にライバルがいた


 初めは仲よかったんだよ


 

 女性の先輩に誘われて


 今で言う女子会に参加した


 ただし 婚活願望っ気がある女子が多くて


 女性の先輩は彼女たちのために


 あえて後輩2人を連れていったらしい


 

 彼はそこで1人の女子に見初められた


 たまたま


 その女子は勤務先の大株主の娘だった


 彼はその子の結婚願望の強さに


 戸惑って気があるのかないのか


 はっきりしない交際を続けた


 その間隙を突いて


 ライバルにその子をとられた


 逃した魚の大きかったことに


 彼は愕然としたんだよ


 そのことは出世競争で思い知らされた


 常に彼は先を越された


 ライバルが役員になったとき


 彼は離婚した


 2人の子供がいたんだけどね


 奥さんについていった


 ライバルが大株主の娘と結婚した後に


 彼は大学の友人に紹介された人と結婚し


 2人の子をなしたが、


 離婚するだいぶ前に


 家庭生活は破綻していたらしい


 ライバルに対し


 いつか復讐してやろう


 という気持ちを育てていたから


 そのあたりも


 円満にいかなかった理由じゃないかな


 一方


 ライバルは子供こそ1人だったが


 

 家庭は円満そのものだった


 でも


 順風満帆ではなかった


 義父の大株主が


 何かの投資に失敗し


 その穴埋めのために


 持ち株を手放したんだよ


 

 そんなときかな


 会社に買収話が持ち上がった


 役員は賛成派と反対派の2つに割れた


 実は彼は勤務先の会社を


 乗っ取りに近いかたちで買収しようとしていた


 会社に社内秘の情報をいろいろ流していたんだ


 買収がなったらそれ相応の待遇で迎える


 という口約束を信じてね


 無論


 買収されることに反対のライバルは


 反対派の役員の中心にいた


 買収がなれば当然追放される


 

 買収は成立した


 何とライバルは


 買収を行った会社の役員入りをした


 彼はぼろ雑巾のように放り出された


 情報をとっていたのはね


 雇われたその道のプロで


 そういう人間との口約束は


 まったく当てにならないのにね


 買収を行った会社のトップは


 彼の元ライバルを買っていたから


 辞表を受け取らず


 熱心に説得をしたんだよ



 彼のその後は惨めなもので


 10年ほど前にアパートで独居死した


 死後10日ほど経って発見されたそうだ



 復讐は駄目だよ


 人間性を破壊し人生をゆがめる


 たとえ成功して相手を突き落としても


 自分も別の穴に突き落とされる


 

 負けたら潔く認め引き下がる


 そうして自分を磨き直す


 相手をフェアに乗り越える


 それが最高の復讐じゃないか

   
    復讐心で自分を磨く

    そのための研磨の武器を心に作るべきだ

























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そのとき
25歳でした。
28歳になる先輩社員に誘われ
三軒茶屋 渋谷界隈で
よく飲むようになりました。
先輩は会社から業務用として
 小型乗用車を与えられていました。
 雰囲気派で酒は弱いほうでしたが
 ハイボールの1杯ぐらいは飲んでいました。
 それで運転して帰宅していました。
 飲酒運転が一部で行われていた時代でした。
 僕はその先輩の影響で
 教習所に通うようになりました。
 姉がブルーバードを運転していたので
 免許をとったら拝借して
 遊びにぃこうという
 魂胆からでした。

 ある夜
 部内の飲み会が三軒茶屋であり
 終了後
 先輩がスナックに連れていってくれました。
 池尻あたりの店でした。
 酒が強い僕でも
 そのときは
 だいぶ酔いが回っていたと思います。
 路駐している先輩の小型乗用車を見て
「ちょっと運転していいですか?」
 と 訊くと
「100メートルぐらいならいいよ」 と。
 先輩は仮免までいってる
 ぐらいに思っていたのでしょう。
 でも 僕は態度の横柄な教官に反発して
 教習をサボっていました。

 運転しやすい車でしたね。
 100メートルどころか
 気がついたら
 車がボンボン行き交う
 玉川通りに出ていました。
 酔って気が大きくなっていましたから
 加速し先行車を追い越していきました。
 三軒茶屋で左折し
 あっという間に
 二子玉川の近くに差しかかりました。
 スピードを出しまっすぐ走っているつもりでも
 見る人が見ると
 酔っ払い運転と解るんでしょうね。
 対向車のトラックの助手席の人から
「こらぁ 死ぬぞ!」
と 怒鳴られました。
 それで正気に戻ったんですね。
 空き地に入り
 どうしようか煩悶し
 とにかく戻ろうと思い
 帰路につきました。
 恐怖と闘いながらでしたから
 ノロノロ運転だったと思います。
 もとの場所に着くと
 先輩は青い顔をして立ちすくんでいました。
 ひっぱたかれると思いましたが
 抱きついてきて
 よかったよかった と喜びました。
 
 僕が僕に
 生涯運転禁止を誓った夜になりました。
 
 以来 人の運転する車と
 タクシーにはよく乗りますが
 自分でハンドルを握ったことはありません。
 免許はついに取らなかったので
 当たり前ですが
 生涯運転禁止を誓って
 本当によかったです。
 

 
 

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