月別アーカイブ / 2018年08月


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 前日8/6に以下のようなツイートを発した。


末っ子の僕は父と41母とは40の年齢差があった。15のとき、自分が20になったら父は61、母は60になるのかと少し暗澹とした気持ちになり、いつまでも元気でいてほしいと思った。実際は長寿化が始まっていて父は81歳、母は94歳まで生きた。今の15にそういう気持ちが解るだろうか



 僕が15のとき


 というと 西暦では1955年のことになる。


 今から63年も前のことである。


 父母に挟まれた感じで


 近くの空き地で開かれている


 盆踊り会場に向かった。


 ソース焼きそばが食べられる


 綿あめも買ってもらおう


 と 僕は心を弾ませていたが


 見ず知らずの腰の曲がった


 おばあちゃんとすれ違ったとき


 暗澹とした気持ちに駆られた。


 

 僕が20歳になれば


 父は61歳になり母は60歳になる。


 年寄りもいいところだ。


 さっきすれ違った


 よぼよぼしたおばあちゃんは


 60歳ぐらいだった。


 父母はあと5年であんなによぼよぼになるのか。


 生きてもいないかもしれない。


 63年前はそんな感覚だった。


 身の回りで50代60代でなくなる人は


 いくらもいたのである。


 おののきのような感覚の中で


 父母にいつまでも元気でいてほしい


 と 痛切に願った。


 

 ツイートにもあるように


 実際には父は81歳


 94歳で逝った母は


 その2か月前まで買い物に出かけ


 庭の草むしりをやっていた。


 僕が15歳のとき


 日本はすでに長寿化に向かっていたのである。


 

 1998年に

    読み聞かせ活動を展開するようになって


 園児のお母さんに40代と思しき人が


 ちょくちょく目につくようになった。


 小学生だと50代のお母さんも


 目にするようになった。


 高齢化社会になって


 高年出産が珍しくなくなったことだな、


 と僕は今昔の感にとらわれた。



 だが 上記のツイートを発してから


 コメントを多く頂戴した。


 高年出産で生まれた人は


 僕が15歳で味わった気持ちが


 とてもよく解る と書いてきた。


 

 なぜかホッとした。


 高齢化社会に関係なく


 まだ幼少期に


 いつか親をくすという恐怖に襲われるのは


 人間の気持ちの常の働きなのだ


 と 納得できたのである。


   


 終戦の年の3月25日


 僕は5歳になった。


 その数日前


 20歳の兄は召集され


 その部隊はほどなく旧満州(中国東北部)へ動員された。


 太平洋戦争という刺激的な時期に


 幼時期が重なったので


 4歳あたりからの記憶は


 かなり残っている。


 そのほとんどが戦争に関わる記憶である。


 防空壕から覗き見たB29の編隊


 真昼間の味方戦闘機とグラマンの


 宙返りの空中戦


 庭で見ていた兄は手を叩いたが


 黒煙を引いて墜ちていったのは


 味方機と解って


 解ってがっくり肩を落とした。


 夜間に戦闘機が敵機を銃撃すると


 曳光弾が赤い点線を作って


 妖しい光景を作った。


 墜ちないとみると


 体当たり攻撃を行った。


 このとき


 兄の姿はなかったから


 召集された後の記憶である。


 3月10日の東京大空襲の夜は


 不気味だった。


 東の空が真っ赤に焦げて


 ゆらゆら揺れた。


 庭で父母、姉2人、僕の5人が並び立ち


 長いこと呆けたように見ていた。


 防空頭巾をかぶっていたが


 庭の防空壕には入らなかった。



 砂を入れたバケツをリレーして


 焼夷弾を想定した焚火にかけて消す訓練も


 在郷軍人の号令一下


 官舎の男たちが竹槍を構えて


 藁人形に突進して突き刺す訓練も


 鮮やかに脳裏によみがえる。


 

 

 地上に敵兵が現れなかっただけで


 僕が仰ぎ見た空は


 戦場にまぎれもなかった。


 官舎の我が家の廊下に


 母と近所の主婦が声は低く


 でも


 興奮を抑えるように


 雑談していたことがある。


 広島という言葉と


 新型爆弾という言葉が


 僕の耳に残っている。


 広島が地名という認識は


 僕にはまだなかった。



 そのあとの記憶は


 昼過ぎにすぐそばの詰所から


 庭に入ってきた父が


 「おい、戦争が終わったぞ」


 と叫んだものになる。


 8月6日から同月15日までの間に


 広島で起きたことは


 東京都下の一般主婦も


 かなり詳細に知っていたのである。


 惨事は止めようもなく千里を走る。


 

 兄の部隊は8月9日侵攻してきた


 ソ連軍に蹴散らされ散り散りになり


 終戦を知らず敗走しながら戦い続けた。


 兄は8月22日の夜半に戦死したという。


 物心がついた目に映じた戦争は


 感受性強く働かせる結果になって


 僕の記憶に鮮烈に刻まれた。 


 


 


孤独は味わうことも必要だ

 そのときの自分と

 しっかり向きあえる

 そのことによって

 気がつかなかった

 誤りに気づき

 これからの指針を得て

 前向きになれる

 こういう孤独のときなら

 1日1回はほしい

 しかし

 その自分だけの世界で

 独裁者になっては駄目だ

 支配している民がいないから

 自分をいじめるしかない

 自分を駄目だ駄目だ

 といじめつくす

 自分はいつか誰かに殺される

 という妄想にかられ

 暗殺者がいないから

 自らを自らが暗殺するしかない

 そういう地獄のような

 孤独を味わってはいけない

 

 

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