月別アーカイブ / 2018年06月


 朝のドラマ「半分、青い。」を観ている。
 主人公の鈴愛ちゃんが左耳が完全に聴こえない
 という設定なので興味を持った。
 僕は5歳時から難聴である。
 左耳が完全失聴の主人公の演技に大変注目した。

 鈴愛ちゃんの演技は
 95%健常者のものである。
 耳に障害があることを打ち明ける場面で
 そうか鈴愛ちゃんは左耳が聴こえないんだった
 という大変リアリティーに乏しい設定を
 そのとき 僕は思い知らされることになる。

 片耳が完全失聴だと
 立ち居振る舞い 挙措動作のすべての面に
 その影響が出る、
 耳が聴こえないことで起こる不自由さは
 健常者には想像もつかないかもしれない。
 
 程度の差こそあれ
 耳の不自由な人は
 社会生活をしていて人に訊かれれば
 その旨を明かすけれど
 「私は左耳が完全に聴こえません」
 と書いた紙を胸に吊るして歩くわけではない。
 職場などで誰もがその事実を知っていれば
 それなりの配慮をしてくれるが
 街で出会う人は健常者として見ている。
 そのことによって起こる悲喜こもごものことは
 どちらにせよ
 耳の悪い人には不利益となって返ることが多い。

 「半分、青い。」はドラマだからあれでいいと思う。
 見逃す回もあるけれど
 ストーリーが面白いので
 僕は楽しみに観ている。

 僕は5歳のときに両耳に患い難聴になった。
 右耳が健常者の80%
 左耳はその70%の聴力である。
 加齢も加わって両耳とも
 さらに5%以上失ったかもしれない。

 僕より重度の難聴の人がいる。
 その人たちに比べれば
 社会生活での不自由度はまだまだ低いだろう。
 
 小学へ入ってすぐに知的障碍児と誤解された。
 耳が聴こえないことは充分に自覚していたけれど
 それを他人に知られることを
 僕は異常なほど嫌がった。
 声の低い女の先生だったので
 授業内容はブツブツとしか聴こえない。
 何かで差されてもはにかんでうつむくだけ。
 そのうち おうむ返しに解りません
 と言えばいちばん楽なことに気づいた。
 母が授業での僕の状況を知って先生に話し
 先生は僕をいちばん前の机に移した。

 後ろから声をかけられても解らない。
 とぼけたやつだ となじられた。
 面倒くさいから聴こえないことには
 うなずく癖がついた。
 約束を破った
 と非難されたことはよくあった。
 
 高校大学時代は子供のときより聴こえるようになったかな
 と自分でも思うことがあった。
 聴こえるようになったわけではない。
 話す相手の表情や 唇の動きで
 聴こえないハンデを補う術を知ったのである。
 聴こえた前後の言葉から
 聴こえなかった言葉を推理する腕も上がった。

 しかし
 社会に出ても
 
 シカトされた。
 約束を破った。
 
 などと言われることから無縁にはなれなかった。

 聴き間違いから起こることは
 笑い話が多いが
 声が低くて口の中にくぐもるタイプの人の声は
 まるで聴こえない。
 大きな声でしゃべってください
 と頼んでもつかのまでもとの声に戻る。
 こっちはときに相槌を打ちながら黙って聞くだけになる。

 念を押して引き受けて貰ったことだと言い張られて
 どなたかが穴をあけた締め切り原稿を
 徹夜で書くはめになったこともある。

 バラエティー番組では聴こえなかった人の言葉に
 トンチンカンに応えて爆笑を得る
 ということが何度かあった。
 悪いことばかりではない。

 悪口は小声でもよく聴こえる。
 表情 口の動き 雰囲気を集中力で感じとり
 何を言っているかを類推するからだろう。


 メール時代になって本当に楽になった。
 よく聴こえない人との打ち合わせでも
 「要点をメールに記して送ってくださいね」
 と頼んですむようになった。

 最近は聴こえないということが
 平気になった。
 むしろ
 改めて診断を受けて
 障碍者手帳を交付して貰おうか
 などと思う。
 何かのときは
 「これが目に入らぬか」
 と障碍者手帳を振りかざす。

