前日8/6に以下のようなツイートを発した。
末っ子の僕は父と41母とは40の年齢差があった。15のとき、自分が20になったら父は61、母は60になるのかと少し暗澹とした気持ちになり、いつまでも元気でいてほしいと思った。実際は長寿化が始まっていて父は81歳、母は94歳まで生きた。今の15にそういう気持ちが解るだろうか
僕が15のとき
というと 西暦では1955年のことになる。
今から63年も前のことである。
父母に挟まれた感じで
近くの空き地で開かれている
盆踊り会場に向かった。
ソース焼きそばが食べられる
綿あめも買ってもらおう
と 僕は心を弾ませていたが
見ず知らずの腰の曲がった
おばあちゃんとすれ違ったとき
暗澹とした気持ちに駆られた。
僕が20歳になれば
父は61歳になり母は60歳になる。
年寄りもいいところだ。
さっきすれ違った
よぼよぼしたおばあちゃんは
60歳ぐらいだった。
父母はあと5年であんなによぼよぼになるのか。
生きてもいないかもしれない。
63年前はそんな感覚だった。
身の回りで50代60代でなくなる人は
いくらもいたのである。
おののきのような感覚の中で
父母にいつまでも元気でいてほしい
と 痛切に願った。
ツイートにもあるように
実際には父は81歳
94歳で逝った母は
その2か月前まで買い物に出かけ
庭の草むしりをやっていた。
僕が15歳のとき
日本はすでに長寿化に向かっていたのである。
1998年に
読み聞かせ活動を展開するようになって
園児のお母さんに40代と思しき人が
ちょくちょく目につくようになった。
小学生だと50代のお母さんも
目にするようになった。
高齢化社会になって
高年出産が珍しくなくなったことだな、
と僕は今昔の感にとらわれた。
だが 上記のツイートを発してから
コメントを多く頂戴した。
高年出産で生まれた人は
僕が15歳で味わった気持ちが
とてもよく解る と書いてきた。
なぜかホッとした。
高齢化社会に関係なく
まだ幼少期に
いつか親をくすという恐怖に襲われるのは
人間の気持ちの常の働きなのだ
と 納得できたのである。