 将来 仕事が暇になったら障碍者手帳を懐に
 全国を独りで旅したい。
 
 
  


 情熱的な初恋をやって

 幸せの絶頂と思ったときに

 裏切られたんだね。

 そりゃ痛手だったろうね。

 それでいまだに引きずっている。

 許せていないね

 その初恋の相手をさ。

 だから

 いまだに引きずってる。


 フツー初恋は淡いもんでね

 ふわふわとアー幸せって思い

 ふわふわと幸せの海に

 浮かんでいる感覚があって

 こんなことなの

 いい いい

 ずっと続いて…
 
 なんて満ち足りて

 そっかあ

 なんてうなずいたら

 それで終わってる。


 初恋ってさ

 そんなもんなんだよ。


 でも

 きみの場合は

 初恋で少しばかり

 どろどろしちゃった。

 相手は初もの漁りのやつだったのかな。

 それで悪くないんだよ。

 初恋は性教育の

 体験学習という側面もある。

 その次の恋で

 恋の真髄を知りなよってことで

 それで結婚にまでいったら

 万々歳だろ。

 
 どろどろしちゃってさ

 裏切ったの裏切られたのと

 心を切り裂く。

 切り裂かれたんじゃないんだよ。

 恋の場合は

 自分で切り裂いたんだ。

 切り裂かれたんなら

 しばらくして癒えて

 引きずらないさ。

 自分で切り裂いたものだから

 どうしてくれるったって

 どうしようもないから

 引きずるしかない。

 
 後々まで引きずんなら

 初めっから一生

 恋なんかすんなよ

 修道院へ行け

 って叫びたくなる。


 きみの場合はね

 初恋と

 その次の恋を足したものを

 やっちゃったんだ

 どろどろとね。

 
 きみに告白した人を

 きみは好きなんだろ?

 だったら問題ないじゃないか。

 好きなのに

 告白を宙ぶらりんにさせるなんて

 失礼を通り越して卑怯だよ。

 その人の胸に飛び込めよ。

 
 恋はいずれ終わる。

 途中で一生愛情を

 育みあうものに変わるのか

 それとも悲しい結果に終わるのか。

 
 打算の婚活じゃあるまいし

 今ははそんなこと関係ねーの。

 今何をすべきかは

 本当は解ってんだろーが

 その人の胸に飛び込むんだ。

 それが生きてるって証なんだって。
 
 



 

 
 

 

 

  


 進学問題かい?

 転職のことかい?

 決婚問題かい?

 まっいいや 何でも。


 問題は何がテーマでも

 折り合いがつかない

 ということなんだから。

 
 僕らが若い頃はね

 親がいる土俵と

 僕がいる土俵と

 3分の1ぐらいはダブっていたんだよ。


 土俵というのは

 それぞれの価値観のことだよ。

 そりゃ

 昔だって親とはことごとに

 意見がちがったさ。

 でも
 
 だぶっている部分で

 話しあって

 折り合うことができた。


 今は違うんだよ。

 きみは20代半ばか

 親の土俵と

 きみの土俵じゃ

 金正恩と

 トランプぐらい離れてる。

 1ミリだってだぶっちゃいない。

 きみときみより

 10歳下の世代の価値観だって

 100分の1ぐらいしか

 だぶっていないだろうね。

 それだけ今は

 価値観の変化が速いってことさ


 きみときみのご両親じゃ

 こと価値観に関しては

 異邦人同士もおんなじなのよ。

 話しあっても言い合いになる。

 取っ組み合いの喧嘩にもなるさ。


 きみにとって何の得になる。

 まず親の価値観を理解する

 それが大事なのよ。

 親は古びた価値観を抱えて

 そのうちリタイアする。

 古い価値観と

 真っ直ぐ向きあったって

 しょうがないだろ。

 
 うんうんとうなずいていれば

 親は満足するんだ。

 お願いの筋があるということで

 下手に出てみろよ。

 親なんて親バカだから

 他愛ないもんだぜ。

 
 つまり

 価値観の対立を避けて

 こっちの要求を通す。

 それでいいんだろうが

 エビという古い価値観の頭をなでて

 タイという本願を釣ることに徹する。

 それが親と折り合う秘訣だよ。

 
 

 

 

  

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